明訓一班抄抄録 / 治に亂を忘るべからざる事・平時にこそ軍法を忘れない家康の教え
東照宮の仰に、武家大將軍の三の寶と言は農工商なり、王法軍法に此寶を合て、五つの物は天下國家治亂の基なり、王法は則王道にて、聖敎の道をしたはるゝにて、我が神國の古き政を改めず、九重の內にまし〱玉坐を動かさずとも民の艱苦を知しめさるゝをいふ、軍法とは武將の業にして、(將軍家は勿論大將分の人也)治に亂を忘れざることを云也、仝上意に、亂世に武を嗜、珍しからず、譬へば鼠の人に捕はるゝを苦みて人に喰付が如く、治世に武道を嗜を、眞の武道を好む人と言べし、仝上意に、治國には武家の風公家の如く柔弱になり、武道を忘れ、ひとへに詩歌を專とし、我家業を廢る時は、家を亡す者なり、此理をしらずして、近代にも西國に大內、東國に上杉今川抔、武を失ひ、公家の如く成て亡しなり、云々、仝上意に、大將は文武一致を知り、軍法の二字に本付て、政道を立、各家職を勤め候者を用ゆべし、仝上意に、(台德公御いましめの上意なり)第一の肝要は武道怠らざる事ぞ、されば人の身命は生死をはかるに脈を取て手首一寸の中にて知るが如く、武家武道に怠るは身命の死脈と知れ、云々、同上意に、國家衰ん時は、主君柔弱美麗を好み、公家風の男、國の權柄を取て、終に家を破るものぞ、武家にて武道を好まざる者は本臆病なる者也、臆病なる者はもとがさつにして奢に強き者なり、侈り強き者は主よりも我威を振ふ物ぞ、同上意に、治世に武道を達するを眞の武士といへり、亂世に武道をかせぐは冬は寒をふせぎ夏は風を求るに同じ、然れども武道不案內の者は、咎なき他國を討取猥に戰をなす事をも武道と言と覺へたり、是武道に無用の事ぞ、云々、同上意に、將軍に仕へ武家の流をくむ者、武道を忘れざるが肝要也、云々、同上意に、武道は靜謐の世に亂を忘れず、我身の奢を絕て、慈悲を萬の根元として、我等家職を勤め、其家を無事に治るが、善人にて、忠信深き人也、云々、
新字:東照宮の仰に、武家大将軍の三の宝と言は農工商なり、王法軍法に此宝を合て、五つの物は天下国家治乱の基なり、王法は則王道にて、聖教の道をしたはるゝにて、我が神国の古き政を改めず、九重の内にまし〱玉坐を動かさずとも民の艱苦を知しめさるゝをいふ、軍法とは武将の業にして、(将軍家は勿論大将分の人也)治に乱を忘れざることを云也、仝上意に、乱世に武を嗜、珍しからず、譬へば鼠の人に捕はるゝを苦みて人に喰付が如く、治世に武道を嗜を、真の武道を好む人と言べし、仝上意に、治国には武家の風公家の如く柔弱になり、武道を忘れ、ひとへに詩歌を専とし、我家業を廃る時は、家を亡す者なり、此理をしらずして、近代にも西国に大内、東国に上杉今川抔、武を失ひ、公家の如く成て亡しなり、云々、仝上意に、大将は文武一致を知り、軍法の二字に本付て、政道を立、各家職を勤め候者を用ゆべし、仝上意に、(台徳公御いましめの上意なり)第一の肝要は武道怠らざる事ぞ、されば人の身命は生死をはかるに脈を取て手首一寸の中にて知るが如く、武家武道に怠るは身命の死脈と知れ、云々、同上意に、国家衰ん時は、主君柔弱美麗を好み、公家風の男、国の権柄を取て、終に家を破るものぞ、武家にて武道を好まざる者は本臆病なる者也、臆病なる者はもとがさつにして奢に強き者なり、侈り強き者は主よりも我威を振ふ物ぞ、同上意に、治世に武道を達するを真の武士といへり、乱世に武道をかせぐは冬は寒をふせぎ夏は風を求るに同じ、然れども武道不案内の者は、咎なき他国を討取猥に戦をなす事をも武道と言と覚へたり、是武道に無用の事ぞ、云々、同上意に、将軍に仕へ武家の流をくむ者、武道を忘れざるが肝要也、云々、同上意に、武道は静謐の世に乱を忘れず、我身の奢を絶て、慈悲を万の根元として、我等家職を勤め、其家を無事に治るが、善人にて、忠信深き人也、云々、
書き下し
東照宮の仰に、武家大將軍の三の寶と言は農工商なり、王法軍法に此寶を合て、五つの物は天下國家治亂の基なり、王法は則王道にて、聖敎の道をしたはるゝにて、我が神國の古き政を改めず、九重の內にまし〱玉坐を動かさずとも民の艱苦を知しめさるゝをいふ、軍法とは武將の業にして、(將軍家は勿論大將分の人也)治に亂を忘れざることを云也、仝上意に、亂世に武を嗜、珍しからず、譬へば鼠の人に捕はるゝを苦みて人に喰付が如く、治世に武道を嗜を、眞の武道を好む人と言べし、仝上意に、治國には武家の風公家の如く柔弱になり、武道を忘れ、ひとへに詩歌を專とし、我家業を廢る時は、家を亡す者なり、此理をしらずして、近代にも西國に大內、東國に上杉今川抔、武を失ひ、公家の如く成て亡しなり、云々、仝上意に、大將は文武一致を知り、軍法の二字に本付て、政道を立、各家職を勤め候者を用ゆべし、仝上意に、(台德公御いましめの上意なり)第一の肝要は武道怠らざる事ぞ、されば人の身命は生死をはかるに脈を取て手首一寸の中にて知るが如く、武家武道に怠るは身命の死脈と知れ、云々、同上意に、國家衰ん時は、主君柔弱美麗を好み、公家風の男、國の權柄を取て、終に家を破るものぞ、武家にて武道を好まざる者は本臆病なる者也、臆病なる者はもとがさつにして奢に強き者なり、侈り強き者は主よりも我威を振ふ物ぞ、同上意に、治世に武道を達するを眞の武士といへり、亂世に武道をかせぐは冬は寒をふせぎ夏は風を求るに同じ、然れども武道不案內の者は、咎なき他國を討取猥に戰をなす事をも武道と言と覺へたり、是武道に無用の事ぞ、云々、同上意に、將軍に仕へ武家の流をくむ者、武道を忘れざるが肝要也、云々、同上意に、武道は靜謐の世に亂を忘れず、我身の奢を絕て、慈悲を萬の根元として、我等家職を勤め、其家を無事に治るが、善人にて、忠信深き人也、云々、
現代語訳
東照宮の仰せに、武家・大将軍の三つの宝というのは農・工・商である。王法と軍法にこの宝を合わせた五つのものが、天下国家の治乱の基である。王法とは王道であり、聖教(聖人の教え)の道を慕われること、わが神国の古い政治を改めず、九重(宮中)にいらっしゃって玉座を動かさなくても民の艱苦をお知りになることをいう。軍法とは武将の務めであり(将軍家はもちろん、大将分の人のことである)、治に乱を忘れないことをいうのである。同じく上意に、乱世に武を嗜むのは珍しくない。たとえば、鼠が人に捕らえられて苦しむと人に食いつくようなものである。治世に武道を嗜む者を、真に武道を好む人というべきである。同じく上意に、治まっている国では、武家の風俗が公家のように柔弱になり、武道を忘れ、ひたすら詩歌を専らとして家業をおろそかにするときは、家を亡ぼす者である。この理を知らず、近代にも西国では大内、東国では上杉・今川などが武を失い、公家のようになって滅んだのである、云々。同じく上意に、大将は文武一致を知り、軍法の二字を根本として政道を立て、各々家職を勤める者を用いるべきである。同じく上意に(台徳公(秀忠)が戒められた上意である)、第一の肝要は武道を怠らないことである。人の身命の生死を測るのに脈を取って手首の一寸のうちで知るように、武家が武道を怠るのは身命の死脈と知れ、云々。同じく上意に、国家が衰えようとするときは、主君が柔弱で美麗を好み、公家風の男が国の権柄を取って、ついに家を破るものである。武家で武道を好まない者は、もともと臆病な者である。臆病な者はもともとがさつで、奢りに強い者である。奢り強い者は主君よりも自分の威を振るうものである。同じく上意に、治世に武道を達するのを真の武士という。乱世に武道を稼ぐのは、冬は寒さを防ぎ夏は風を求めるのと同じである。しかし、武道に不案内な者は、咎のない他国を討ち取って、みだりに戦をすることも武道と言うと覚えているようだ。これは武道に無用のことである、云々。同じく上意に、将軍に仕え武家の流れをくむ者は、武道を忘れないことが肝要である、云々。同じく上意に、武道とは、静謐の世に乱を忘れず、わが身の奢りを絶ち、慈悲をあらゆるものの根元として、自分たちの家職を勤め、その家を無事に治めるのが善人であり、忠信の深い人である、云々。
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・木刀をさす武士と外への備えの先手東照宮上意に、武家は武道を忘れざるが能ぞ、仔細は、太平なりとて、武家公家の如くに成て柔弱美麗を好むは、たとへば眞劔は用なしとて木刀をさすに似たり、又將軍を始め國主領主勇を好み軍法を不用は木刀を使ふに刀をさすに同じ、武道を好まずして柔弱を事とするは木刀に木小刀をさすに同じ、如斯の武士は、大身程味方にして災と成り、敵にして味方に大利あり、又小身たりとも武道の達人は、敵にして慢られず、味方にして頼みあり、少人數にて大高の先手に用ひてもおしからず、大勢なりとて武道不案內の大將を先手に用る事なかれ、先手の大軍の崩れかゝりたるが味方の禍と成ば、自然の事有る時は先手を能ゝ詮議せよ、昔し異國より日本を攻んとはかる時は、武內大臣九州に有て夷國を押へられたるも、是則劔の利をかたどりての事なり、劔は切先のかねを第一に吟味するぞ、仔細は、切先は先早く逢て或は切り或は突き肝要の處なり、此故に日本の大先手に、神代には住吉大明神、人代に武內大臣を置れたるぞ、今以此心を失ふべからず、右にも云ひ聞せるが如く、異國亂るゝと聞ば、九州に能武將を撰み、異國を押させよ、日本中の軍は勝負ともに其一家ばかりの盛衰ぞ、和漢のあらそひは、負たる時は日本國の恥、勝てば日本の譽れぞ、異國の取あひ程大事なることなし、若し異國亂れば此心得にて押へを撰び給へといふとぞ、文永弘安に異國人渡りしも、日本數代治平の事を元の世祖聞、蒙古武勇に誇りての事ぞ、文錄の朝鮮征伐の事も、朝鮮數代治平成る故柔弱にして武道の事を忘れしと、秀吉武勇に誇られての事ぞ、然るに武道不案內のものは太平には武道を取失ひ彼の木刀を用ゆるに似たり、木刀も形は刀に似たれども眞の用には立ず、武道不案內の武士は形は武士にして用は百姓町人に劣れり、此故に武家武道に達するを家職を知るといふ、天下の大寶也、云々、」
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・家康の倹約と奢りへの戒め東照宮上意に、奢心なく物事儉約を用ひ、常に其程を能知るを、政道正しきと言なれば、下々は過分に知行其外給ひもの其程に施しあたふれば、奢者に引當て吝嗇の取沙汰致し候、古より賢者賢臣の過分に給り物萬事花麗の行はなく、身を愼み儉約を用ひし事に候、同上意に、我領分は勿論、其外天下せし以後、公料成し民百姓にても、我子孫萬代も願ふ由聞へあり、是三河以來の舊封にて年貢取箇の方諸家よりは少分に取候へと申付る故也、此時法を子孫迄第一に守るべき事なれども、太平打續上奢り下へつらひ國用乏しき風に至り、勘定奉行抔言者代官をせたげ、取箇にてすくなき時は不平の顏色をもて不勤などゝいはん、代官共も當時のなり合能樣に跡の事には構はず、法外に年貢取箇をまし百姓を困窮させ上をうとませ候樣致すべし、左樣の不了簡成勘定奉行を御爲などゝ言立、年寄共はじめ側近く勤むる者共立身を取持加增をも遣す樣に成などは、國家の衰微と知るべし、我百年の後にも天下兵軍起らん事は有べからず、只百姓の心はなれ上の冥加氣運も薄くならん事歎かはしき事也、箇樣の事中君より以下は執政の者も志し次第なり、水よく船を浮べ、水能船をくつがへす、たゞ此事を能く心得られよと、秀忠公え每度御敎訓なり、同上意に、人にも身にも去るべき物は奢りぞ、云々、同上意に、武道不案內成家は、諸士の風俗柔弱非義になりて武勇なければ、一戰に打負る時は罪なき嬰兒迄も一時に亡びぬるは古今ためし多し、武家に生れては武道に愚なるは鼠とらぬ猫の如し、公家と武家との替りは、譬へば金ならば、公家は金銀のごとし、武家は鐵に同じ、然るに人民金銀を好み、鐵の大寶なる事を知らず、鐵は寶器の本也、五穀を作り竹木を切とも朝夕の食を調へ尤天下國家の亂を拂ひ太平を致す事鐵の用多し、誠に大寶の長たるもの也、爰を不見付、
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『肝要工夫録』・治世の武道おそれ多き事ながら、神君の御敎に、亂世に武を嗜むは珍しからず、たとへば、鼠の人にとらへらるゝを苦しみ、喰ひ付くが如し。治世に武道を嗜むを、眞の武道を好む人といふべしと仰ありしとぞ。又司馬法に、國大なりといへども、戰を好む時は必ず亡ぶ、天下やすしと雖も、戰を忘るゝ時は危しといへり。されば、武士は武道を以て君につかふまつり、孝弟忠信の助とする事なれば、いかに御治世なればとても、寸陰も武の道を忘るべからず。しかるに、今柔弱の徒は、此道に怠り、いたづらに君の祿を食み、たゞ己の私欲にふけり、逸遊を恣にして、一月が中に、わづか六日七日の當番を以て、君より賜はるところの祿にむくふと心得る人も少からず、若し一月に六日七日の當番を以て、高祿を賜はるの當然となさば、我々が家に召使ふ處の奴僕などは、期年僅の米金を得て、寒暑の厭なく、裾高く引あげ、瓶引さげ、米炊ぎ、一月中にたゞ一日の安きいとまもなく、勤むる者の勞を、柔弱の武士にたくらべ見る時は、奴僕には、あまたの俸米を與ふるとも、更に惜む事なかるべし、何ぞ奴僕にも恥ざらむや。たゞ武士は五常の道を本として、御奉公の暇あらば、日夜文武の道を勵み、主君の御用に立つべきの工夫こそ、肝要の事なれ。
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『明訓一班抄抄録』・治に亂を忘るべからざる事・太平に奢る風潮を戒めた吉宗の鷹狩り有德公には、近代彌太平の御世、御仁慮に安心して、諸家武備に怠り、無益の送り物に金銀を費し、衣食居宅に美を盡し、武器を等閑にして、先祖の功を忘れ、奢に費す事、禽獸にひとしと歎き玉ひ、士を勸め、武を勵まし、放鷹遊獵に出御有之、麾下の伴士を勵まし給ふ、是諸家上を學びて其風に移り、太平に武を忘れざらしめんとの思し召なり、同上意に、治世に亂を忘れざるは鷹野猪狩なり、如何となれは人數を遣ひ覺るは多少の人數に寄べからず、又諸士に弓鐵砲を打せ射させ、有功を記し、金銀衣服をとらする事は、第一旗本の士をなつけ、武功を我前にてあらはす事賞美し、外樣に居候者其外も我を見知る者なり、殊に兩番の者共は歷々にて、我手足も同じ事なれども、近習へは遠し紋付の衣服など貰らふ事尤少し、箇樣の時とらさすれば其者骨髓に徹し有がたく可存なり、然れば手足にもなるべき義なり、第一近年武備衰へて、大小名諸家中に到る迄、遊山翫などに長じ、酒色に溺れ、身に綾羅錦繡をまとひて、樂しみを專らとし、遊藝をのみ第一として、武士の習しは少しもなく、公家町人の如くに氣弱になり來り候事、上に武備なき故なり、旗本の風義も、少しは見能成事いかめしき事なれども、我武勇を好み、儉約を用ひ、無用に費なく、及ばずながら善政廉直を施さんと欲する故也、云々、齊昭謹で案ずるに、東照宮を初奉り、世に賢明の大將軍と聞えまします御方には、治世に亂を忘れぬ樣にしば〱御示し被爲置候、東照宮御明智、太平とは申ながら漸く天下治まりたる砌り、太平久敷續なば奢長じ武備を失はん事を歎かせ給ひ、治世に亂を忘れざる樣にとの御示諭しば〱なり、
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『士道要論』・士道・文武は車の両輪、太平の世の備え東照宮の御遺訓にも武家の公家をまなぶことをふかくいましめ玉へり、されば、有德公御世のはじめ白石が建議してたてたる四足門をばこぼちすて祖宗のふるきにかへし、眞の文武をばはげまして、東照宮の御定をまもり玉へり、ありがたき御事なり、東照宮の御定とは、武家諸法度にも第一にしるし玉へる文武の道まなぶべしとあることなり、夫文武の道は二にして一なり、一にして二なり、武ありて文德をもほどこすべく、文ありて武功をもたつべし、文人の文に流るゝは天地を經緯するの文をしらざればな、武人の武にかたよるは神武にして殺ざるの武をしらざればなり、これ何れも眞の文武の道とはいふべからず、眞の文武の道は、いはゆる車の兩輪鳥の兩翼のごとく、ひとつをすてばとびゆくことかなふまじ、漢の高祖は儒をこのまぬ君なれど、陸賈が言に折れ叔孫が議にしたがひて、馬上をもて天下を治めず、織田右府は武き大將なれど、義昭の將軍に學をすゝめ、稻葉一徹が書贊よみたるにめでゝ、ころし玉はざるなど、實學を學ぶにはあらねど、文のやむべからざるをしれるは、さすが英雄の才といふべし、まして、東照宮は千古にひいで玉へる才德にましませば、はやくも學の人に益あることをしろしめされ、干戈いまだ納らぬうちより海内に文敎をひろめ玉へるもむべなりけり、されど、戰國の人は種々の艱苦を甞め、國々の風土をもしり、こゝろをも練り人情にも通じたれば、學の力うすくとも經濟にも達すべし、かく久しくうちつゞきたる太平に生れたる人は、安座して食ひ、四方のさかいをもいでず、頑陋なること多して、耳もきくことなく目もみる事なければ、ふみよみてことをわきまふ事なからましかば、いつもかくあることのみ思ひて、風俗のをとろへゆくをも、政事のやぶれたるをもしらずしてすぎゆかん、危きことならずや、工匠の室を作れるは規矩により、醫師の病を治るも方によれり、士大夫己を治め人を治るになどか法なからざらんや、されば、聖人の道によりて、文武ならび用るこそ、まことに長久の道なれ、
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『明訓一班抄抄録』・治に亂を忘るべからざる事・文武の志を貫いた将軍と流された将軍台德公大獻公にも又東照宮の深意を繼給ひ、專ら武道の御世話被遊たるが、寶永御代佛道を寶の道と思召あやまられ、護持院の僧を愛し給ひ、佛を信じられ、夫よりし柔弱美麗を好み給ひ、武家の風俗公家の如く成行、えいはれぬ世と成て、武道地を拂つて失ひたりしが、亦ゝ有德公明君にまし〱て、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、專ら武備を勵まし、風俗を一變し給ひて、今に到る迄明君と奉稱しが、又ゝ御代追ゝ替りて、田沼執政の頃には、寶永の御世の姿に成行しを、松平越中守を用ひ給ひて、又質素を示し、武備を勵し給ひし、公邊は勿論、諸大名始め、家職に心を用ひしが、又ゝ水野出羽守執政にて世の中美麗に成行て、近頃迄武家も公家の如く成行しが、當將軍家賢明にまし〱、賢能の人を進め、佞邪の臣を退け給ひて、奢侈を禁じ、武備を勵まし、三代將軍并有德公の遺言を繼せ玉へば、又天下の勢蘇生して、永久海防等の御世話も御持張に相成、渴望する所なり、寶永の御代にも、初は文武共に御世話有て、學校迄も建立し給ひて、天下明君の譽れあらはせられたりしが、ふと僧侶の僞言を信じられ給ふより、今に至るまで御名を汚し給ふは、三親藩は殊に遺憾至極の事なり、異端の道は大學の序にもいへる如く、誠なき僞言なれば、人君たる者、假初にも是を誠の道とおもひまどひなば、永世の惡名を殘すべし、和漢古今共に、初質素儉約を旨として、武備を不怠人も、終に姑息安逸に流るゝ者多し、其中に始終志を變ぜずして押拔程の人を、明君良將とは稱する也、如何となれば、卓見なき將は初は質素儉約して武備を勵ますといへども、儉約は好む人少なく、武備は武士の持前にて、武用の爲に祿をも給るといふ事を忘れ、太平には常ゝ用なきが故に、能ゝ國家の御爲をおもふ者の外、先づは武を不好故、上下共に不好者多く、

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