明君家訓 / 第15条一
家中の士つね〱寄會の料理、内々定め置候とをり、一汁一菜、それも成程麁相にこへたる儀は無之候、鹽梅とりあひのよきあしきは、さのみ挨拶にも及まじき事に候、士の寄會あそび候は、たがひにしたしみをもとめ、おもはくをのべ、異見をも聞て、かたりなぐさむ爲ばかりに候、馳走とは亭主の禮儀とゝのひ候て、ねんごろにもてなすをこそ申べく候、當代馳走とて、料理のとりあひ座上の物ずきなどに心をつくし、隙を費し候て何の爲に候や難心得候、北條時頼ある宵の間に、平宣時をよばるゝ事有しに、やがてと申ながら直垂のなくて、とかくせし程に、又使來て、もし直垂などのさふらはぬにや、夜なればことやう成共、とくとありしかば、なへたる直垂うち〱のまゝにてまかりたりしに、銚子に土器とり添てもて出で、此酒をひとり給んがさう〱しければ申つるなり、さかなこそなけれ、人はしづまりぬらん、さりぬべき物や有といづく迄も求めたまへと有しかば、しそくさしてくま〱をもとめし程に、臺所の棚に、土器に味噌の少しつきたるを見出で、これぞ求得てさふらふと申しかば、事たりなんとて、心よく數獻に及で、興に入られ侍りきと、吉田兼好がつれ〱に書のせ候、
新字:家中の士つね〱寄会の料理、内々定め置候とをり、一汁一菜、それも成程麁相にこへたる儀は無之候、塩梅とりあひのよきあしきは、さのみ挨拶にも及まじき事に候、士の寄会あそび候は、たがひにしたしみをもとめ、おもはくをのべ、異見をも聞て、かたりなぐさむ為ばかりに候、馳走とは亭主の礼儀とゝのひ候て、ねんごろにもてなすをこそ申べく候、当代馳走とて、料理のとりあひ座上の物ずきなどに心をつくし、隙を費し候て何の為に候や難心得候、北条時頼ある宵の間に、平宣時をよばるゝ事有しに、やがてと申ながら直垂のなくて、とかくせし程に、又使来て、もし直垂などのさふらはぬにや、夜なればことやう成共、とくとありしかば、なへたる直垂うち〱のまゝにてまかりたりしに、銚子に土器とり添てもて出で、此酒をひとり給んがさう〱しければ申つるなり、さかなこそなけれ、人はしづまりぬらん、さりぬべき物や有といづく迄も求めたまへと有しかば、しそくさしてくま〱をもとめし程に、台所の棚に、土器に味噌の少しつきたるを見出で、これぞ求得てさふらふと申しかば、事たりなんとて、心よく数献に及で、興に入られ侍りきと、吉田兼好がつれ〱に書のせ候、
書き下し
家中の士つね〱寄會の料理、内々定め置候とをり、一汁一菜、それも成程麁相にこへたる儀は無之候、鹽梅とりあひのよきあしきは、さのみ挨拶にも及まじき事に候、士の寄會あそび候は、たがひにしたしみをもとめ、おもはくをのべ、異見をも聞て、かたりなぐさむ爲ばかりに候、馳走とは亭主の禮儀とゝのひ候て、ねんごろにもてなすをこそ申べく候、當代馳走とて、料理のとりあひ座上の物ずきなどに心をつくし、隙を費し候て何の爲に候や難心得候、北條時頼ある宵の間に、平宣時をよばるゝ事有しに、やがてと申ながら直垂のなくて、とかくせし程に、又使來て、もし直垂などのさふらはぬにや、夜なればことやう成共、とくとありしかば、なへたる直垂うち〱のまゝにてまかりたりしに、銚子に土器とり添てもて出で、此酒をひとり給んがさう〱しければ申つるなり、さかなこそなけれ、人はしづまりぬらん、さりぬべき物や有といづく迄も求めたまへと有しかば、しそくさしてくま〱をもとめし程に、臺所の棚に、土器に味噌の少しつきたるを見出で、これぞ求得てさふらふと申しかば、事たりなんとて、心よく數獻に及で、興に入られ侍りきと、吉田兼好がつれ〱に書のせ候、
現代語訳
家中の士がふだん行う寄合の料理は、内々に定め置いたとおり、一汁一菜とし、それもできるだけ粗末にして、豪勢なことはしない。味加減や取り合わせの良し悪しは、挨拶に及ぶまでもないことである。士が寄り合って遊ぶのは、互いに親しみを求め、思うところを述べ、異見も聞き、語り合って慰めるためだけである。馳走とは、亭主の礼儀が整って、懇ろにもてなすことをいうのである。近ごろは馳走といって、料理の取り合わせや座敷の趣向に心を尽くし、暇を費やして、何のためなのか納得しがたい。北条時頼がある宵のうちに平宣時を呼ばれたことがあり、「すぐに」と言いながら直垂がなくて、あれこれしているうちに、また使いが来て、「もしや直垂などがないのではないか。夜だから、様子が変でも構わない、早く」とあったので、よれた直垂を普段のままで参上すると、銚子に土器を添えて持って出て、「この酒をひとりで飲むのがもの寂しいので呼んだ。肴はないが、人は寝静まっただろう、ちょうどよい物がないか、どこまでも探してくれ」とおっしゃったので、紙燭をともして隅々を探したところ、台所の棚に、土器に味噌が少しついたのを見つけ出し、「これを探し当てました」と申し上げると、「それで十分」と、気持ちよく数献に及び、興に入られた、と吉田兼好が『徒然草』に書き載せている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』內曲輪外曲輪御門番の事内曲輪にて供の者に笠を脱かする事内曲輪外曲輪の御門にては笠を脱がすへし、馬乗は片鐙を外つし、乗物は女中病人の外は戸を明くへし、箱根等の関所にてさへ辞儀有り、畢竟御城の廓門なる故礼儀斯の如くなるへし、古礼には公門に式すと云ふこと有るなり、近頃内曲輪にて供のものに日照笠をかふらせさすこと是れは聞えさること也、惣して供のものゝ日照笠をかふると云ふこと昔はなきことなり、御先々前御代に下々の炎天に頭を照らせらるゝを不憫に思召して上意あるより、承り伝へ人々炎天に笠をかふせたり、されとも屹としたる仰渡れもなけれは、二三年の間はかふらするものもあり、かふらせぬものもあり、その主人〳〵の心次第也、後は一同に風俗となりてかふせたり、されとも其主人かふれと云はされは下々もかふらす、是れ元来己か主人への礼儀にてかふらぬと云ふ事を下々も知りて斯の如し、屹としたる仰渡されなとも元来かふらぬこと故、飛越して公儀より仰渡さるゝ筋にもあらす、
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孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
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『酔古堂剣掃』集靈・終に泥塑の人と成る子弟の排場は、舉止有りて飛揚を謝すれば、纏頭の錦を博し難く、主賓の禦席は、廉隅を務めて蘊藉少なければ、終に泥塑の人と成る。
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『十七条憲法』第四条四に曰わく、群臣(まえつきみ)百寮(もものつかさ)、礼を以て本(もと)と為(せ)よ。其れ民を治むるの本、要(かなめ)は礼に在り。上(かみ)礼無くんば下(しも)斉(ととの)わず。下(しも)礼無くんば以て必ず罪有り。是(ここ)を以て、群臣礼有れば、位次(くらい)乱れず。百姓(ひゃくせい)礼有れば、国家(こっか)自(おのずか)ら治まる。
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『呻吟語』内篇・應務・相忘るるの怒詈相嫌ふの敬慎は、相忘るるの怒詈に若かず。
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『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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