明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・大身ほど自分の過ちに気づけない
某內々存寄之儀共書付置申候、乍憚御心入にも可相成歟と上覽に入奉ると申上る、扨夫は奇特成心入と大に御感なされ、佐渡守は苦敷からず夫にて讀で聞せよと仰らるゝに付、畏候とて數箇條讀終る、尤の事〱と御挨拶被遊、是に限らず此以後迄も存寄の儀もあらば無遠慮聞せよと上意あれば、御聞屆被遊近頃辱と申て御前を退出す、佐渡守は御用にて殘り居られけるに仰られけるは、只今の者讀聞せたる儀は如何思ふぞと御尋に付、佐渡守御請に一箇條も御前に御用立可申存事は無之樣にと申上ければ、御手を振らせられ、いやとよあのものゝ分別一ぱいを書付たる物なれば如才もなし、尤我心入に成事はなけれ共思ひ寄て內ゝ書付に調え、懷中して時節を見合せ我等に見せんと思ふ志は何ともたとへ難し、其事が用に立は用ひ、立ねば用ひぬ迄にてこそあれ、惣じて我と我身の惡は知れぬ物なり、然れば小身成者心易き友達傍輩學友などある物なれば、互に身の上の惡をみて吟味を遂る故、改め嗜む事多き物なり、左樣の友なき者は兼て人柄を聞立て賴置は能者と言なり、是は小身の德なり、扨又大身なる者、總ての上に立程の者は友達朋友など出會て心易く語るべき樣もなく、身の上の惡を吟味する事もなく、遠慮して人もいはす、日夜朝暮物言伽には我同然の者計りなれば、何事にても御尤とならではいはざるに依て、少々の違ひ誤りとも思はず、誤りと思はねば改んとも心も付ずして過事有物なり、是は必大身の損とも言べし、凡人の上に立て下の諫を聞ざる者國を失ひ家を破らざるは古今とも無之と仰らるゝ、佐渡守承り覺居て、或時子息上野介に語り聞せ候、落淚におよぶ、上野介其書付は如何樣の文言にて御座候其人は誰にて候やと聞候得ば、佐渡守聞て其文言其人も旁聞て何の用にも立事になしと申けると也、
新字:某内々存寄之儀共書付置申候、乍憚御心入にも可相成歟と上覧に入奉ると申上る、扨夫は奇特成心入と大に御感なされ、佐渡守は苦敷からず夫にて読で聞せよと仰らるゝに付、畏候とて数箇条読終る、尤の事〱と御挨拶被遊、是に限らず此以後迄も存寄の儀もあらば無遠慮聞せよと上意あれば、御聞届被遊近頃辱と申て御前を退出す、佐渡守は御用にて残り居られけるに仰られけるは、只今の者読聞せたる儀は如何思ふぞと御尋に付、佐渡守御請に一箇条も御前に御用立可申存事は無之様にと申上ければ、御手を振らせられ、いやとよあのものゝ分別一ぱいを書付たる物なれば如才もなし、尤我心入に成事はなけれ共思ひ寄て内ゝ書付に調え、懐中して時節を見合せ我等に見せんと思ふ志は何ともたとへ難し、其事が用に立は用ひ、立ねば用ひぬ迄にてこそあれ、惣じて我と我身の悪は知れぬ物なり、然れば小身成者心易き友達傍輩学友などある物なれば、互に身の上の悪をみて吟味を遂る故、改め嗜む事多き物なり、左様の友なき者は兼て人柄を聞立て頼置は能者と言なり、是は小身の徳なり、扨又大身なる者、総ての上に立程の者は友達朋友など出会て心易く語るべき様もなく、身の上の悪を吟味する事もなく、遠慮して人もいはす、日夜朝暮物言伽には我同然の者計りなれば、何事にても御尤とならではいはざるに依て、少々の違ひ誤りとも思はず、誤りと思はねば改んとも心も付ずして過事有物なり、是は必大身の損とも言べし、凡人の上に立て下の諫を聞ざる者国を失ひ家を破らざるは古今とも無之と仰らるゝ、佐渡守承り覚居て、或時子息上野介に語り聞せ候、落涙におよぶ、上野介其書付は如何様の文言にて御座候其人は誰にて候やと聞候得ば、佐渡守聞て其文言其人も旁聞て何の用にも立事になしと申けると也、
書き下し
某內々存寄之儀共書付置申候、乍憚御心入にも可相成歟と上覽に入奉ると申上る、扨夫は奇特成心入と大に御感なされ、佐渡守は苦敷からず夫にて讀で聞せよと仰らるゝに付、畏候とて數箇條讀終る、尤の事〱と御挨拶被遊、是に限らず此以後迄も存寄の儀もあらば無遠慮聞せよと上意あれば、御聞屆被遊近頃辱と申て御前を退出す、佐渡守は御用にて殘り居られけるに仰られけるは、只今の者讀聞せたる儀は如何思ふぞと御尋に付、佐渡守御請に一箇條も御前に御用立可申存事は無之樣にと申上ければ、御手を振らせられ、いやとよあのものゝ分別一ぱいを書付たる物なれば如才もなし、尤我心入に成事はなけれ共思ひ寄て內ゝ書付に調え、懷中して時節を見合せ我等に見せんと思ふ志は何ともたとへ難し、其事が用に立は用ひ、立ねば用ひぬ迄にてこそあれ、惣じて我と我身の惡は知れぬ物なり、然れば小身成者心易き友達傍輩學友などある物なれば、互に身の上の惡をみて吟味を遂る故、改め嗜む事多き物なり、左樣の友なき者は兼て人柄を聞立て賴置は能者と言なり、是は小身の德なり、扨又大身なる者、總ての上に立程の者は友達朋友など出會て心易く語るべき樣もなく、身の上の惡を吟味する事もなく、遠慮して人もいはす、日夜朝暮物言伽には我同然の者計りなれば、何事にても御尤とならではいはざるに依て、少々の違ひ誤りとも思はず、誤りと思はねば改んとも心も付ずして過事有物なり、是は必大身の損とも言べし、凡人の上に立て下の諫を聞ざる者國を失ひ家を破らざるは古今とも無之と仰らるゝ、佐渡守承り覺居て、或時子息上野介に語り聞せ候、落淚におよぶ、上野介其書付は如何樣の文言にて御座候其人は誰にて候やと聞候得ば、佐渡守聞て其文言其人も旁聞て何の用にも立事になしと申けると也、
現代語訳
「私の内々の考えを書き付けておりました。恐れながらお心得にもなるかと存じ、ご覧に入れます」と申し上げた。「それは感心な心入れだ」と大いに感心なされ、「佐渡守、苦しくなければ、それで読んで聞かせよ」と仰せられたので、畏まりましたと言って、数か条を読み終えた。「もっともなことだ、もっともなことだ」とご挨拶なされ、「これに限らず、今後も存じ寄りがあれば、遠慮なく聞かせよ」との上意があり、お聞き届けになったので、「近ごろ有り難いことです」と申して御前を退出した。佐渡守は御用があって残っていたところ、仰せられたのは、「ただ今の者が読み聞かせたことは、どう思うか」とのお尋ねで、佐渡守はお答えに、「一か条もお役に立ちそうなことはございませんように」と申し上げると、御手を振られて、「いやいや、あの者の分別一杯を書き付けたものであるから、手落ちもない。もとより私の心入れになることはないが、思いついて内々書き付けにまとめ、懐中して、時節を見合わせて私に見せようと思う志は、何とも例えがたい。その事が用に立つなら用い、立たなければ用いないまでのことだ。総じて、自分で自分の悪は知れぬものだ。それゆえ、小身の者は、気安い友達・朋輩・学友などがあるので、互いに身の上の悪を見て吟味するから、改め、嗜むことが多い。そういう友のない者は、かねて人柄を聞き立てて頼んでおくのが良い者という。これは小身の徳だ。さてまた大身なる者、すべての上に立つほどの者は、友達・朋友などと出会って気安く語ることもなく、身の上の悪を吟味することもなく、遠慮して人も言わず、日夜朝暮、話し相手には我と同然の者ばかりなので、何事でも『御もっとも』でなくては言わない。そのために少々の違い・誤りでも誤りと思わない。誤りと思わなければ、改めようという心も付かずに過ぎることがあるものだ。これは必ず大身の損とも言うべきだ。およそ、人の上に立って下の諫めを聞かない者が、国を失い家を破らないことは、古今ともにない」と仰せられた。佐渡守はこれを承って覚えており、あるとき息子の上野介に語り聞かせ、落涙に及んだ。上野介が「その書付はどのような文言でございましたか。その人は誰でございますか」と聞いたところ、佐渡守は、「その文言も、その人も、聞いたところで何の用にも立たないことだ」と言ったという。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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