名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 馬盗人ほか三つの小話
○長氏、妻田八郎を攻めたりし時、追崩されて引きたりしに、今一返せでは叶はずと勵み、酒肴を諸卒に與へて之を鼓舞し、引返して、八郎を打取りたり。臘月の末なれば、八郎戰には勝ちたり、皆々在所へ歸りて越年せよ、と暇を取らせたる隙を考へ、長氏還攻せり。 ○一年、小田原にて馬盜人を捕へて、之を長氏の前に出だす。其賊曰く、某馬を盜みしことは定まりたり、あの國を盜みたる人は如何に、と長氏を指す。長氏、之を見て器量ある奴なり、と言て之を免るせり。 ○長氏、盲人は無用のものなり、と言て小田原領分の盲法師を攫め捕て海に沈めんとせしかば、盲人皆四方に逃散りける。其中を潜に間に用ひしとぞ。
新字:○長氏、妻田八郎を攻めたりし時、追崩されて引きたりしに、今一返せでは叶はずと励み、酒肴を諸卒に与へて之を鼓舞し、引返して、八郎を打取りたり。臘月の末なれば、八郎戦には勝ちたり、皆々在所へ帰りて越年せよ、と暇を取らせたる隙を考へ、長氏還攻せり。 ○一年、小田原にて馬盗人を捕へて、之を長氏の前に出だす。其賊曰く、某馬を盗みしことは定まりたり、あの国を盗みたる人は如何に、と長氏を指す。長氏、之を見て器量ある奴なり、と言て之を免るせり。 ○長氏、盲人は無用のものなり、と言て小田原領分の盲法師を攫め捕て海に沈めんとせしかば、盲人皆四方に逃散りける。其中を潜に間に用ひしとぞ。
書き下し
○長氏、妻田八郎を攻めたりし時、追崩されて引きたりしに、今一返せでは叶はずと勵み、酒肴を諸卒に與へて之を鼓舞し、引返して、八郎を打取りたり。臘月の末なれば、八郎戰には勝ちたり、皆々在所へ歸りて越年せよ、と暇を取らせたる隙を考へ、長氏還攻せり。 ○一年、小田原にて馬盜人を捕へて、之を長氏の前に出だす。其賊曰く、某馬を盜みしことは定まりたり、あの國を盜みたる人は如何に、と長氏を指す。長氏、之を見て器量ある奴なり、と言て之を免るせり。 ○長氏、盲人は無用のものなり、と言て小田原領分の盲法師を攫め捕て海に沈めんとせしかば、盲人皆四方に逃散りける。其中を潜に間に用ひしとぞ。
現代語訳
長氏が妻田八郎を攻めたとき、追い崩されて引きましたが、もう一度戦わなくてはならないと奮い立ち、酒や肴を諸卒に与えて励まし、引き返して八郎を討ち取りました。十二月の末でしたので、八郎は戦に勝った、みな在所へ帰って年を越せ、と暇を取らせました。その隙をはかり、長氏は引き返して攻めたのです。 ある年、小田原で馬泥棒を捕らえて、長氏の前に出しました。その賊は言いました。「私が馬を盗んだことは確かです。ですが、あの国を盗んだ人はどうなのですか」と、長氏を指しました。長氏はこれを見て、器量のある奴だと言って、これを許しました。 長氏は、盲人は役に立たないものだと言って、小田原領内の盲法師をかき集めて捕らえ、海に沈めようとしたので、盲人はみな四方へ逃げ散りました。その中の者を、ひそかに間者として用いたということです。
解説

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