明訓一班抄抄録 / 治に亂を忘るべからざる事・文武の志を貫いた将軍と流された将軍
台德公大獻公にも又東照宮の深意を繼給ひ、專ら武道の御世話被遊たるが、寶永御代佛道を寶の道と思召あやまられ、護持院の僧を愛し給ひ、佛を信じられ、夫よりし柔弱美麗を好み給ひ、武家の風俗公家の如く成行、えいはれぬ世と成て、武道地を拂つて失ひたりしが、亦ゝ有德公明君にまし〱て、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、專ら武備を勵まし、風俗を一變し給ひて、今に到る迄明君と奉稱しが、又ゝ御代追ゝ替りて、田沼執政の頃には、寶永の御世の姿に成行しを、松平越中守を用ひ給ひて、又質素を示し、武備を勵し給ひし、公邊は勿論、諸大名始め、家職に心を用ひしが、又ゝ水野出羽守執政にて世の中美麗に成行て、近頃迄武家も公家の如く成行しが、當將軍家賢明にまし〱、賢能の人を進め、佞邪の臣を退け給ひて、奢侈を禁じ、武備を勵まし、三代將軍并有德公の遺言を繼せ玉へば、又天下の勢蘇生して、永久海防等の御世話も御持張に相成、渴望する所なり、寶永の御代にも、初は文武共に御世話有て、學校迄も建立し給ひて、天下明君の譽れあらはせられたりしが、ふと僧侶の僞言を信じられ給ふより、今に至るまで御名を汚し給ふは、三親藩は殊に遺憾至極の事なり、異端の道は大學の序にもいへる如く、誠なき僞言なれば、人君たる者、假初にも是を誠の道とおもひまどひなば、永世の惡名を殘すべし、和漢古今共に、初質素儉約を旨として、武備を不怠人も、終に姑息安逸に流るゝ者多し、其中に始終志を變ぜずして押拔程の人を、明君良將とは稱する也、如何となれば、卓見なき將は初は質素儉約して武備を勵ますといへども、儉約は好む人少なく、武備は武士の持前にて、武用の爲に祿をも給るといふ事を忘れ、太平には常ゝ用なきが故に、能ゝ國家の御爲をおもふ者の外、先づは武を不好故、上下共に不好者多く、
新字:台徳公大献公にも又東照宮の深意を継給ひ、専ら武道の御世話被遊たるが、宝永御代仏道を宝の道と思召あやまられ、護持院の僧を愛し給ひ、仏を信じられ、夫よりし柔弱美麗を好み給ひ、武家の風俗公家の如く成行、えいはれぬ世と成て、武道地を払つて失ひたりしが、亦ゝ有徳公明君にまし〱て、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、専ら武備を励まし、風俗を一変し給ひて、今に到る迄明君と奉称しが、又ゝ御代追ゝ替りて、田沼執政の頃には、宝永の御世の姿に成行しを、松平越中守を用ひ給ひて、又質素を示し、武備を励し給ひし、公辺は勿論、諸大名始め、家職に心を用ひしが、又ゝ水野出羽守執政にて世の中美麗に成行て、近頃迄武家も公家の如く成行しが、当将軍家賢明にまし〱、賢能の人を進め、佞邪の臣を退け給ひて、奢侈を禁じ、武備を励まし、三代将軍并有徳公の遺言を継せ玉へば、又天下の勢蘇生して、永久海防等の御世話も御持張に相成、渇望する所なり、宝永の御代にも、初は文武共に御世話有て、学校迄も建立し給ひて、天下明君の誉れあらはせられたりしが、ふと僧侶の偽言を信じられ給ふより、今に至るまで御名を汚し給ふは、三親藩は殊に遺憾至極の事なり、異端の道は大学の序にもいへる如く、誠なき偽言なれば、人君たる者、仮初にも是を誠の道とおもひまどひなば、永世の悪名を残すべし、和漢古今共に、初質素倹約を旨として、武備を不怠人も、終に姑息安逸に流るゝ者多し、其中に始終志を変ぜずして押抜程の人を、明君良将とは称する也、如何となれば、卓見なき将は初は質素倹約して武備を励ますといへども、倹約は好む人少なく、武備は武士の持前にて、武用の為に禄をも給るといふ事を忘れ、太平には常ゝ用なきが故に、能ゝ国家の御為をおもふ者の外、先づは武を不好故、上下共に不好者多く、
書き下し
台德公大獻公にも又東照宮の深意を繼給ひ、專ら武道の御世話被遊たるが、寶永御代佛道を寶の道と思召あやまられ、護持院の僧を愛し給ひ、佛を信じられ、夫よりし柔弱美麗を好み給ひ、武家の風俗公家の如く成行、えいはれぬ世と成て、武道地を拂つて失ひたりしが、亦ゝ有德公明君にまし〱て、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、專ら武備を勵まし、風俗を一變し給ひて、今に到る迄明君と奉稱しが、又ゝ御代追ゝ替りて、田沼執政の頃には、寶永の御世の姿に成行しを、松平越中守を用ひ給ひて、又質素を示し、武備を勵し給ひし、公邊は勿論、諸大名始め、家職に心を用ひしが、又ゝ水野出羽守執政にて世の中美麗に成行て、近頃迄武家も公家の如く成行しが、當將軍家賢明にまし〱、賢能の人を進め、佞邪の臣を退け給ひて、奢侈を禁じ、武備を勵まし、三代將軍并有德公の遺言を繼せ玉へば、又天下の勢蘇生して、永久海防等の御世話も御持張に相成、渴望する所なり、寶永の御代にも、初は文武共に御世話有て、學校迄も建立し給ひて、天下明君の譽れあらはせられたりしが、ふと僧侶の僞言を信じられ給ふより、今に至るまで御名を汚し給ふは、三親藩は殊に遺憾至極の事なり、異端の道は大學の序にもいへる如く、誠なき僞言なれば、人君たる者、假初にも是を誠の道とおもひまどひなば、永世の惡名を殘すべし、和漢古今共に、初質素儉約を旨として、武備を不怠人も、終に姑息安逸に流るゝ者多し、其中に始終志を變ぜずして押拔程の人を、明君良將とは稱する也、如何となれば、卓見なき將は初は質素儉約して武備を勵ますといへども、儉約は好む人少なく、武備は武士の持前にて、武用の爲に祿をも給るといふ事を忘れ、太平には常ゝ用なきが故に、能ゝ國家の御爲をおもふ者の外、先づは武を不好故、上下共に不好者多く、
現代語訳
台徳公(秀忠)・大献公(家光)もまた、東照宮の深い意を継がれ、専ら武道にご配慮なさいましたが、宝永の御代に、仏道を宝の道と思い誤られ、護持院の僧を寵愛し、仏を信じられ、それより柔弱で美麗を好まれ、武家の風俗が公家のようになっていき、言いようもない世となって、武道は地を払って失われました。ところが、また有徳公が明君でいらっしゃって、僧侶を遠ざけ、美麗を禁じ、専ら武備を励まし、風俗を一変なさって、今に至るまで明君と称えられています。しかしまた御代が追々替わり、田沼が執政の頃には宝永の御世の姿になってしまったのを、松平越中守を用いられて、再び質素を示し、武備を励まされ、公辺はもちろん、諸大名をはじめ、家職に心を用いるようになりました。ところがまた水野出羽守の執政で世の中が美麗になっていき、近ごろまで武家も公家のようになってきましたが、当将軍家は賢明でいらっしゃり、賢能の人を進め、佞邪の臣を退けられ、奢侈を禁じ、武備を励まし、三代将軍(家光)ならびに有徳公の遺言を継がれたので、また天下の勢いが蘇生し、永久の海防などのご配慮も持ち張られることとなり、渇望するところです。宝永の御代にも、初めは文武ともにご配慮があり、学校まで建立されて、天下の明君という誉れを現されましたが、ふと僧侶の偽言を信じられたことから、今に至るまで御名を汚されているのは、三親藩はことに遺憾至極のことです。異端の道は『大学』の序にも言うように、誠のない偽言なので、人君たる者は、かりそめにもこれを誠の道と思い惑えば、永世の悪名を残すでしょう。和漢古今ともに、初めは質素倹約を旨として武備を怠らなかった人も、ついには姑息安逸に流れる者が多いのです。その中で、終始志を変えず押し抜くほどの人を、明君良将と称するのです。なぜかといえば、卓見のない将は初めは質素倹約して武備を励ますといっても、倹約を好む人は少なく、武備は武士の持ち前で、武用のために禄をも給わっているということを忘れ、太平には常に用がないので、国家のためをよく思う者のほかはまず武を好まず、上下とも好まない者が多く、
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・斉昭の按語 倹約は武備の土台齊昭謹案に、和漢古今共明將賢君と聞ゆる人に儉約を不用なし、如何となれば其國に生れては其國を守り、外夷に不被奪樣にする事君へ忠祖宗への孝なり、然れば質素儉約してさえ、武備を手厚くせんは難し、ましてや、質素の政不行して武備を手厚くせん事は成がたき故なり、乍去君柔弱なる時は奸吏奸僧女子町人抔、本より武備をせんよりは今日花美をして身を樂しみ、我祿何故に給はると言事をさえ忘るゝ者多きなり、婦人僧侶は勿論戰爭の事に不拘ば終身榮花にさえ暮す時はよひとおもひ、扨又萬一の事有時は僧侶は戰爭の事は我持前にあらず、我等怨敵退散の御祈禱の職なりとて無益の祈禱に物を費し、危には近寄ず、勝利有時は祈禱のしるし有樣に言なし、又勝利なき時は武士の怠に言なし、統て自分のがるゝ事のみなり、斯る者の言事を信ずる時は國家危かるべし、本より僧侶は天下の大體を不知、我朝に生れて異端を行ひ、人にもすゝめ、自分當座の勝手のみ思ひて人を欺く故、闇君俗吏は是を信じて、儉約せざるが下の爲の樣にいつも〱思ひあやまちて、格別にふまえなき者は闇に引入らるゝ者なり、可恐事なり、物事統て取締人は心なき人々には惡しくいはれ、自分までても骨の折る物故、明君ならでは質素儉約して文武の世話する事は不能なり、さる故に末世にても其名聞ゆる事なり、取締の有志の者は勿論よきと言べく、百姓町人にても永世を見通したる町人やはり悅べし、只心なき士婦人僧侶小町人にてせまじき商ひする者が嫌ふ事なり、是等の爲に取締を止て、當座譽れを求め、永世主君の名を穢す事なかれ、常々儉約を守りてだに飢饉の手當又は非常の手當は難き事成に、ましてや常々美麗柔弱にして非常の事あらば如何なすべきや、三代將軍有德公の御儉約にてさえ常々質素儉約武備を御勵し被遊たるを、況や今我々の愚將たらん者儉約をせず武備を捨て、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・非常に備え、姑息を避ける決断非常の節に臨み、御用を缺間敷策有べからず、惶多も三代將軍有德公は不及申、其他三親藩にて尾州の源敬、紀州の源南、祖宗の威儀を初、諸大名何れも名將の聞えたる者は、皆常々儉約して武備を勵し家中に空く祿を食む者なき樣にせしなり、遊女出家の遊民の外、君に祿を給る家中祿を空しくする事有べからず、非常の事あらんには、其家中には國主領主に附從ひ、國主領主は我先にと幕府の御用に立樣、常々心掛、幕府にては常々御旗本に武備を勵し給ふて、國主領主を賴みに不思召樣、双方折合時は、夷船何程渡來るとも、又は萬々一國持大名に異變有之とも、更に恐るゝに不足事なり、右樣武備の手當調たる上は人々相應の美はくるしくも有之間敷なれども、儉約を守り一生取かゝりてさへ行屆兼候はん、たとへば十分手當出來し上は十一分にも十二分にも手厚き樣心掛べき事故、いつとても奢りてよきと言時は有之間敷、且日本中の事と違ひ、異國より渡來の戰爭はいつ何時有之も難計、出火と戰爭は前日より分りたる事は有まじ、公邊を初奉り、三親藩は勿論、諸大名とも、生るゝより死る迄、我皇國の道を本とし、佛法の異端邪道を退け、常々異國船來りたり共手筈不違樣申合せ置、兼て覺悟第一たるべし、異端の道を惡きとは知ながら、苟安姑息して近付る事なかれ、苟安姑息と言事は見通しなきと不決斷より出る事にて黑白の見拔なき故なり、黑白の見拔なき時は、たとへ賢明有者の正論を聞一度尤と思ひ、又愚闇不當の邪論を聞ても成程と惑ひ、兩方の説を取用ひて黑ともならず白ともならずと言如く、中を取て中庸と思ひ誤る事の少なからず、是を色に譬れば鼠色の所を用ゆるにひとし、鼠色は白くは一切なる事なし、黑く成によりて姑息を用る人惡き方に成行、此理とくれ〱も非常の卓見をもて永世までも無用の奢を禁じ、文道武道を勵みぬるぞ、人君の急務なるべし、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・嗜みと奢りを取り違えない總じて萬事を細かにして心底に納め能に吟味して其成敗を成べし、物每短慮にする事なかれ、天下國々島々迄兼て能聞て其善惡を正すべし、重々言ひ聞する如く跡先の考へなく奢強き者あらば是を取ひしぐなり、是天下を治る第一の法なり、同上意に、武道不案內の者は諸侍の嗜と奢とを取違る物ぞ、嗜と言は近藤などが如く似合ざる事致し朝夕のいとなみかすかに身の苦しみ大形ならずして身體より過分に人馬を持尤武具馬具さらびやかにし常日家職を忘れず是非を能正し誰が前にても理は理非は非と言者なり、是等を奢と言は不案內なり、是を侍は本意たしなみと言ぞ、奢と言は家職を失ひ武家に公家を學び出家町人武家を學び我家職を非に見る者を侈者と言ぞ、天子の御務には正月朔日朝拜より月次の御祭事有、是天子の御家職なり、關白は天下を預り政道正敷人民憂なく治るを職とす、此文道なり、將軍は天下の惡逆を討て有道を助るを職とす、是武道なり、是上代の法ぞ、然るに中頃より奢強くして政を取失ひ人民安からず、云々、」同上意に、天下の大寶と言は日本は能大將有時は縱ひ異國より日本を攻るとも武勇をふるひたやすく退治するは天下の大寶なり、既に日本より異國を責つれば又異國より日本責まじきと思ふは愚なり、又家の大寶は諸侍武道を忘れず節を正敷忠臣深くして追從輕薄の風俗なきは國家の榮え行べき前表にて家の大寶なり、又汝が心得には埋れ居たる身箇樣に取立し上は其報恩に只自分の侈り絕べきと思へ、返す〱邪なき樣に愼み一言をも能々考へていへ、汝が一言の善惡は將軍の善惡ぞ、我見捨ざる者に奢者有り、我色々異見をすれども聞かず、此上は多分無か自分滅すべきとおもふぞ不便なる事なり、汝必侈る心少しにても有ば大不忠と心得身を引下げ諸人に親敷して忠信を至らせ、云々、扨又大賀如き侈りし者をば早く亡すべし、

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