明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・めでたくない、と述べた井伊掃部頭
或時諸大名を召され、來年は西の丸樣ゑ大獻公御代を御讓り進さるべき間、其旨相心得べき旨仰出されければ、何れも目出度奉存由御請申上退出せしに、井伊掃部頭高弘いまだ若かりしが默して御請の躰見へず、思わく有げに見へし程に、大炊頭申せしは、掃部頭御用有之候、是へとて御白書院へ同道し、只今の上意の趣諸大名殘らず御請之處、御自分計御請之躰見へず候、何と存寄候哉と申されければ、掃部頭成程御察しの通りにて候、天下の亂の端と存候へば曾て目出度儀と不存故御請不申上候、大炊頭夫は如何樣成儀ぞと問ひければ、其事にて候、大阪の陣の間もなく、江戶御城惣石垣の御普請並駿府御普請、其外諸方の御手傳とて天下の大名困窮大方ならず候處、又もや來年御隱居被遊候はゞ、公方樣ゑ御祝儀、將軍宣下の能など興行仕候はゞ、彌困窮いたし、下を剝民を苦るにて在べく候得ば、萬人の歎、亂の本と存候得ば、聊目出度御事とは存不奉、歎かはしく存候と有ければ、大炊頭うなづきて然らば御聽に達すべしと申されければ、夫は近頃悅入候眞直に仰上られ被下候樣と申されければ、是へ參られ候へとて御次迄同道にて御目通へ出られ、掃部頭しか〱の存寄申上候由申上ければ、是へ呼候へと上意にて大炊頭召れ御前へ罷出候、其時上意に、只今大炊頭を以申上候段聞召され尤に思召候、此儀は最早諸大名へ仰出され候て御請相濟候儀故、
新字:或時諸大名を召され、来年は西の丸様ゑ大献公御代を御譲り進さるべき間、其旨相心得べき旨仰出されければ、何れも目出度奉存由御請申上退出せしに、井伊掃部頭高弘いまだ若かりしが黙して御請の体見へず、思わく有げに見へし程に、大炊頭申せしは、掃部頭御用有之候、是へとて御白書院へ同道し、只今の上意の趣諸大名残らず御請之処、御自分計御請之体見へず候、何と存寄候哉と申されければ、掃部頭成程御察しの通りにて候、天下の乱の端と存候へば曽て目出度儀と不存故御請不申上候、大炊頭夫は如何様成儀ぞと問ひければ、其事にて候、大阪の陣の間もなく、江戸御城惣石垣の御普請並駿府御普請、其外諸方の御手伝とて天下の大名困窮大方ならず候処、又もや来年御隠居被遊候はゞ、公方様ゑ御祝儀、将軍宣下の能など興行仕候はゞ、弥困窮いたし、下を剥民を苦るにて在べく候得ば、万人の嘆、乱の本と存候得ば、聊目出度御事とは存不奉、嘆かはしく存候と有ければ、大炊頭うなづきて然らば御聴に達すべしと申されければ、夫は近頃悦入候真直に仰上られ被下候様と申されければ、是へ参られ候へとて御次迄同道にて御目通へ出られ、掃部頭しか〱の存寄申上候由申上ければ、是へ呼候へと上意にて大炊頭召れ御前へ罷出候、其時上意に、只今大炊頭を以申上候段聞召され尤に思召候、此儀は最早諸大名へ仰出され候て御請相済候儀故、
書き下し
或時諸大名を召され、來年は西の丸樣ゑ大獻公御代を御讓り進さるべき間、其旨相心得べき旨仰出されければ、何れも目出度奉存由御請申上退出せしに、井伊掃部頭高弘いまだ若かりしが默して御請の躰見へず、思わく有げに見へし程に、大炊頭申せしは、掃部頭御用有之候、是へとて御白書院へ同道し、只今の上意の趣諸大名殘らず御請之處、御自分計御請之躰見へず候、何と存寄候哉と申されければ、掃部頭成程御察しの通りにて候、天下の亂の端と存候へば曾て目出度儀と不存故御請不申上候、大炊頭夫は如何樣成儀ぞと問ひければ、其事にて候、大阪の陣の間もなく、江戶御城惣石垣の御普請並駿府御普請、其外諸方の御手傳とて天下の大名困窮大方ならず候處、又もや來年御隱居被遊候はゞ、公方樣ゑ御祝儀、將軍宣下の能など興行仕候はゞ、彌困窮いたし、下を剝民を苦るにて在べく候得ば、萬人の歎、亂の本と存候得ば、聊目出度御事とは存不奉、歎かはしく存候と有ければ、大炊頭うなづきて然らば御聽に達すべしと申されければ、夫は近頃悅入候眞直に仰上られ被下候樣と申されければ、是へ參られ候へとて御次迄同道にて御目通へ出られ、掃部頭しか〱の存寄申上候由申上ければ、是へ呼候へと上意にて大炊頭召れ御前へ罷出候、其時上意に、只今大炊頭を以申上候段聞召され尤に思召候、此儀は最早諸大名へ仰出され候て御請相濟候儀故、
現代語訳
あるとき諸大名を召して、「来年は西の丸様へ大献公に御代をお譲りになるので、その旨を心得よ」と仰せ出されたので、いずれも「めでたく存じます」とお請け申し上げて退出しました。そのとき井伊掃部頭高弘はまだ若く、黙ってお請けする様子が見えず、思うところがあるように見えたので、大炊頭(土井利勝)は、「掃部頭、御用があります、こちらへ」と言って御白書院へ同道し、「ただ今の上意の趣に、諸大名は残らずお請けしたのに、あなたばかりお請けする様子が見えませんでした。どう思われたのですか」と申されました。掃部頭は、「なるほど、お察しのとおりです。天下の乱の端と存じますので、めでたいこととは存ぜず、お請けを申し上げなかったのです」と答えました。大炊頭が「それはどういうことか」と問うと、「そのことです。大坂の陣から間もないうちに、江戸城の総石垣の普請、並びに駿府の普請、そのほか諸方のお手伝いとして、天下の大名の困窮は並大抵でないところ、またもや来年ご隠居あそばされるとなれば、公方様へのご祝儀、将軍宣下の能などを興行することになり、いよいよ困窮して、下を剥ぎ民を苦しめることになりましょう。万人の嘆き、乱の本と存じますので、少しもめでたいこととは存ぜず、嘆かわしく存じました」と言いました。大炊頭はうなずいて、「ならばお耳に入れましょう」と申され、掃部頭が「それは近ごろ喜ばしい。まっすぐに申し上げてくださいますように」と申されると、「こちらへ参られよ」と言って御次まで同道し、御目通りへ出て、「掃部頭が、しかじかの存じ寄りを申し上げます」と申し上げたところ、「こちらへ呼べ」との上意で、大炊頭が召されて御前へ罷り出ました。そのとき上意に、「ただ今、大炊頭をもって申し上げた件は、お聞きになり、もっともに思し召される。この件は、すでに諸大名へ仰せ出されて、お請けも済んだことなので、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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