名将言行録 / 『名将言行録』北條長氏 金銀より家中の作法
○長氏、嘗て曰く、金銀は吾より後、三代までのことなり。三代目には必ず上杉滅亡して、吾子孫關東を并すること疑ぶべからず。去れば四代目には、國數の餘慶を以て支配するものなれば、金銀を左のみ蓄ふるに及ばず、然らば吾より二代の間、侍扶持の事、二十以前、七十以後は、大小ともに吾が蓄へ置く金銀を以て切符に宛つべし。老若とも粗忽に知行を興へ、或は隱居、或は死亡せし後の知行を其子に興へずして、取揚ぐれば、何にと能き樣に言ても心中には怨みあり、偖、又心も知らぬ若者は、後に何にたる癡者にならんも知れず、夫を穿鑿なしに、知行宛行ひ、度々過ちあるに及び、其領地を取揚ぐれば、其者計りに限らず、一族親戚の用に立つ者まで、怨みに思ふなり。去ればとて虛氣者に知行遣はし、其儘置けば、此家中には何にたる馬鹿も、無差と知行を取るぞ、と心得て若者共行儀不嗜に成るものなり。左ありとて、又我家中の者共を、老若ともに他所へ越さすべからず。兎角老若は切符を以て扶持すべし。倩々上杉家を觀るに、今より後は家の良き作法を、一代に五ケ條、十ケ條づゝ取失ひ、末には全く取失ふべし。我れ相模へ發向せし時は、兩上杉の取合を始むるを見て、其隙に乘じて小田原を乘取りたり。其後數年彼家を觀るに、次第々々に作法衰へ行く、作法衰ふるとても箇樣なる大家は、即時に破れぬものなり。譬ば癰疔の如し、二十年も催さねば出ぬものなり。左樣に催す故、破れてより、癒え兼ぬるなり。只其如く上杉家、良き作法惡く成り、後、彼家破るゝこと大方我より三代目と覺ゆるなり。苟も兩上杉さへ中惡くば、我が子孫は居ながら繁昌すべし、と言はれけり。果して其言の如し。
新字:○長氏、嘗て曰く、金銀は吾より後、三代までのことなり。三代目には必ず上杉滅亡して、吾子孫関東を并すること疑ぶべからず。去れば四代目には、国数の余慶を以て支配するものなれば、金銀を左のみ蓄ふるに及ばず、然らば吾より二代の間、侍扶持の事、二十以前、七十以後は、大小ともに吾が蓄へ置く金銀を以て切符に宛つべし。老若とも粗忽に知行を興へ、或は隠居、或は死亡せし後の知行を其子に興へずして、取揚ぐれば、何にと能き様に言ても心中には怨みあり、偖、又心も知らぬ若者は、後に何にたる痴者にならんも知れず、夫を穿鑿なしに、知行宛行ひ、度々過ちあるに及び、其領地を取揚ぐれば、其者計りに限らず、一族親戚の用に立つ者まで、怨みに思ふなり。去ればとて虚気者に知行遣はし、其儘置けば、此家中には何にたる馬鹿も、無差と知行を取るぞ、と心得て若者共行儀不嗜に成るものなり。左ありとて、又我家中の者共を、老若ともに他所へ越さすべからず。兎角老若は切符を以て扶持すべし。倩々上杉家を観るに、今より後は家の良き作法を、一代に五ケ条、十ケ条づゝ取失ひ、末には全く取失ふべし。我れ相模へ発向せし時は、両上杉の取合を始むるを見て、其隙に乗じて小田原を乗取りたり。其後数年彼家を観るに、次第々々に作法衰へ行く、作法衰ふるとても箇様なる大家は、即時に破れぬものなり。譬ば癰疔の如し、二十年も催さねば出ぬものなり。左様に催す故、破れてより、癒え兼ぬるなり。只其如く上杉家、良き作法悪く成り、後、彼家破るゝこと大方我より三代目と覚ゆるなり。苟も両上杉さへ中悪くば、我が子孫は居ながら繁昌すべし、と言はれけり。果して其言の如し。
書き下し
○長氏、嘗て曰く、金銀は吾より後、三代までのことなり。三代目には必ず上杉滅亡して、吾子孫關東を并すること疑ぶべからず。去れば四代目には、國數の餘慶を以て支配するものなれば、金銀を左のみ蓄ふるに及ばず、然らば吾より二代の間、侍扶持の事、二十以前、七十以後は、大小ともに吾が蓄へ置く金銀を以て切符に宛つべし。老若とも粗忽に知行を興へ、或は隱居、或は死亡せし後の知行を其子に興へずして、取揚ぐれば、何にと能き樣に言ても心中には怨みあり、偖、又心も知らぬ若者は、後に何にたる癡者にならんも知れず、夫を穿鑿なしに、知行宛行ひ、度々過ちあるに及び、其領地を取揚ぐれば、其者計りに限らず、一族親戚の用に立つ者まで、怨みに思ふなり。去ればとて虛氣者に知行遣はし、其儘置けば、此家中には何にたる馬鹿も、無差と知行を取るぞ、と心得て若者共行儀不嗜に成るものなり。左ありとて、又我家中の者共を、老若ともに他所へ越さすべからず。兎角老若は切符を以て扶持すべし。倩々上杉家を觀るに、今より後は家の良き作法を、一代に五ケ條、十ケ條づゝ取失ひ、末には全く取失ふべし。我れ相模へ發向せし時は、兩上杉の取合を始むるを見て、其隙に乘じて小田原を乘取りたり。其後數年彼家を觀るに、次第々々に作法衰へ行く、作法衰ふるとても箇樣なる大家は、即時に破れぬものなり。譬ば癰疔の如し、二十年も催さねば出ぬものなり。左樣に催す故、破れてより、癒え兼ぬるなり。只其如く上杉家、良き作法惡く成り、後、彼家破るゝこと大方我より三代目と覺ゆるなり。苟も兩上杉さへ中惡くば、我が子孫は居ながら繁昌すべし、と言はれけり。果して其言の如し。
現代語訳
長氏はかつて言いました。「金銀は私から後、三代までのことだ。三代目には必ず上杉が滅亡し、私の子孫が関東を併せることは疑いない。そうなれば四代目には、国の数が増えた余慶で支配できるのだから、金銀をそれほど蓄えるにはおよばない。そこで私から二代の間は、侍の扶持について、二十歳以前と七十歳以後は、大小ともに私が蓄えておく金銀で切符に当てるのがよい。老若を問わず軽はずみに知行を与え、あるいは隠居、あるいは死亡した後の知行をその子に与えず取り上げれば、どんなにうまく言っても心中には怨みが残る。かといって、心の分からない若者は、後にどんな愚か者になるかも分からない。それを吟味もなく知行を宛て行い、たびたび過ちがあって領地を取り上げれば、その者だけに限らず、一族や親戚の役に立つ者まで怨みに思う。だからといって、愚かな者に知行を与え、そのままにしておけば、この家中ではどんな馬鹿でもむやみに知行を取るのだと心得て、若者たちの行儀がだらしなくなる。とはいえ、また我が家中の者たちを、老若ともに他所へ越させてはならない。ともかく老若は切符で扶持すべきである。よくよく上杉家を見ると、今から後は家のよい作法を、一代に五か条、十か条ずつ失い、ついには全く失うだろう。私が相模へ向かったとき、両上杉が争いを始めるのを見て、その隙に乗じて小田原を乗っ取った。その後数年、あの家を見ているが、しだいしだいに作法が衰えていく。作法が衰えても、このような大家はすぐには破れないものである。たとえば腫れ物のようで、二十年も化膿しなければ出ないものだ。そのように化膿するので、破れてからは癒えにくい。ちょうどそのように、上杉家はよい作法が悪くなり、後に破れるのは、おおよそ私から三代目と思う。かりにも両上杉の仲さえ悪ければ、私の子孫は居ながら繁昌するだろう」と言われました。はたしてその言葉のとおりになりました。
解説

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