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史記 / 五帝本紀

黃帝居軒轅之丘,而娶於西陵之女,是爲嫘祖。嫘祖爲黃帝正妃,生二子,其後皆有天下:其一曰玄囂,是爲青陽,青陽降居江水;其二曰昌意,降居若水。昌意娶蜀山氏女,曰昌僕,生高陽,高陽有聖惪焉。黃帝崩,葬橋山。其孫昌意之子高陽立,是爲帝顓頊也。帝顓頊者,黃帝之孫而昌意之子也。靜淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,依鬼神以制義,治氣以教化,絜誠以祭祀。北至于幽陵,南至于交阯,西至于流沙,東至于蟠木。動靜之物,大小之神,日月所照,莫不砥屬。帝顓頊生子曰窮蟬。顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是爲帝嚳。帝嚳者,黃帝之曾孫也。高辛父曰蟜極,蟜極父曰玄囂,玄囂父曰黃帝。自玄囂與蟜極皆不得在位,至高辛即帝位。高辛於顓頊爲族子。高辛生而神靈,自言其名。普施利物,不於其身。聰以知遠,明以察微。順天之義,知民之急。仁而威,惠而信,脩身而天下服。取地之財而節用之,撫教萬民而利誨之,曆日月而迎送之,明鬼神而敬事之。其色郁郁,其德嶷嶷。其動也時,其服也士。帝嚳溉執中而徧天下,日月所照,風雨所至,莫不從服。帝嚳娶陳鋒氏女,生放勳。娶娵訾氏女,生摯。帝嚳崩,而摯代立。帝摯立,不善,崩。而弟放勳立,是爲帝堯。

新字:黄帝居軒轅之丘,而娶於西陵之女,是為嫘祖。嫘祖為黄帝正妃,生二子,其後皆有天下:其一曰玄囂,是為青陽,青陽降居江水;其二曰昌意,降居若水。昌意娶蜀山氏女,曰昌僕,生高陽,高陽有聖惪焉。黄帝崩,葬橋山。其孫昌意之子高陽立,是為帝顓頊也。帝顓頊者,黄帝之孫而昌意之子也。静淵以有謀,疏通而知事;養材以任地,載時以象天,依鬼神以制義,治気以教化,絜誠以祭祀。北至于幽陵,南至于交阯,西至于流沙,東至于蟠木。動静之物,大小之神,日月所照,莫不砥属。帝顓頊生子曰窮蝉。顓頊崩,而玄囂之孫高辛立,是為帝嚳。帝嚳者,黄帝之曽孫也。高辛父曰蟜極,蟜極父曰玄囂,玄囂父曰黄帝。自玄囂与蟜極皆不得在位,至高辛即帝位。高辛於顓頊為族子。高辛生而神霊,自言其名。普施利物,不於其身。聰以知遠,明以察微。順天之義,知民之急。仁而威,恵而信,脩身而天下服。取地之財而節用之,撫教万民而利誨之,暦日月而迎送之,明鬼神而敬事之。其色郁郁,其徳嶷嶷。其動也時,其服也士。帝嚳溉執中而遍天下,日月所照,風雨所至,莫不従服。帝嚳娶陳鋒氏女,生放勲。娶娵訾氏女,生摯。帝嚳崩,而摯代立。帝摯立,不善,崩。而弟放勲立,是為帝堯。

書き下し

黄帝軒轅の丘に居り、西陵の女を娶る。是を嫘祖と為す。嫘祖黄帝の正妃と為り、二子を生む。其の後皆天下を有つ。其の一を玄囂と曰ふ、是を青陽と為す。青陽降りて江水に居る。其の二を昌意と曰ふ、降りて若水に居る。昌意蜀山氏の女を娶る、昌僕と曰ふ。高陽を生む。高陽に聖徳有り。黄帝崩じ、橋山に葬る。其の孫、昌意の子高陽立つ。是を帝顓頊と為すなり。帝顓頊は、黄帝の孫にして昌意の子なり。静淵にして以て謀有り、疏通にして事を知る。材を養ひて以て地に任じ、時を載せて以て天に象り、鬼神に依りて以て義を制し、気を治めて以て教化し、誠を絜くして以て祭祀す。北は幽陵に至り、南は交阯に至り、西は流沙に至り、東は蟠木に至る。動静の物、大小の神、日月の照らす所、砥属せざる莫し。帝顓頊子を生む、窮蟬と曰ふ。顓頊崩じて、玄囂の孫高辛立つ。是を帝嚳と為す。帝嚳は、黄帝の曾孫なり。高辛の父を蟜極と曰ひ、蟜極の父を玄囂と曰ひ、玄囂の父を黄帝と曰ふ。玄囂と蟜極とより皆位に在るを得ず、高辛に至りて帝位に即く。高辛は顓頊に於て族子為り。高辛生まれながらにして神霊、自ら其の名を言ふ。普く施して物を利し、其の身に於てせず。聡にして以て遠きを知り、明にして以て微を察す。天の義に順ひ、民の急を知る。仁にして威あり、恵にして信あり、身を脩めて天下服す。地の財を取りて之を節用し、万民を撫教して之を利誨し、日月を暦して之を迎送し、鬼神を明らかにして之に敬事す。其の色郁郁、其の徳嶷嶷。其の動くや時、其の服するや士。帝嚳は中を溉執して天下に徧く、日月の照らす所、風雨の至る所、従服せざる莫し。帝嚳陳鋒氏の女を娶り、放勲を生む。娵訾氏の女を娶り、摯を生む。帝嚳崩じて、摯代はりて立つ。帝摯立ちて、善からず、崩ず。而して弟放勲立つ。是を帝堯と為す。

現代語訳

黄帝は軒轅の丘に住み、西陵氏の娘を娶った。これが嫘祖(るいそ)である。嫘祖は黄帝の正妃となり、二人の子を生んだ。その子孫はみな天下を治めた。一人を玄囂(げんごう)といい、これが青陽である。青陽は江水のほとりに下って住んだ。もう一人を昌意といい、若水のほとりに下って住んだ。昌意は蜀山氏の娘の昌僕を娶り、高陽を生んだ。高陽には聖人の徳があった。黄帝が崩じ、橋山に葬られた。その孫で昌意の子の高陽が立った。これが帝顓頊(せんぎょく)である。帝顓頊は黄帝の孫で昌意の子である。物静かで深みがあって謀に富み、物事によく通じて事理をわきまえていた。産物を育てて土地の力を生かし、季節の巡りを記して天の運行に倣い、鬼神に則って道義を定め、五行の気を整えて民を教化し、心を清めて祭祀を行った。その徳の及ぶところは、北は幽陵、南は交阯(こうし、今のベトナム北部)、西は流沙、東は蟠木に至った。動くものも動かぬものも、大小の神々も、日月の照らすところで平らかに従わないものはなかった。帝顓頊は窮蟬(きゅうせん)という子を生んだ。顓頊が崩じると、玄囂の孫の高辛が立った。これが帝嚳(こく)である。帝嚳は黄帝の曾孫である。高辛の父を蟜極(きょうきょく)といい、蟜極の父を玄囂といい、玄囂の父が黄帝である。玄囂と蟜極はいずれも帝位に就けず、高辛に至って帝位に即いた。高辛は顓頊から見て一族の甥にあたる。高辛は生まれつき霊妙で、自ら自分の名を言った。広く恵みを施して万物を利し、自分のためにはしなかった。耳ざとく遠くのことを知り、目ざとくかすかなことを見抜いた。天の道理に従い、民の差し迫った必要を知っていた。仁愛がありながら威厳があり、恵み深くありながら信義があり、自らの身を修めて天下を服させた。地の財を取っては節約して用い、万民をいたわり教えて利益を諭し、日月の運行を暦に定めて送り迎えし、鬼神の道を明らかにして敬い仕えた。その顔色は穏やかで、その徳は高くそびえていた。その行動は時にかない、その装いは士のそれであった。帝嚳は中正の道を守って天下にあまねく及ぼし、日月の照らすところ、風雨の至るところで従わないものはなかった。帝嚳は陳鋒氏の娘を娶って放勲(ほうくん)を生み、娵訾(しゅし)氏の娘を娶って摯(し)を生んだ。帝嚳が崩じると、摯が代わって立った。帝摯は立ったが善政を行えず、崩じた。そして弟の放勲が立った。これが帝堯である。

解説

黄帝から顓頊、帝嚳を経て堯に至る系譜の段です。系譜の羅列に見えますが、司馬遷は顓頊と帝嚳それぞれに徳目を並べ、どんな資質の人が天下を治めたのかを描き分けています。顓頊は「静かで深く、謀があり、事理に通じる」人、帝嚳は「恵みを自分のためにせず、遠くを知り微を察し、仁と威、恵と信を兼ねる」人です。一方で、帝嚳の子の摯は善政を行えずに終わり、弟の放勲すなわち堯に位が移ります。血筋が良くても力量がなければ続かない、という後の禅譲の話への伏線とも読めます。今の組織に置き換えると、優れたリーダー像は一つではなく、静かに考え抜く型も、広く目配りして恵みを分ける型もあります。ただ、どの型にも共通するのは、自分の身を修めることと、民すなわち現場の差し迫った必要を知っていることでしょう。

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