明訓一班抄抄録 / 刑は少きに期すべき事・賭博の刑は初期に厳しく段階を踏む
齊昭謹て案に、事は初發なる所を禁ずる事先務なり、たとへば風は萬病の長と言が如く、少しの風邪に強き藥を用ひ熱氣を取時は、事もなく癒べきを、微邪なりとて其儘差置時は大熱と成のみならず、人にまで押移るもの也、博奕も其長じたる者は勿論、幼年抔にて初たる者も、死罪迄はなくとも嚴重にしてこらしめたる、能なり、盜賊どもの儀は牢舍抔被仰付、博奕を仕者は暫くも御宥めなく召捕次第片はしより成敗し玉ふ儀、却て御仁惠の至りと申べし、博奕して經營をそこね窮迫する時は夫より色々の惡事は出來る物也、己のみならず人までさそひ出し、月々年々に惡き者數多く出來る者也、されば壹人を殺して衆人を善道へ導き玉ふは難有御事也、不見識の者は博奕は盜賊抔よりやゝかろきと思ひ嚴重の刑に行はざれば、當世は次第〱に博奕多く、御城へ登城せし供の小者迄城內にてさへ博奕をする事と成候やからが多く成たる上は、嚴刑に所置する事もなしがたき樣に成行たるは、其刑ゆるき故也、さりとて今の世見付次第片はしより、神君の被仰付し如く嚴刑に行ひなば、多人數の怪我人出來し、是又御仁惠を損すべし、さりとていつ迄も此儘にて差置時は追〱惡き者のみ增長すべければ、一度嚴重の命を出し置て、先一ヶ年が間は召捕次第遠島抔申付、二ヶ年目より神君仰の如く片はしより死刑に行はるゝがよろしきなり、總て何刑にても人を殺す事を樂しむにあらず、後人の見せしめなれば、外より見ては如何にも嚴重に見へて、其當人はさまで苦しまぬ樣にすべきなり、刑の事は品數多き事なれども、先づ博奕諸惡の根元とのたまへる上意により、博奕の刑のみ論ずる也、
新字:斉昭謹て案に、事は初発なる所を禁ずる事先務なり、たとへば風は万病の長と言が如く、少しの風邪に強き薬を用ひ熱気を取時は、事もなく癒べきを、微邪なりとて其儘差置時は大熱と成のみならず、人にまで押移るもの也、博奕も其長じたる者は勿論、幼年抔にて初たる者も、死罪迄はなくとも厳重にしてこらしめたる、能なり、盗賊どもの儀は牢舎抔被仰付、博奕を仕者は暫くも御宥めなく召捕次第片はしより成敗し玉ふ儀、却て御仁恵の至りと申べし、博奕して経営をそこね窮迫する時は夫より色々の悪事は出来る物也、己のみならず人までさそひ出し、月々年々に悪き者数多く出来る者也、されば壱人を殺して衆人を善道へ導き玉ふは難有御事也、不見識の者は博奕は盗賊抔よりやゝかろきと思ひ厳重の刑に行はざれば、当世は次第〱に博奕多く、御城へ登城せし供の小者迄城内にてさへ博奕をする事と成候やからが多く成たる上は、厳刑に所置する事もなしがたき様に成行たるは、其刑ゆるき故也、さりとて今の世見付次第片はしより、神君の被仰付し如く厳刑に行ひなば、多人数の怪我人出来し、是又御仁恵を損すべし、さりとていつ迄も此儘にて差置時は追〱悪き者のみ增長すべければ、一度厳重の命を出し置て、先一ヶ年が間は召捕次第遠島抔申付、二ヶ年目より神君仰の如く片はしより死刑に行はるゝがよろしきなり、総て何刑にても人を殺す事を楽しむにあらず、後人の見せしめなれば、外より見ては如何にも厳重に見へて、其当人はさまで苦しまぬ様にすべきなり、刑の事は品数多き事なれども、先づ博奕諸悪の根元とのたまへる上意により、博奕の刑のみ論ずる也、
書き下し
齊昭謹て案に、事は初發なる所を禁ずる事先務なり、たとへば風は萬病の長と言が如く、少しの風邪に強き藥を用ひ熱氣を取時は、事もなく癒べきを、微邪なりとて其儘差置時は大熱と成のみならず、人にまで押移るもの也、博奕も其長じたる者は勿論、幼年抔にて初たる者も、死罪迄はなくとも嚴重にしてこらしめたる、能なり、盜賊どもの儀は牢舍抔被仰付、博奕を仕者は暫くも御宥めなく召捕次第片はしより成敗し玉ふ儀、却て御仁惠の至りと申べし、博奕して經營をそこね窮迫する時は夫より色々の惡事は出來る物也、己のみならず人までさそひ出し、月々年々に惡き者數多く出來る者也、されば壹人を殺して衆人を善道へ導き玉ふは難有御事也、不見識の者は博奕は盜賊抔よりやゝかろきと思ひ嚴重の刑に行はざれば、當世は次第〱に博奕多く、御城へ登城せし供の小者迄城內にてさへ博奕をする事と成候やからが多く成たる上は、嚴刑に所置する事もなしがたき樣に成行たるは、其刑ゆるき故也、さりとて今の世見付次第片はしより、神君の被仰付し如く嚴刑に行ひなば、多人數の怪我人出來し、是又御仁惠を損すべし、さりとていつ迄も此儘にて差置時は追〱惡き者のみ增長すべければ、一度嚴重の命を出し置て、先一ヶ年が間は召捕次第遠島抔申付、二ヶ年目より神君仰の如く片はしより死刑に行はるゝがよろしきなり、總て何刑にても人を殺す事を樂しむにあらず、後人の見せしめなれば、外より見ては如何にも嚴重に見へて、其當人はさまで苦しまぬ樣にすべきなり、刑の事は品數多き事なれども、先づ博奕諸惡の根元とのたまへる上意により、博奕の刑のみ論ずる也、
現代語訳
斉昭が謹んで考えますに、事は初発のところを禁じることが先務です。たとえば、風邪は万病の長といいますが、少しの風邪に強い薬を用いて熱気を取れば何事もなく治るのに、微邪だからとそのまま放っておけば大熱となるだけでなく、人にまでうつるものです。博奕も、その道に長じた者はもちろん、幼年などで初めてした者も、死罪まではいかなくても厳重にして懲らしめるのがよいでしょう。盗賊は牢舎などを命じられ、博奕をする者は少しも宥めず捕らえ次第片端から成敗なさったことは、かえって御仁恵の至りというべきです。博奕をして家業を損ない窮迫すれば、そこからいろいろな悪事が出てくるものです。自分だけでなく人までも誘い出し、月々年々に悪い者が数多く出てきます。そうであれば、一人を殺して衆人を善道へ導かれたことはありがたいことです。見識のない者は、博奕は盗賊などよりやや軽いと思い、厳重な刑を行わないので、近ごろは次第に博奕が多くなり、登城した供の小者までが城内でさえ博奕をするようになった上は、厳刑に処することもしにくくなったのは、その刑がゆるいからです。さりとて今の世で見つけ次第片端から、神君(家康)の仰せつけたように厳刑を行えば、多人数の怪我人が出て、これもまた御仁恵を損ないます。だからといっていつまでもこのままにしておけば、次第に悪い者ばかりが増長するので、一度厳重な命を出しておいて、まず一年の間は、捕らえ次第遠島などを申し付け、二年目から神君の仰せのとおり片端から死刑に行うのがよいでしょう。総じてどの刑でも人を殺すことを楽しむのではなく、後の人への見せしめなので、外から見てはいかにも厳重に見えて、当人はそれほど苦しまないようにすべきです。刑のことは品数の多いことですが、まず博奕は諸悪の根元との上意により、博奕の刑のみを論じます。
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・仁心を本とすべき事・斉昭の按語 恵みは一体に及ぼす齊昭謹案に、慈悲は佛語より出來たる事にて、經語にていはゞ、惻隱又惠の字など當るべし、惠は仁の一端なれども平場に成樣有べし、たとへば自分聞見する所をのみ急は惡し、將軍は天下の人を惠み、國主領主は領民を一體に惠む樣にすべき事なり、一體に惠む時節仁也、人の悅ぶ處によりて惠む時は鼻先の事のみにて一體にあらず、惠みて却て害になる事也、又惠を受る人も自分聊の惠にても天下に及ぬるを以て御仁政と仰ぎ奉べき事也そも〱、東照宮にては慈悲々々との給ふは、通俗にさとし安き爲に佛語を用ひ給ふといへども、其御言葉を味ふるに、慈悲は則仁德也、御言行共に仁を本とし給ふ故、天下の人民喜服して從えり、台德公大猷公皆質素儉約を施し給ひ、文武を御勵し、御言行共に仁を以て本と遊されし故、今の御世迄も明君とは奉稱也、將軍家右大將公は勿論、凡民の父母たるものは、三代將軍有德公の御言行をしたひ奉り、仁德を本とし、文武を勵し、質素を守り、明將明君と仰がるゝ樣に有たき事也、三代將軍有德公の如く、仁德を本とし、賢能の士を擧、質素儉約、文武を勵し給ふ時は、永世までも明君と奉稱、寶永御代の如く、奸吏奸僧婦女子の言語を信じ給へば、永世寶永の御政をそしり奉る、恐れざるべけんや、戒めざるべけんや、道二つ、仁と不仁とのみ、仁を行はざれば必ず不仁に陷るべし、本文上意を熟讀玩味せずんばあるべからず、
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抱朴子外篇・用刑故に一を誅して以て万を振るい、少を損じて以て多を成す。之を櫛髪に方ぶれば、則ち利する所の者衆く、割疽に比ぶれば、則ち全うする所の者大なり。是を以て灸刺は惨痛なるも止む可からざるは、以て病を痊やせばなり。刑法は兇醜なるも罷む可からざるは、以て弊を救わばなり。六軍林の如く、未だ必ずしも皆勇ならず。鋒を排し火に陥ること、人情の憚る所なり。然るに顔を恬くして以て之を勧むれば、則ち命を投ずる者鮮く、断斬して以て之を威せば、則ち奮い撃たざる莫し。故に歓笑を役う者は、叱咤の速きに及ばず、誘悦を用うる者は、刑戮の斉うるに未だ若かず。是を以て安於は深谷に感じて其の法を厳にし、衛子は棄灰を疾みて其の辟を峻くす。夫れ其の畏るる所を以て、其の玩ぶ所を禁じ、峻にして犯されざるは、民を全うするの術なり。病を治するの術に明らかなる者は、未生の疾を杜ぎ、治乱の要に達する者は、将来の患を遏む。若し乃ち軽刑を以て重罪を禁じ、薄法を以て厚利を衛り、之を陳ぬること滋々章かにして、犯す者彌々多きは、阱を穿ちて以て路に当つるに似て、仁人の懐いを用うるに非ざるなり。

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