明君家訓 / 第15条二
時頼は其頃天下の執權職にて、かやうに無造作にして、身榮輝なきふるまひ、是に過たる事や候べき、無比類殊勝の儀に候、時頼程の人にかやうのためし、異國にも不承及事に候、土器につきたる味噌をなめて酒をのむやうのことは、今の世には下蔭さへ不仕事にて候へば、まして少しの所帶をも持候もの、おもひもよらず候、少し有酒をともにのまんとて、はやくも思ひつけてよばれしをば、宣時もさぞうれしく思ふべく候、惣じて人に物を贈り候にも、ふるまひ候にも、不圖おもひ付候て、手がるくいたし候こそ、誠の志はあらはれ候、こと〱しくとりつくろひたるは輕薄に見へて面白からず候、友だちのまじはりは、たゞ禮法正しくして、しかもをのづからしたしみあるこそ、いくたびもあかぬものにて候、宣時が夜ともいはず、直垂とり求めしを、時頼もおそきにてはや推はかりて、其儘まかられよといひをこせられしにて、其比の風俗かりそめにも作法の正しき事をしりぬ、又時頼のてうしに、土器自身もて出られしこそ、これに過たる馳走や有べき、扱、なへてこそあれ急度直垂着て、土器の味噌をなめし宣時が有樣、たぐひなくやさしく覺へ候、人のしづまりぬる、おこさどりしも下をいたはりし有樣に候、士のまじはりは、今とてもかやうに有たきものにて候、
新字:時頼は其頃天下の執権職にて、かやうに無造作にして、身栄輝なきふるまひ、是に過たる事や候べき、無比類殊勝の儀に候、時頼程の人にかやうのためし、異国にも不承及事に候、土器につきたる味噌をなめて酒をのむやうのことは、今の世には下蔭さへ不仕事にて候へば、まして少しの所帯をも持候もの、おもひもよらず候、少し有酒をともにのまんとて、はやくも思ひつけてよばれしをば、宣時もさぞうれしく思ふべく候、惣じて人に物を贈り候にも、ふるまひ候にも、不図おもひ付候て、手がるくいたし候こそ、誠の志はあらはれ候、こと〱しくとりつくろひたるは軽薄に見へて面白からず候、友だちのまじはりは、たゞ礼法正しくして、しかもをのづからしたしみあるこそ、いくたびもあかぬものにて候、宣時が夜ともいはず、直垂とり求めしを、時頼もおそきにてはや推はかりて、其儘まかられよといひをこせられしにて、其比の風俗かりそめにも作法の正しき事をしりぬ、又時頼のてうしに、土器自身もて出られしこそ、これに過たる馳走や有べき、扱、なへてこそあれ急度直垂着て、土器の味噌をなめし宣時が有様、たぐひなくやさしく覚へ候、人のしづまりぬる、おこさどりしも下をいたはりし有様に候、士のまじはりは、今とてもかやうに有たきものにて候、
書き下し
時頼は其頃天下の執權職にて、かやうに無造作にして、身榮輝なきふるまひ、是に過たる事や候べき、無比類殊勝の儀に候、時頼程の人にかやうのためし、異國にも不承及事に候、土器につきたる味噌をなめて酒をのむやうのことは、今の世には下蔭さへ不仕事にて候へば、まして少しの所帶をも持候もの、おもひもよらず候、少し有酒をともにのまんとて、はやくも思ひつけてよばれしをば、宣時もさぞうれしく思ふべく候、惣じて人に物を贈り候にも、ふるまひ候にも、不圖おもひ付候て、手がるくいたし候こそ、誠の志はあらはれ候、こと〱しくとりつくろひたるは輕薄に見へて面白からず候、友だちのまじはりは、たゞ禮法正しくして、しかもをのづからしたしみあるこそ、いくたびもあかぬものにて候、宣時が夜ともいはず、直垂とり求めしを、時頼もおそきにてはや推はかりて、其儘まかられよといひをこせられしにて、其比の風俗かりそめにも作法の正しき事をしりぬ、又時頼のてうしに、土器自身もて出られしこそ、これに過たる馳走や有べき、扱、なへてこそあれ急度直垂着て、土器の味噌をなめし宣時が有樣、たぐひなくやさしく覺へ候、人のしづまりぬる、おこさどりしも下をいたはりし有樣に候、士のまじはりは、今とてもかやうに有たきものにて候、
現代語訳
時頼はそのころ天下の執権職であって、このように無造作で、わが身の栄えを飾らないふるまいは、これ以上のことがあろうか。比類なく殊勝なことである。時頼ほどの人にこのような例は、異国にも聞いたことがない。土器についた味噌をなめて酒を飲むようなことは、今の世では身分の低い者でさえしないことで、まして少しでも所帯を持つ者には思いもよらない。少しある酒を共に飲もうと、早くも思いついて呼ばれたのを、宣時もさぞ嬉しく思ったであろう。総じて人に物を贈るにも、ふるまうにも、ふと思いついて気軽にするところにこそ、誠の志が表れる。ことごとしく取りつくろったのは、軽薄に見えて面白くない。友人の交わりは、ただ礼法が正しく、しかも自然と親しみがあるものこそ、いくたびもあきないものである。宣時が夜ともいわず直垂を探し求めているのを、時頼も遅いのでもう推し量って、そのまま参られよと言ってよこされたことで、そのころの風俗は、かりそめにも作法の正しかったことがわかる。また時頼が、銚子に土器を自ら持ち出されたことこそ、これ以上の馳走があるだろうか。さて、よれたままであればよいところを、きちんと直垂を着て、土器の味噌をなめた宣時のありさまは、たぐいなく優雅に思える。人が寝静まったろうとして、使いの者を起こさなかったのも、下の者をいたわったありさまである。士の交わりは、今も、このようにありたいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志耋録 第三百三十四条 人道は誠敬のみ人道は只だ是れ誠敬のみ。生きては既に生を全うし、死しては乃ち死に安んず。敬よりして誠なり。生死は天より来る、順ひて之を受く。誠よりして敬なり。夫の短長を較べ、苦楽を説くに至りては、則ち竟に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の遺念無きのみ。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一およそ人の一念の不善も、かならず天に通ずる理あり。天は高きに居て、ひききに聞くといへり。上天を欺くべからず。おそるべし。人をあざむけば、つひに其、偽あらはる。内に誠あれば、必外にあらはるといへり。下人をあざむくべからず。恥づべし。天を欺き、人をあざむくは、共に我が心を欺くによれり。我が心に不善と知りながら、これを行ふ、是自欺なり。我が心あざむくべからず。およそ、天と人と我が心と、皆あざむくべからず。唯一すぢに誠あるべし。ここを以て、君子の心は、つねに青天白日の如くなり。小人の心は、常に陰暗くしてはかりがたし。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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言志四録・言志耋録 第百十条 一誠なれば陰陽の別無し己の陰事は、宜しく人の之を説くに任すべし。人の陰事は、我は則ち説くべからず。我の為す所、只だ是れ一誠ならば、則ち実に陰陽の別無きのみ。
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