呻吟語 / 外篇・聖賢・書は盡くは信ず可からず
二女試舜,所謂書不可盡信也,且莫說玄德升聞,四岳共薦。以聖人遇聖人,一見而人品可定,一語而心理相符,又何須試? 即帝艱知人,還須一試,假若舜不能諧二女,將若之何?是堯輕視骨肉,而以二女為市貨也,有是哉?
新字:二女試舜,所謂書不可尽信也,且莫説玄徳升聞,四岳共薦。以聖人遇聖人,一見而人品可定,一語而心理相符,又何須試? 即帝艱知人,還須一試,仮若舜不能諧二女,将若之何?是堯軽視骨肉,而以二女為市貨也,有是哉?
書き下し
二女の舜を試むるは、所謂る書は盡くは信ず可からざるなり。且く玄德升聞、四岳共に薦むるを說く莫かれ。聖人を以て聖人に遇へば、一見して人品定む可く、一語して心理相符す。又た何ぞ試むるを須ひん。即ち帝人を知るに艱ければ、還た一試を須ふとも、假若し舜二女を諧はすること能はずんば、將に之を若何せんとす。是れ堯は骨肉を輕視して、二女を以て市貨と為すなり。是れ有らんや。
現代語訳
二人の娘に舜を試させたという話は、書物をすべて信じてはならないという例です。玄徳が上に聞こえ四岳がそろって推薦したことはひとまず措きましょう。聖人が聖人に会えば、一目で人柄が定まり、一言で心と理が合います。どうして試す必要があるでしょうか。仮に帝が人を知るのが難しく、一度試す必要があったとしても、もし舜が二人の娘とうまくいかなかったらどうするのでしょうか。それでは堯が骨肉を軽んじ、二人の娘を売り物にしたことになります。そんなことがあるでしょうか。
解説
堯が娘二人を舜に嫁がせて試したという有名な話を、疑います。理由は二つで、聖人同士なら試す必要が無いことと、失敗した場合に娘が犠牲になることです。とくに後者が鋭く、試すという行為の代価を問うています。書物を無批判に信じないという姿勢が、具体的な検証として示された一段です。書物を無批判に信じない姿勢が、検証として示されます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
疑書堯舜検証代価批判
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