史記 / 五帝本紀
象曰:「本謀者象。」象與其父母分,於是曰:「舜妻堯二女與琴,象取之;牛羊倉廩,予父母。」象乃止舜宮居,鼓其琴。舜往見之。象鄂不懌,曰:「我思舜正鬱陶!」舜曰:「然,爾其庶矣!」舜復事瞽叟,愛弟彌謹。於是堯乃試舜五典百官,皆治。昔高陽氏有才子八人,世得其利,謂之「八愷」。高辛氏有才子八人,世謂之「八元」。此十六族者,世濟其美,不隕其名。至於堯,堯未能舉。舜舉八愷,使主后土,以揆百事,莫不時序。舉八元,使布五教于四方,父義,母慈,兄友,弟恭,子孝,內平外成。昔帝鴻氏有不才子,掩義隱賊,好行凶慝,天下謂之渾沌。少暤氏有不才子,毀信惡忠,崇飾惡言,天下謂之窮奇。顓頊氏有不才子,不可教訓,不知話言,天下謂之檮杌。此三族世憂之。至于堯,堯未能去。縉雲氏有不才子,貪于飲食,冒于貨賄,天下謂之饕餮。天下惡之,比之三凶。舜賓於四門,乃流四凶族,遷于四裔,以御螭魅,於是四門辟,言毋凶人也。舜入于大麓,烈風雷雨不迷,堯乃知舜之足授天下。堯老,使舜攝行天子政,巡狩。舜得舉,用事二十年,而堯使攝政。攝政八年而堯崩。三年喪畢,讓丹朱,天下歸舜。而禹、皋陶、契、后稷、伯夷、夔、龍、倕、益、彭祖自堯時而皆舉用,未有分職。
新字:象曰:「本謀者象。」象与其父母分,於是曰:「舜妻堯二女与琴,象取之;牛羊倉廩,予父母。」象乃止舜宮居,鼓其琴。舜往見之。象鄂不懌,曰:「我思舜正鬱陶!」舜曰:「然,爾其庶矣!」舜復事瞽叟,愛弟弥謹。於是堯乃試舜五典百官,皆治。昔高陽氏有才子八人,世得其利,謂之「八愷」。高辛氏有才子八人,世謂之「八元」。此十六族者,世済其美,不隕其名。至於堯,堯未能舉。舜舉八愷,使主后土,以揆百事,莫不時序。舉八元,使布五教于四方,父義,母慈,兄友,弟恭,子孝,内平外成。昔帝鴻氏有不才子,掩義隠賊,好行凶慝,天下謂之渾沌。少暤氏有不才子,毀信悪忠,崇飾悪言,天下謂之窮奇。顓頊氏有不才子,不可教訓,不知話言,天下謂之檮杌。此三族世憂之。至于堯,堯未能去。縉雲氏有不才子,貪于飲食,冒于貨賄,天下謂之饕餮。天下悪之,比之三凶。舜賓於四門,乃流四凶族,遷于四裔,以御螭魅,於是四門辟,言毋凶人也。舜入于大麓,烈風雷雨不迷,堯乃知舜之足授天下。堯老,使舜摂行天子政,巡狩。舜得舉,用事二十年,而堯使摂政。摂政八年而堯崩。三年喪畢,譲丹朱,天下帰舜。而禹、皋陶、契、后稷、伯夷、夔、竜、倕、益、彭祖自堯時而皆舉用,未有分職。
書き下し
象曰く、「本謀る者は象なり」と。象其の父母と分かち、是に於て曰く、「舜の妻、堯の二女と琴とは、象之を取らん。牛羊倉廩は、父母に予へん」と。象乃ち舜の宮に止まりて居り、其の琴を鼓す。舜往きて之を見る。象鄂きて懌ばず、曰く、「我舜を思ひて正に鬱陶たり」と。舜曰く、「然り、爾其れ庶からんか」と。舜復た瞽叟に事へ、弟を愛すること彌謹む。是に於て堯乃ち舜を五典百官に試むるに、皆治まる。昔高陽氏に才子八人有り、世其の利を得、之を八愷と謂ふ。高辛氏に才子八人有り、世之を八元と謂ふ。此の十六族は、世其の美を済し、其の名を隕さず。堯に至るまで、堯未だ挙ぐる能はず。舜八愷を挙げ、后土を主らしめ、以て百事を揆らしむるに、時序せざる莫し。八元を挙げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝にして、内平らかに外成る。昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隠し、好んで凶慝を行ふ。天下之を渾沌と謂ふ。少暤氏に不才の子有り、信を毀り忠を悪み、悪言を崇飾す。天下之を窮奇と謂ふ。顓頊氏に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず。天下之を檮杌と謂ふ。此の三族は世之を憂ふ。堯に至るまで、堯未だ去る能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食を貪り、貨賄を冒す。天下之を饕餮と謂ふ。天下之を悪み、之を三凶に比す。舜四門に賓し、乃ち四凶族を流し、四裔に遷し、以て螭魅を御がしむ。是に於て四門辟き、凶人毋きを言ふなり。舜大麓に入り、烈風雷雨にも迷はず。堯乃ち舜の天下を授くるに足るを知る。堯老い、舜をして天子の政を摂行し、巡狩せしむ。舜挙げられ、事を用ゐること二十年にして、堯摂政せしむ。摂政すること八年にして堯崩ず。三年の喪畢はり、丹朱に譲るも、天下舜に帰す。而して禹・皋陶・契・后稷・伯夷・夔・龍・倕・益・彭祖は堯の時より皆挙用せらるるも、未だ職を分かつこと有らず。
現代語訳
象は言った。「もともと計略を立てたのは私だ。」象は父母と財産を分け、こう言った。「舜の妻である堯の二人の娘と琴は私がもらう。牛や羊、倉は父母に差し上げよう。」象はそのまま舜の家に住みつき、舜の琴を弾いていた。そこへ舜が訪ねて来た。象はぎょっとして不機嫌になり、「兄さんのことを思って、ちょうどふさぎこんでいたところだ」と言った。舜は「そうか。おまえは本当に兄思いだな」と言った。舜は再び瞽叟に仕え、弟をいっそう慎み深く慈しんだ。そこで堯は舜に五つの教え(五典)と百官の統率を試させたところ、どれもよく治まった。昔、高陽氏(顓頊)には才能ある子孫八人がいて、世の人々はその恩恵を受け、八愷(はちがい)と呼んだ。高辛氏(帝嚳)にも才能ある子孫八人がいて、世の人々は八元と呼んだ。この十六の一族は代々その美徳を受け継ぎ、名を落とさなかった。しかし堯の代になっても、堯は彼らを登用できていなかった。舜は八愷を登用して土地の管理をつかさどらせ、諸事を取りはからわせたところ、すべてが時宜にかなって整った。八元を登用して、五つの教えを四方に広めさせた。父は義にかない、母は慈しみ深く、兄は友愛を示し、弟は恭しく、子は孝行となり、国内は平らかに、国外も治まった。昔、帝鴻氏(黄帝)には不肖の子孫がいて、正義を覆い隠して悪人をかくまい、好んで凶悪なことを行った。天下の人々はこれを渾沌(こんとん)と呼んだ。少暤(しょうこう)氏にも不肖の子孫がいて、信義を損ない忠義を憎み、悪口を飾り立てた。天下はこれを窮奇(きゅうき)と呼んだ。顓頊氏にも不肖の子孫がいて、教え諭すことができず、善い言葉をわきまえなかった。天下はこれを檮杌(とうこつ)と呼んだ。この三つの一族を世の人々は代々憂えていた。堯の代になっても、堯は彼らを退けられていなかった。縉雲(しんうん)氏にも不肖の子孫がいて、飲食をむさぼり、財貨を欲しがった。天下はこれを饕餮(とうてつ)と呼んだ。天下の人々はこれを憎み、先の三凶と並べて数えた。舜は都の四方の門で諸侯を迎える役目についていたが、そこでこの四凶族を流して辺境に移し、魑魅魍魎(山川の化け物)を防がせた。こうして四方の門は開かれ、凶悪な者はいなくなったと言われた。舜は大きな山林に入り、激しい風や雷雨にあっても迷わなかった。堯はそこで、舜が天下を授けるに足る人物であると知った。堯は老い、舜に天子の政治を代行させ、巡狩させた。舜は登用されて二十年政務にあたり、堯は舜に摂政させた。摂政して八年で堯は崩じた。三年の喪が明け、舜は丹朱に位を譲ろうとしたが、天下は舜に帰した。禹・皋陶(こうよう)・契(せつ)・后稷(こうしょく)・伯夷・夔(き)・龍・倕(すい)・益・彭祖は、堯の時代からみな登用されていたが、まだ職務は分けられていなかった。
解説
関連する章句
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史記 五帝本紀正月上日、舜終を文祖に受く。文祖は、堯の大祖なり。是に於て帝堯老い、舜に命じて天子の政を摂行せしめ、以て天命を観る。舜乃ち璿璣玉衡を在て、以て七政を斉ふ。遂に上帝に類し、六宗に禋し、山川に望し、羣神に辯す。五瑞を揖め、吉月日を択び、四嶽・諸牧に見え、瑞を班つ。歳の二月、東に巡狩し、岱宗に至り、祡し、山川に望秩す。遂に東方の君長に見え、時月を合はせ日を正し、律度量衡を同じくし、五礼・五玉・三帛・二生・一死を脩めて摯と為し、五器の如きは、卒へて乃ち復す。五月、南に巡狩し、八月、西に巡狩し、十一月、北に巡狩す。皆初めの如し。帰りて、祖禰の廟に至り、特牛の礼を用ゐる。五歳に一たび巡狩し、羣后は四たび朝す。徧く告ぐるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。肇めて十有二州とし、川を決す。象るに典刑を以てし、流して五刑を宥し、鞭を官刑と作し、扑を教刑と作し、金を贖刑と作す。眚烖の過は赦し、怙終の賊は刑す。欽しめや、欽しめや、惟れ刑を之れ静かにせよ。讙兜共工を進言し、堯曰く不可なりと。而して之を工師に試みるに、共工果たして淫辟なり。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしめんとし、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ。之を試みて功無く、故に百姓便ならず。三苗江淮・荊州に在りて数乱を為す。是に於て舜帰りて帝に言ひ、共工を幽陵に流して、以て北狄を変ぜしめ、驩兜を崇山に放ちて、以て南蛮を変ぜしめ、三苗を三危に遷して、以て西戎を変ぜしめ、鯀を羽山に殛して、以て東夷を変ぜしめんことを請ふ。四辠して天下咸服す。堯立ちて七十年にして舜を得、二十年にして老い、舜をして天子の政を摂行せしめ、之を天に薦む。堯位を辟くること凡そ二十八年にして崩ず。百姓悲哀し、父母を喪ふが如し。三年、四方楽を挙ぐる莫く、以て堯を思ふ。
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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史記 五帝本紀是に於て舜乃ち文祖に至り、四嶽に謀り、四門を辟き、四方の耳目を明通し、十二牧に命じて帝徳を論ぜしめ、厚徳を行ひ、佞人を遠ざくれば、則ち蛮夷率ゐ服す。舜四嶽に謂ひて曰く、「能く庸を奮ひて堯の事を美くする者有らば、官に居りて事を相けしめん」と。皆曰く、「伯禹司空と為らば、帝の功を美くす可し」と。舜曰く、「嗟、然り。禹、汝水土を平らげよ、維れ是れ勉めよ」と。禹拝稽首して、稷・契と皋陶とに譲る。舜曰く、「然り、往け」と。舜曰く、「棄、黎民始めて飢う。汝后稷となり、時に百穀を播け」と。舜曰く、「契、百姓親しまず、五品馴れず。汝司徒と為りて、敬みて五教を敷け、寛に在れ」と。舜曰く、「皋陶、蛮夷夏を猾し、寇賊姦軌す。汝士と作れ。五刑に服有り、五服に三就あり。五流に度有り、五度に三居あり。維れ明らかなれば能く信ぜられん」と。舜曰く、「誰か能く予が工を馴めん」と。皆曰く垂可なりと。是に於て垂を以て共工と為す。舜曰く、「誰か能く予が上下の草木鳥獣を馴めん」と。皆曰く益可なりと。是に於て益を以て朕が虞と為す。益拝稽首して、諸臣朱虎・熊羆に譲る。舜曰く、「往け、汝諧へり」と。遂に朱虎・熊羆を以て佐と為す。舜曰く、「嗟、四嶽、能く朕が三礼を典る有るか」と。皆曰く伯夷可なりと。舜曰く、「嗟、伯夷、汝を以て秩宗と為す。夙夜維れ敬み、直にして維れ静絜なれ」と。伯夷夔・龍に譲る。舜曰く、「然り。夔を以て典楽と為し、稺子に教へしむ。直にして温、寛にして栗、剛にして虐なる毋く、簡にして傲なる毋からしめよ。詩は意を言ひ、歌は言を長くし、声は永に依り、律は声を和す。八音能く諧ひ、相倫を奪ふ毋くんば、神人以て和せん」と。夔曰く、「於、予石を撃ち石を拊てば、百獣率ゐ舞ふ」と。舜曰く、「龍、朕讒説の殄偽にして、朕が衆を振驚するを畏忌す。汝に命じて納言と為す。夙夜朕が命を出入し、惟れ信あれ」と。舜曰く、「嗟、女二十有二人、敬めよや、惟れ時に天事を相けよ」と。三歳に一たび功を考へ、三たび考へて絀陟す。遠近の衆功咸興る。三苗を分北す。
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史記 五帝本紀此の二十二人咸厥の功を成す。皋陶大理と為りて、平らかにして、民各其の実を得るに伏す。伯夷礼を主りて、上下咸譲る。垂工師を主りて、百工功を致す。益虞を主りて、山沢辟く。棄稷を主りて、百穀時に茂る。契司徒を主りて、百姓親和す。龍賓客を主りて、遠人至る。十二牧行ひて九州敢へて辟違する莫し。唯だ禹の功を大なりと為す。九山を披き、九沢を通じ、九河を決し、九州を定め、各其の職を以て来貢し、厥の宜しきを失はず。方五千里、荒服に至る。南は交阯・北発を撫し、西は戎・析枝・渠廋・氐・羌、北は山戎・発・息慎、東は長・鳥夷、四海の内咸帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九招の楽を興し、異物を致し、鳳皇来翔す。天下の明徳は皆虞帝より始まる。舜年二十にして孝を以て聞こえ、年三十にして堯之を挙げ、年五十にして天子の事を摂行し、年五十八にして堯崩じ、年六十一にして堯に代はりて帝位を践む。帝位を践むこと三十九年、南に巡狩し、蒼梧の野に崩ず。江南の九疑に葬る、是を零陵と為す。舜の帝位を践むや、天子の旗を載せ、往きて父瞽叟に朝し、夔夔として唯れ謹み、子の道の如くす。弟象を封じて諸侯と為す。舜の子商均も亦不肖なり。舜乃ち豫め禹を天に薦む。十七年にして崩ず。三年の喪畢はり、禹も亦乃ち舜の子に譲ること、舜の堯の子に譲るが如し。諸侯之に帰し、然る後に禹天子の位を践む。堯の子丹朱、舜の子商均、皆疆土有りて、以て先祀を奉ず。其の服を服し、礼楽之の如くす。客を以て天子に見え、天子臣とせず、敢へて専らにせざるを示すなり。黄帝より舜・禹に至るまで、皆姓を同じくして其の国号を異にし、以て明徳を章らかにす。故に黄帝を有熊と為し、帝顓頊を高陽と為し、帝嚳を高辛と為し、帝堯を陶唐と為し、帝舜を有虞と為す。帝禹は夏后と為りて氏を別にし、姓は姒氏なり。
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史記 五帝本紀堯曰く、「鯀は命に負き族を毀る、不可なり」と。嶽曰く、「异なるかな、試みて用ゐる可からずんば已まんのみ」と。堯是に於て嶽に聴きて鯀を用ゐる。九載にして、功用成らず。堯曰く、「嗟、四嶽、朕位に在ること七十載、汝能く命を庸ゐ、朕が位を践まんか」と。嶽応へて曰く、「鄙徳にして帝位を忝くせん」と。堯曰く、「悉く貴戚及び疏遠隠匿なる者を挙げよ」と。衆皆堯に言ひて曰く、「矜なる有りて民間に在り、虞舜と曰ふ」と。堯曰く、「然り、朕之を聞けり。其れ何如」と。嶽曰く、「盲者の子なり。父は頑、母は嚚、弟は傲なるも、能く和するに孝を以てし、烝烝として治め、姦に至らしめず」と。堯曰く、「吾其れ試みんかな」と。是に於て堯之に二女を妻はせ、其の徳を二女に観る。舜二女を嬀汭に飭め下し、婦の礼の如くせしむ。
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史記 夏本紀言の如くならずんば、刑之に従ふ。舜の徳大いに明らかなり。是に於て夔楽を行ひ、祖考至り、羣后相譲り、鳥獣翔り舞ひ、九成して、鳳皇来儀し、百獣率ゐ舞ひ、百官信に諧ふ。帝此を用て歌を作りて曰く、「天の命を陟ぐるは、維れ時維れ幾」と。乃ち歌ひて曰く、「股肱喜べば、元首起こり、百工熙まる」と。皋陶拝手稽首し揚言して曰く、「念へや、率ゐて事を興すを為し、乃の憲を慎め、敬めや」と。乃ち更めて歌を為りて曰く、「元首明らかなれば、股肱良く、庶事康し」と。「元首叢脞なれば、股肱惰り、万事墮る」と。帝拝して曰く、「然り、往きて欽めや」と。是に於て天下皆禹の明らかなる度数声楽を宗とし、山川の神主と為す。帝舜禹を天に薦め、嗣と為す。十七年にして帝舜崩ず。三年の喪畢はり、禹辞して舜の子商均に辟けて陽城に居る。天下の諸侯皆商均を去りて禹に朝す。禹是に於て遂に天子の位に即き、南面して天下を朝せしめ、国を夏后と号し、姓は姒氏なり。帝禹立ちて皋陶を挙げて之を薦め、且つ政を授けんとするも、皋陶卒す。皋陶の後を英・六に封じ、或いは許に在り。而して后益を挙げ、之に政を任ず。
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