名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 評・政治家としての素質
伊豆を奪取した後の宣撫工作などを見ても、長氏がいかに政治家の素質に富んでゐたかゞ分る。田租も、四公六民として、人民を愛撫したのである。田畑の收入の六割を百姓にやるのである。當時は、六公四民、中に七公三民さへあつた。恐らく戰國時代を通じて、家康、元就、長氏の三人は、酸も甘いも噛みわけた、それでゐて煮ても燒いても喰へない軍人政治家であつたのであらう。伊豆の取り方も、小田原の奪ひ方でも、老猾至極であるが、それでゐて、馬盜坊に(あの國を盜んだ人は如何)と云はれると、苦笑しながら(器量のある奴だ!)と、許してやるところは、甚だ氣持がよい。 時代が遲れて生れたならば、天下取りの候補者にもなれる人だが、伊豆を取つたときが、既に六十一歳である。永正十六年に八十八で死んだのだから、生れ方が少し早すぎたのである。それに、六十一歳でやつと、一國を取つたのでは、日暮れて道遠しであつたのである。
新字:伊豆を奪取した後の宣撫工作などを見ても、長氏がいかに政治家の素質に富んでゐたかゞ分る。田租も、四公六民として、人民を愛撫したのである。田畑の収入の六割を百姓にやるのである。当時は、六公四民、中に七公三民さへあつた。恐らく戦国時代を通じて、家康、元就、長氏の三人は、酸も甘いも噛みわけた、それでゐて煮ても焼いても喰へない軍人政治家であつたのであらう。伊豆の取り方も、小田原の奪ひ方でも、老猾至極であるが、それでゐて、馬盗坊に(あの国を盗んだ人は如何)と云はれると、苦笑しながら(器量のある奴だ!)と、許してやるところは、甚だ気持がよい。 時代が遅れて生れたならば、天下取りの候補者にもなれる人だが、伊豆を取つたときが、既に六十一歳である。永正十六年に八十八で死んだのだから、生れ方が少し早すぎたのである。それに、六十一歳でやつと、一国を取つたのでは、日暮れて道遠しであつたのである。
書き下し
伊豆を奪取した後の宣撫工作などを見ても、長氏がいかに政治家の素質に富んでゐたかゞ分る。田租も、四公六民として、人民を愛撫したのである。田畑の收入の六割を百姓にやるのである。當時は、六公四民、中に七公三民さへあつた。恐らく戰國時代を通じて、家康、元就、長氏の三人は、酸も甘いも噛みわけた、それでゐて煮ても燒いても喰へない軍人政治家であつたのであらう。伊豆の取り方も、小田原の奪ひ方でも、老猾至極であるが、それでゐて、馬盜坊に(あの國を盜んだ人は如何)と云はれると、苦笑しながら(器量のある奴だ!)と、許してやるところは、甚だ氣持がよい。 時代が遲れて生れたならば、天下取りの候補者にもなれる人だが、伊豆を取つたときが、既に六十一歳である。永正十六年に八十八で死んだのだから、生れ方が少し早すぎたのである。それに、六十一歳でやつと、一國を取つたのでは、日暮れて道遠しであつたのである。
現代語訳
伊豆を奪取した後の宣撫工作などを見ても、長氏がいかに政治家の素質に富んでいたかが分かる。田租も、四公六民として、人民を愛撫したのである。田畑の収入の六割を百姓にやるのである。当時は、六公四民、中には七公三民さえあった。恐らく戦国時代を通じて、家康、元就、長氏の三人は、酸いも甘いも噛みわけた、それでいて煮ても焼いても食えない軍人政治家であったのであろう。伊豆の取り方も、小田原の奪い方でも、老猾至極であるが、それでいて、馬盗坊に(あの国を盗んだ人は如何)と言われると、苦笑しながら(器量のある奴だ!)と、許してやるところは、甚だ気持がよい。 時代が遅れて生れたならば、天下取りの候補者にもなれる人だが、伊豆を取ったときが、既に六十一歳である。永正十六年に八十八で死んだのだから、生れ方が少し早すぎたのである。それに、六十一歳でやっと、一国を取ったのでは、日暮れて道遠しであったのである。
解説

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