明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・大釜を打ち砕いた作左衛門の諫め
東照宮濱松より放鷹として三河へ御出ありしに、今川義元の製しおかれたる大釜有、田間に打捨有しを御覽じて、幸ひの事なり濱松へ持參るべし盜賊を煮るに用べしと仰有し程に、民ども是を持行んと、其こしらへをなす所へ、作左衞門廻鄕して來られ何所へ持行ぞと尋候程に、右の由を申ければ、則人夫を出して其釜を悉く打碎きて歸られける、民どもも此儀を濱松へ達しければ則作左衞門を召し寄られ、如何成存寄にて打碎きたるぞと尋有し所に、國を治るに此事をなしたらば此罪に行ふべしと定れば、下より上の作法を知りて種々の巧をなすものなり、且釜を設て盜を待樣成政にては、天下の望みはいかにと申ければ、大に感じ思召て、常にあら〱しき樣なれども、大成思慮有とて御賞美不斜りけるとぞ、
新字:東照宮浜松より放鷹として三河へ御出ありしに、今川義元の製しおかれたる大釜有、田間に打捨有しを御覧じて、幸ひの事なり浜松へ持参るべし盗賊を煮るに用べしと仰有し程に、民ども是を持行んと、其こしらへをなす所へ、作左衛門廻郷して来られ何所へ持行ぞと尋候程に、右の由を申ければ、則人夫を出して其釜を悉く打砕きて帰られける、民どもも此儀を浜松へ達しければ則作左衛門を召し寄られ、如何成存寄にて打砕きたるぞと尋有し所に、国を治るに此事をなしたらば此罪に行ふべしと定れば、下より上の作法を知りて種々の巧をなすものなり、且釜を設て盗を待様成政にては、天下の望みはいかにと申ければ、大に感じ思召て、常にあら〱しき様なれども、大成思慮有とて御賞美不斜りけるとぞ、
書き下し
東照宮濱松より放鷹として三河へ御出ありしに、今川義元の製しおかれたる大釜有、田間に打捨有しを御覽じて、幸ひの事なり濱松へ持參るべし盜賊を煮るに用べしと仰有し程に、民ども是を持行んと、其こしらへをなす所へ、作左衞門廻鄕して來られ何所へ持行ぞと尋候程に、右の由を申ければ、則人夫を出して其釜を悉く打碎きて歸られける、民どもも此儀を濱松へ達しければ則作左衞門を召し寄られ、如何成存寄にて打碎きたるぞと尋有し所に、國を治るに此事をなしたらば此罪に行ふべしと定れば、下より上の作法を知りて種々の巧をなすものなり、且釜を設て盜を待樣成政にては、天下の望みはいかにと申ければ、大に感じ思召て、常にあら〱しき樣なれども、大成思慮有とて御賞美不斜りけるとぞ、
現代語訳
東照宮(家康)が浜松から鷹狩りのため三河へお出かけになったとき、今川義元が作っておかれた大釜があり、田の間に打ち捨てられているのをご覧になって、「ちょうどよい。浜松へ持ってこい。盗賊を煮るのに用いよう」と仰せられたので、民どもがこれを持って行こうとその支度をしているところへ、作左衛門(本多作左衛門)が廻郷して来て、どこへ持って行くのかと尋ねました。右のとおり申したところ、すぐに人夫を出して、その釜をことごとく打ち砕いて帰りました。民どもがこのことを浜松へ届けたので、すぐに作左衛門を召し寄せられ、どのような考えで打ち砕いたのかとお尋ねになりました。作左衛門は、「国を治めるのに、これをしたら、この罪に処すると定めれば、下は上の作法を知って、種々の巧みをなすものです。そのうえ、釜を設けて盗人を待つような政では、天下の望みはいかがでございましょうか」と申し上げたので、大いに感じ入られ、「常々荒々しいようだが、大きな思慮がある」と、並々ならずお賞美なされたとのことです。
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・諫言を用べき事・御印籠を打ち砕いた雅楽頭酒井雅樂頭忠世は御後見にて御尊敬の人なり、或時御前へ出ける處に、其頃世に大に行れたる刑部梨地の御印籠を御床の上へ差置れたるを見て、あれは何にて候と申上らるれば、御前も如何と思召れしや、御赤面遊されながら、加賀守がとばかり上意なりし、雅樂頭御小性衆へ向ひあれを是へと申けるに、御前御赤面の御樣子を見奉る故立兼候を、御覽遊され取て遣し候へとの上意にて、御小性衆御床へ參り件の御印籠を取て雅樂頭前に置ければ、取上見て是は御印籠にて候か、加賀守御懇意にあまへ、若き故箇樣の花美なるものを差上ると相見へ申候、以前大殿樣(東照宮)駿府御在城の節、夕御膳御給仕之何某御小性にて着る袴を御覽被遊夫は何と申物ぞと御尋ねの時、茶宇と申物の由申上ければ、上意に己れ惡き者かな、天下久しく亂に及び漸此頃少く靜になり萬民も安き樣に見へ候處、名をも知り召れぬ程の衣類を着しける事、天下の奢を始め亂の端を起す不屆ものなり、御前退き候へと以の外御機嫌を損じ、夕御膳をも召上られず候故、某も種々に御機嫌を取漸に夜に入御膳をすゝめ申上る事有し、大殿樣には此ごとく天下の治亂を御大切に思召し、奢を御防遊されしに、只今箇樣に花美なる遊興を御賞翫遊され候事、以の外の由申上られ、御庭の石にあてゝ打ひしぎ捨られける、
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『明訓一班抄抄録』・諫言を用べき事・鯉を巡る久三郎の命がけの諫め東照宮仰に、某三州在城の時節勅使上使其外はれがましき事有之候時の用意に、三尺に餘る鯉二つ泉水に入置、或時是を見るに中にも大なる鯉一つ見へざる故に、其處に掛りたる掃除坊主にかこひ惡敷狐にとられたるかと問へば、此者申樣其鯉は鈴木久三郞拜領したるとて御臺所へ持參り、料理仕たべ候て、人々にも振舞、信長公より參りたる御酒の試仕候へと御意の由にて、御樽の封を切捨候と申に付、臺所の者を尋れば彼坊主が申如く也、二色共に我さへたしなみ置に我儘なるやつかな、箇樣の者を其分にて置なば向後諸士の風儀惡敷成べし、呼付成敗すべきと思ひ、呼付て長刀の鞘をはづし、廣椽に出て待所に、久三郞傍輩共同道しけれ共事ともせず、某が前に出候ては貳拾間程も置、惡さやつめと言葉をかけ長刀にかけんとせしに、久三郞是を見て己が刀脇差を五六間程跡へなげ捨、我に向ひ大の眼をきつと見ひらき、扨ゝ愚成御大將かな、魚鳥に人間をならぶる作法何國に御座候哉、夫にては中ゝ天下に望は成申間敷とて、却て某に惡口せし時實に尤とおもひ當り、拔たる長刀を捨て奧に入能ゝ彼が心中を思ひはかるに、近頃走りの者一人留場にて烏を取り、一人は城の堀にて網をうつ、此兩人を追込置しが、是を言べき爲わざと鯉を料理したるなれば少しも慮外にてはなし、偏に我意を歎きての事なりと思ひ案じ、彼走りの者兩人とも奉公に出候へと申付て、則久三郞を呼出し汝が志滿足なりといへば、久三郞なみだを流し、扨ゝ難有御意にて御座候、泰平の世にて候はゞ、ひそかに可申上儀に候得共、今亂國にて御座候故如此申上候、亂世にて私如きの侍も少し成とも勇氣御座候て御爲と奉存此通り候、夢ゝ私の威をふるひ氣隨にては無御座と申候へき、一入彼者が忠心を感じ秘藏におもひし也、昔も今も諸侍の者、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・家康の倹約と奢りへの戒め東照宮上意に、奢心なく物事儉約を用ひ、常に其程を能知るを、政道正しきと言なれば、下々は過分に知行其外給ひもの其程に施しあたふれば、奢者に引當て吝嗇の取沙汰致し候、古より賢者賢臣の過分に給り物萬事花麗の行はなく、身を愼み儉約を用ひし事に候、同上意に、我領分は勿論、其外天下せし以後、公料成し民百姓にても、我子孫萬代も願ふ由聞へあり、是三河以來の舊封にて年貢取箇の方諸家よりは少分に取候へと申付る故也、此時法を子孫迄第一に守るべき事なれども、太平打續上奢り下へつらひ國用乏しき風に至り、勘定奉行抔言者代官をせたげ、取箇にてすくなき時は不平の顏色をもて不勤などゝいはん、代官共も當時のなり合能樣に跡の事には構はず、法外に年貢取箇をまし百姓を困窮させ上をうとませ候樣致すべし、左樣の不了簡成勘定奉行を御爲などゝ言立、年寄共はじめ側近く勤むる者共立身を取持加增をも遣す樣に成などは、國家の衰微と知るべし、我百年の後にも天下兵軍起らん事は有べからず、只百姓の心はなれ上の冥加氣運も薄くならん事歎かはしき事也、箇樣の事中君より以下は執政の者も志し次第なり、水よく船を浮べ、水能船をくつがへす、たゞ此事を能く心得られよと、秀忠公え每度御敎訓なり、同上意に、人にも身にも去るべき物は奢りぞ、云々、同上意に、武道不案內成家は、諸士の風俗柔弱非義になりて武勇なければ、一戰に打負る時は罪なき嬰兒迄も一時に亡びぬるは古今ためし多し、武家に生れては武道に愚なるは鼠とらぬ猫の如し、公家と武家との替りは、譬へば金ならば、公家は金銀のごとし、武家は鐵に同じ、然るに人民金銀を好み、鐵の大寶なる事を知らず、鐵は寶器の本也、五穀を作り竹木を切とも朝夕の食を調へ尤天下國家の亂を拂ひ太平を致す事鐵の用多し、誠に大寶の長たるもの也、爰を不見付、
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『明訓一班抄抄録』・諫言を用べき事・善を取り入れることを楽しむ主君齊昭謹で按に、東照宮御初明君賢君にまします御方に、何ぞや下より申程の事知し召ぬ事の有べき、されども事多き內には日月の蝕の如く誤ち給ふ事有、又は下々の事に至りて御承知なき事も可有之と、廣く言路を開給ふ事、則明君たるゆえんにて、人主たる者、人に取て善をなす事を樂しむ處肝要なり、小人は我心付たる事にても人より發語する時は否と答る者也、主君たらん人は、誰が言事にても本文の明訓をしたひて理の當然なる事は用べき事也、
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『明訓一班抄抄録』・諫言を用べき事・諫言する家老の覚悟心は只大將の心になり、箇樣成事我に武道不案內ものが半聞ては、此者武功にほこる樣に申習はすものぞ、心を靜めて聞候ては、忠臣の者ならでは思ひ切たる事いわぬ物也、仝上意に、主人の惡事を見て諫言を言家老は戰場にて一番鎗を突よりも遙に增りたる心ばせなるべし、仔細は敵に向て武篇をするも身命を惜みてはならぬ事なり、然れども勝負は時の運による事なれば人をも打人にも討るゝものなり、縱令討死しても末代迄譽名は子孫に殘り主人にも惜るゝは死ても本望也、若縱令よく敵を討時は、勿論子孫迄繁昌の基なり、去程に戰場の持死ても生ても損のなき事なり、扨又主人の惡道不道成を悔て強く諫言を致すと言は十が九つ迄あぶなき勝負なり、仔細は其主人無分別にて惡事を好の心がらは善事をきらふ、爰を以て古人も言如く良藥口に苦し金言耳に逆ふ習ひ、其家老を隔心して傍へ近付ぬ樣に致す、然る時は諂ひ追從を本とする者出來、出頭のうつけ者共申合て件の家老を惡ざまに取なし、事に觸て讒言を搆ふ、夫を信と思ひ付て隔心の上見分本目の弊惡く成、其時は如何成者も不足をさしはさみ、主を見限り疎む心出來、身搆をして異見を止め、或は作病を致して引込隱居を願ひなどして物をかまはぬ分別を致すは、十人が八九人迄其通なり、然るに主人の惡事を申留めずば其責我一人に歸する所なりと分別を究め、身の上を忘れ幾度も爭ひ諫る家老は終に手討に逢歟、押込らるゝに身上を果し、妻子迄も迷惑をさするは必定の方也、爰を以てみれば戰場の一番鎗は返て致し易き道理なりと上意なり、是に付濱松の御城に御座候時、或夜本多佐渡守其外外樣之衆三人御用之儀にて御前に召出されけるに、其時一人御前にて鼻紙袋を明て一通の書付を取出し、封を切て御前に差上候、御覽被遊夫は何ぞと仰ければ、
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『明訓一班抄抄録』・刑は少きに期すべき事・賭博を厳しく取り締まった家康の命令東照宮濱松駿府に御坐の節も、博奕は諸惡の根元と有し御意にて、御城下之儀は申に不及、四箇國の御領內を御法度に被仰出、關東御入國の砌、御當地の儀は不及申、總て關八州共に北條家柔弱なる仕置故、僧侶男女の差別なく押晴て博奕を打も是ある由御聞に達し、(中略)嚴敷御法度も被仰出、(中略)博奕を仕候者共をば暫くも御ゆるめなく、捕次第片はしより御成敗被仰付候也、其節淺草專一にて博奕仕候者を捕へ、五人共に其處に獄門にかけらるゝを御鷹御成之節是を御覽被遊て、還御以後博奕吟味にかゝり候者共を御城へ召して御直に被仰渡けるは、總て科人を仕置にして其首を獄門に掛さらし置は諸人見こりの爲にてあるなれば、五人一坐の博奕ならば何月何日何方にても人立多き場所へ出しさらし置樣にと仰付らるゝを以、其以後の儀拾人一坐にて捕へ候へば十ヶ所へ遣し御仕置に仰付られ、首を其所に掛置に付、二三ヶ年の間に博奕の沙汰止ける也、云々、

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