名将言行録 / 『名将言行録』太田資長 怪異を恐れない目
○資長居城の内、山里と云ふ所に、笠程の菌一夜に生出たり、諸人物怪なりとて資長へ告ぐ。資長聞き決して物怪にあらず、濕氣深き所には何程も大きなる菌出づべし、自然逆樣抔に生たらば不思議とも申すべしと言ふ。其後十日計り過ぎて、又同樣の菌逆に生たり。諸人驚き資長へ告ぐ。資長聞て以前生出たる時、逆樣ならば不思議なれども、此方より智惠を付られて逆に生出ること誠に笑ふに堪へたりと言ふ。其後火爐の中なる鐵輪踊り歩むを見て、人間は足二つにてさへ自由に歩むなり、足三つにて歩むこと珍しからず、其樣なる事は皆狐狸の爲す業なり、狐狸人間に誑がされて惑ふと見えたりと、冷笑自若として居たりしかば、其後は何事もなかりしとぞ。 ○資長京に上りし時、將軍義政饗應せんと言ふ。資長、義政に一つの猿ありて見知らぬ人をば、必ず掻き傷ふと云ふことを傳へ聞て、猿師に賂なひて密に猿を借り、旅亭の庭に繫ぎ置き、出仕の裝束して側を過ぐるに、猿飛び掛れり。資長鞭を以て思ふ樣に打伏せたれば、後には猿首を垂れて怖れ居たり。資長猿師に禮謝して、猿を返したり。斯くて饗應の日兼ねて義政彼猿を通るべき所に繫ぎ置き、資長が振舞を見んと待ちけるに、彼猿資長を見るや否や、地に平伏す。資長衣紋引き繕ひ打過ぎければ、義政見て尋常の人にあらずと言て大に驚きしとぞ。
新字:○資長居城の内、山里と云ふ所に、笠程の菌一夜に生出たり、諸人物怪なりとて資長へ告ぐ。資長聞き決して物怪にあらず、湿気深き所には何程も大きなる菌出づべし、自然逆様抔に生たらば不思議とも申すべしと言ふ。其後十日計り過ぎて、又同様の菌逆に生たり。諸人驚き資長へ告ぐ。資長聞て以前生出たる時、逆様ならば不思議なれども、此方より智恵を付られて逆に生出ること誠に笑ふに堪へたりと言ふ。其後火炉の中なる鉄輪踊り歩むを見て、人間は足二つにてさへ自由に歩むなり、足三つにて歩むこと珍しからず、其様なる事は皆狐狸の為す業なり、狐狸人間に誑がされて惑ふと見えたりと、冷笑自若として居たりしかば、其後は何事もなかりしとぞ。 ○資長京に上りし時、将軍義政饗応せんと言ふ。資長、義政に一つの猿ありて見知らぬ人をば、必ず掻き傷ふと云ふことを伝へ聞て、猿師に賂なひて密に猿を借り、旅亭の庭に繋ぎ置き、出仕の装束して側を過ぐるに、猿飛び掛れり。資長鞭を以て思ふ様に打伏せたれば、後には猿首を垂れて怖れ居たり。資長猿師に礼謝して、猿を返したり。斯くて饗応の日兼ねて義政彼猿を通るべき所に繋ぎ置き、資長が振舞を見んと待ちけるに、彼猿資長を見るや否や、地に平伏す。資長衣紋引き繕ひ打過ぎければ、義政見て尋常の人にあらずと言て大に驚きしとぞ。
書き下し
○資長居城の内、山里と云ふ所に、笠程の菌一夜に生出たり、諸人物怪なりとて資長へ告ぐ。資長聞き決して物怪にあらず、濕氣深き所には何程も大きなる菌出づべし、自然逆樣抔に生たらば不思議とも申すべしと言ふ。其後十日計り過ぎて、又同樣の菌逆に生たり。諸人驚き資長へ告ぐ。資長聞て以前生出たる時、逆樣ならば不思議なれども、此方より智惠を付られて逆に生出ること誠に笑ふに堪へたりと言ふ。其後火爐の中なる鐵輪踊り歩むを見て、人間は足二つにてさへ自由に歩むなり、足三つにて歩むこと珍しからず、其樣なる事は皆狐狸の爲す業なり、狐狸人間に誑がされて惑ふと見えたりと、冷笑自若として居たりしかば、其後は何事もなかりしとぞ。 ○資長京に上りし時、將軍義政饗應せんと言ふ。資長、義政に一つの猿ありて見知らぬ人をば、必ず掻き傷ふと云ふことを傳へ聞て、猿師に賂なひて密に猿を借り、旅亭の庭に繫ぎ置き、出仕の裝束して側を過ぐるに、猿飛び掛れり。資長鞭を以て思ふ樣に打伏せたれば、後には猿首を垂れて怖れ居たり。資長猿師に禮謝して、猿を返したり。斯くて饗應の日兼ねて義政彼猿を通るべき所に繫ぎ置き、資長が振舞を見んと待ちけるに、彼猿資長を見るや否や、地に平伏す。資長衣紋引き繕ひ打過ぎければ、義政見て尋常の人にあらずと言て大に驚きしとぞ。
現代語訳
資長の居城の内、山里という所に、笠ほどもある茸が一夜に生えました。人々は物の怪だと言って資長に告げました。資長は聞いて、「決して物の怪ではない。湿気の深い所には、どれほど大きな茸でも出る。もし自然に逆さまに生えたなら、不思議と言うべきだ」と言いました。その後、十日ほど過ぎて、また同じような茸が逆さまに生えました。人々は驚いて資長に告げました。資長は聞いて、「前に生えたとき逆さまなら不思議だが、こちらから知恵をつけられて逆さまに生えるとは、まことに笑うに堪えない」と言いました。その後、火鉢の中の鉄輪が踊り歩くのを見て、「人間は足が二つでさえ自由に歩く。足が三つで歩くことは珍しくない。そのようなことは皆、狐や狸のしわざだ。狐狸が人間にだまされて惑っているように見える」と、冷笑して平然としていたので、その後は何事もなかったということです。 資長が京に上ったとき、将軍義政が饗応しようと言いました。資長は、義政に一匹の猿がいて、見知らぬ人を必ず引っかいて傷つけるということを伝え聞き、猿回しに賄賂を渡してひそかに猿を借り、旅館の庭につないで置き、出仕の装束をつけて側を通ったところ、猿が飛びかかりました。資長は鞭で思うように打ち伏せたので、のちには猿は首を垂れて恐れていました。資長は猿回しに礼を言って、猿を返しました。こうして饗応の日、義政はあらかじめその猿を通り道につないで置き、資長の振る舞いを見ようと待っていましたが、その猿は資長を見るやいなや、地に平伏しました。資長は衣紋を引き繕って通り過ぎたので、義政はこれを見て、並の人ではないと言って大いに驚いたということです。
解説

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