明訓一班抄抄録 / 治に亂を忘るべからざる事・日ごろの心掛けなき者は非常時に役立たず
仝上意に、男の心を持たるがよし、歷々の者が女童子に氣を奪れて業平ものに成と見へたり、(女童子の譽を好む者は色白く柔弱成と美服を飾り、武士にて下品なるを上品とおもふ誤りなり、)左樣の風俗有之者は我かたく嫌ふなり、云々、昔よりの說に、武士臭きと味噌臭きはいけぬ者也と、下劣の言諺にも言なれど、夫は脇より見ての事にやあらん、定て公家評判ならん、武士は成ほど武士臭く、味噌は成程味噌臭くあれかしとぞ、云々、又一通の風義は常はともあれ自然の時にと言者あり、夫は平生武士道不心掛の言譯にて、非をかざると言物なり、其極意は武士道嫌ふ不心掛の事也、夫を立置は不吟味の將下にあるなり、常ゝ心掛ずして、俄になる事にては更になし、云々、武士たる者は壹本鑓の小身なりとも、武士の心を氣高く持て、十二三にもならば右之處へ心付能ゝ言聞せ、夫に移らずば出家か町人になしてしまふべし、さなくば左樣の者武門に有ては日本の患なり、云々、同上意に、治世たりといへども亂を忘るべからず、亂世たりといへども治を忘るべからざる事、大獻公にも、治世に亂を忘れずと云聖人の言葉、常ゝ其心掛を遊されけるよし、云々、大獻公、寬永二年諸士の甲冑馬具等を玄蕃頭に仰て改め見せしめ給ふ、其嚴重なるには御褒美として知行を加へさせられ、
新字:仝上意に、男の心を持たるがよし、歴々の者が女童子に気を奪れて業平ものに成と見へたり、(女童子の誉を好む者は色白く柔弱成と美服を飾り、武士にて下品なるを上品とおもふ誤りなり、)左様の風俗有之者は我かたく嫌ふなり、云々、昔よりの説に、武士臭きと味噌臭きはいけぬ者也と、下劣の言諺にも言なれど、夫は脇より見ての事にやあらん、定て公家評判ならん、武士は成ほど武士臭く、味噌は成程味噌臭くあれかしとぞ、云々、又一通の風義は常はともあれ自然の時にと言者あり、夫は平生武士道不心掛の言訳にて、非をかざると言物なり、其極意は武士道嫌ふ不心掛の事也、夫を立置は不吟味の将下にあるなり、常ゝ心掛ずして、俄になる事にては更になし、云々、武士たる者は壱本鑓の小身なりとも、武士の心を気高く持て、十二三にもならば右之処へ心付能ゝ言聞せ、夫に移らずば出家か町人になしてしまふべし、さなくば左様の者武門に有ては日本の患なり、云々、同上意に、治世たりといへども乱を忘るべからず、乱世たりといへども治を忘るべからざる事、大献公にも、治世に乱を忘れずと云聖人の言葉、常ゝ其心掛を遊されけるよし、云々、大献公、寛永二年諸士の甲冑馬具等を玄蕃頭に仰て改め見せしめ給ふ、其厳重なるには御褒美として知行を加へさせられ、
書き下し
仝上意に、男の心を持たるがよし、歷々の者が女童子に氣を奪れて業平ものに成と見へたり、(女童子の譽を好む者は色白く柔弱成と美服を飾り、武士にて下品なるを上品とおもふ誤りなり、)左樣の風俗有之者は我かたく嫌ふなり、云々、昔よりの說に、武士臭きと味噌臭きはいけぬ者也と、下劣の言諺にも言なれど、夫は脇より見ての事にやあらん、定て公家評判ならん、武士は成ほど武士臭く、味噌は成程味噌臭くあれかしとぞ、云々、又一通の風義は常はともあれ自然の時にと言者あり、夫は平生武士道不心掛の言譯にて、非をかざると言物なり、其極意は武士道嫌ふ不心掛の事也、夫を立置は不吟味の將下にあるなり、常ゝ心掛ずして、俄になる事にては更になし、云々、武士たる者は壹本鑓の小身なりとも、武士の心を氣高く持て、十二三にもならば右之處へ心付能ゝ言聞せ、夫に移らずば出家か町人になしてしまふべし、さなくば左樣の者武門に有ては日本の患なり、云々、同上意に、治世たりといへども亂を忘るべからず、亂世たりといへども治を忘るべからざる事、大獻公にも、治世に亂を忘れずと云聖人の言葉、常ゝ其心掛を遊されけるよし、云々、大獻公、寬永二年諸士の甲冑馬具等を玄蕃頭に仰て改め見せしめ給ふ、其嚴重なるには御褒美として知行を加へさせられ、
現代語訳
同じく上意に、男の心を持つのがよい。歴々の者が女や子どもに気を奪われて業平もの(色男風)になるようだ(女や子どもの誉れを好む者は、色白で柔弱な様子で美服を飾り、武士として下品なのを上品と思う誤りである)。そのような風俗の者は私が固く嫌うのである、云々。昔からの説に、武士臭いのと味噌臭いのはいけないというが、下劣な言い習わしにも言うことだが、それは傍から見てのことであろう、おそらく公家の評判であろう。武士はできるだけ武士臭く、味噌はできるだけ味噌臭くあってほしいものだ、とのことである、云々。また、普段の風儀はともかく、いざというときにという者がいる。それは平生武士道を心掛けない者の言い訳で、非を飾るというものである。その極意は武士道を嫌うことなのである。それをそのままにしておくのは、吟味を欠く将が上にいるのである。常々心掛けずに、にわかにできることでは決してない、云々。武士たる者は、一本槍の小身であっても、武士の心を気高く持ち、十二、三にもなったら右のことに気付かせてよく言い聞かせ、それに従わなければ出家か町人にしてしまうのがよい。そうでなければ、そのような者が武門にあっては日本の患いである、云々。同じく上意に、治世であっても乱を忘れてはならない、乱世であっても治を忘れてはならない。大献公(家光)も、治世に乱を忘れないという聖人の言葉を、常々心掛けておられたとのことである、云々。大献公は、寛永二年に諸士の甲冑や馬具などを玄蕃頭に仰せつけて改め見させ、その厳重な者には褒美として知行を加えられました。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。

人生を、一行の式にしてみた。
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