明訓一班抄抄録 / 諫言を用べき事・鯉を巡る久三郎の命がけの諫め
東照宮仰に、某三州在城の時節勅使上使其外はれがましき事有之候時の用意に、三尺に餘る鯉二つ泉水に入置、或時是を見るに中にも大なる鯉一つ見へざる故に、其處に掛りたる掃除坊主にかこひ惡敷狐にとられたるかと問へば、此者申樣其鯉は鈴木久三郞拜領したるとて御臺所へ持參り、料理仕たべ候て、人々にも振舞、信長公より參りたる御酒の試仕候へと御意の由にて、御樽の封を切捨候と申に付、臺所の者を尋れば彼坊主が申如く也、二色共に我さへたしなみ置に我儘なるやつかな、箇樣の者を其分にて置なば向後諸士の風儀惡敷成べし、呼付成敗すべきと思ひ、呼付て長刀の鞘をはづし、廣椽に出て待所に、久三郞傍輩共同道しけれ共事ともせず、某が前に出候ては貳拾間程も置、惡さやつめと言葉をかけ長刀にかけんとせしに、久三郞是を見て己が刀脇差を五六間程跡へなげ捨、我に向ひ大の眼をきつと見ひらき、扨ゝ愚成御大將かな、魚鳥に人間をならぶる作法何國に御座候哉、夫にては中ゝ天下に望は成申間敷とて、却て某に惡口せし時實に尤とおもひ當り、拔たる長刀を捨て奧に入能ゝ彼が心中を思ひはかるに、近頃走りの者一人留場にて烏を取り、一人は城の堀にて網をうつ、此兩人を追込置しが、是を言べき爲わざと鯉を料理したるなれば少しも慮外にてはなし、偏に我意を歎きての事なりと思ひ案じ、彼走りの者兩人とも奉公に出候へと申付て、則久三郞を呼出し汝が志滿足なりといへば、久三郞なみだを流し、扨ゝ難有御意にて御座候、泰平の世にて候はゞ、ひそかに可申上儀に候得共、今亂國にて御座候故如此申上候、亂世にて私如きの侍も少し成とも勇氣御座候て御爲と奉存此通り候、夢ゝ私の威をふるひ氣隨にては無御座と申候へき、一入彼者が忠心を感じ秘藏におもひし也、昔も今も諸侍の者、
新字:東照宮仰に、某三州在城の時節勅使上使其外はれがましき事有之候時の用意に、三尺に余る鯉二つ泉水に入置、或時是を見るに中にも大なる鯉一つ見へざる故に、其処に掛りたる掃除坊主にかこひ悪敷狐にとられたるかと問へば、此者申様其鯉は鈴木久三郎拝領したるとて御台所へ持参り、料理仕たべ候て、人々にも振舞、信長公より参りたる御酒の試仕候へと御意の由にて、御樽の封を切捨候と申に付、台所の者を尋れば彼坊主が申如く也、二色共に我さへたしなみ置に我儘なるやつかな、箇様の者を其分にて置なば向後諸士の風儀悪敷成べし、呼付成敗すべきと思ひ、呼付て長刀の鞘をはづし、広椽に出て待所に、久三郎傍輩共同道しけれ共事ともせず、某が前に出候ては貳拾間程も置、悪さやつめと言葉をかけ長刀にかけんとせしに、久三郎是を見て己が刀脇差を五六間程跡へなげ捨、我に向ひ大の眼をきつと見ひらき、扨ゝ愚成御大将かな、魚鳥に人間をならぶる作法何国に御座候哉、夫にては中ゝ天下に望は成申間敷とて、却て某に悪口せし時実に尤とおもひ当り、抜たる長刀を捨て奥に入能ゝ彼が心中を思ひはかるに、近頃走りの者一人留場にて烏を取り、一人は城の堀にて網をうつ、此両人を追込置しが、是を言べき為わざと鯉を料理したるなれば少しも慮外にてはなし、偏に我意を嘆きての事なりと思ひ案じ、彼走りの者両人とも奉公に出候へと申付て、則久三郎を呼出し汝が志満足なりといへば、久三郎なみだを流し、扨ゝ難有御意にて御座候、泰平の世にて候はゞ、ひそかに可申上儀に候得共、今乱国にて御座候故如此申上候、乱世にて私如きの侍も少し成とも勇気御座候て御為と奉存此通り候、夢ゝ私の威をふるひ気随にては無御座と申候へき、一入彼者が忠心を感じ秘蔵におもひし也、昔も今も諸侍の者、
書き下し
東照宮仰に、某三州在城の時節勅使上使其外はれがましき事有之候時の用意に、三尺に餘る鯉二つ泉水に入置、或時是を見るに中にも大なる鯉一つ見へざる故に、其處に掛りたる掃除坊主にかこひ惡敷狐にとられたるかと問へば、此者申樣其鯉は鈴木久三郞拜領したるとて御臺所へ持參り、料理仕たべ候て、人々にも振舞、信長公より參りたる御酒の試仕候へと御意の由にて、御樽の封を切捨候と申に付、臺所の者を尋れば彼坊主が申如く也、二色共に我さへたしなみ置に我儘なるやつかな、箇樣の者を其分にて置なば向後諸士の風儀惡敷成べし、呼付成敗すべきと思ひ、呼付て長刀の鞘をはづし、廣椽に出て待所に、久三郞傍輩共同道しけれ共事ともせず、某が前に出候ては貳拾間程も置、惡さやつめと言葉をかけ長刀にかけんとせしに、久三郞是を見て己が刀脇差を五六間程跡へなげ捨、我に向ひ大の眼をきつと見ひらき、扨ゝ愚成御大將かな、魚鳥に人間をならぶる作法何國に御座候哉、夫にては中ゝ天下に望は成申間敷とて、却て某に惡口せし時實に尤とおもひ當り、拔たる長刀を捨て奧に入能ゝ彼が心中を思ひはかるに、近頃走りの者一人留場にて烏を取り、一人は城の堀にて網をうつ、此兩人を追込置しが、是を言べき爲わざと鯉を料理したるなれば少しも慮外にてはなし、偏に我意を歎きての事なりと思ひ案じ、彼走りの者兩人とも奉公に出候へと申付て、則久三郞を呼出し汝が志滿足なりといへば、久三郞なみだを流し、扨ゝ難有御意にて御座候、泰平の世にて候はゞ、ひそかに可申上儀に候得共、今亂國にて御座候故如此申上候、亂世にて私如きの侍も少し成とも勇氣御座候て御爲と奉存此通り候、夢ゝ私の威をふるひ氣隨にては無御座と申候へき、一入彼者が忠心を感じ秘藏におもひし也、昔も今も諸侍の者、
現代語訳
東照宮(家康)が仰せられるには、「私が三州(三河)に在城していたころ、勅使・上使、その他晴れがましいことがあるときの用意に、三尺に余る鯉二匹を泉水に入れておいた。あるときこれを見ると、中でも大きな鯉が一匹見えないので、そこを担当する掃除坊主に、囲いが悪くて狐に取られたのかと尋ねた。この者が言うには、その鯉は鈴木久三郎が拝領したと言って御台所へ持参し、料理して人々にも振る舞い、信長公から来た御酒の試しをせよとの御意だと言って、御樽の封を切り捨てたと申す。台所の者に尋ねると、あの坊主の申すとおりであった。鯉も酒も、私でさえ大切に取っておいたものを、我儘なやつだ。このような者をそのままにしておけば、今後諸士の風儀が悪くなるだろう、呼びつけて成敗しようと思い、呼びつけて長刀の鞘を外し、広縁に出て待っていたところ、久三郎は朋輩どもを同道して来たが何とも思わず、私の前に出るのに二十間ほども隔てて、『悪いやつめ』と言葉をかけ、長刀を掛けようとした。すると久三郎はこれを見て、自分の刀・脇差を五、六間ほど後ろへ投げ捨て、私に向かって大きな眼をきっと見開き、『さてもさても愚かな御大将だ。魚や鳥と人間を並べる作法が、どこの国にございましょうか。それでは、とても天下の望みは叶いますまい』と、かえって私に悪口を言った。そのとき実にもっともだと思い当たり、抜いた長刀を捨てて奥に入った。よくよく彼の心中を思いはかると、近ごろ、走りの者(逃げ出した者)一人が留場(禁猟場)で烏を取り、もう一人は城の堀で網を打った。この両人を追い込んでおいたが、これを言うために、わざと鯉を料理したのだから、少しも無礼ではない。ひとえに私の我意を嘆いてのことだと思案し、あの走りの者両人とも奉公に出よと申しつけ、そこで久三郎を呼び出して『お前の志は満足だ』と言うと、久三郎は涙を流し、『さてもさても有り難いお言葉でございます。泰平の世であれば、ひそかに申し上げることでございますが、今は乱国でございますので、このように申し上げました。乱世では、私のような侍も少しでも勇気がございましたら、お為になると存じ、このとおりにございます。決して私の威を振るい、気ままにするのではございません』と申した。いよいよあの者の忠心に感じ、秘蔵に思ったのだ。昔も今も、諸侍の者は、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 孟嘗君列伝先生の言を聞く、敢へて教へを奉ぜざらんや」と。
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説苑・尊賢魏の文侯大夫に曲陽に觴す。飲酣にして、文侯喟然として歎じて曰く、「吾独り豫譲以て臣と為す無し」と。蹇重酒を挙げて進みて曰く、「臣請う君に浮せん」と。文侯曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「臣之を聞く、命有るの父母は孝子を知らず、道有るの君は忠臣を知らずと。夫れ豫譲の君は、亦何如なる哉」と。文侯曰く、「善し」と。浮を受けて之を飲み、嚼みて譲らず。曰く、「管仲鮑叔以て臣と為す無きが故に、豫譲の功有るなり」と。趙簡子曰く、「吾范中行氏の良臣を得んと欲す」と。史黶曰く、「安んぞ之を用いんや」と。簡子曰く、「良臣は、人の願う所なり、又何ぞ問わんや」と。曰く、「君以て良臣無きが故なり。夫れ君に事うる者は、過ちを諫めて可を薦め、善を章かにして否を替え、能を献じて賢を進む。朝夕善を誦し、敗るれば之を納れ、聴かるれば則ち進み、否らざれば則ち退く。今范中行氏の良臣は、其の君を匡相する能わずして、難に至らしむ。出でて外に在り、又入る能わず。亡びて之を棄つ、何ぞ良と為さん。若し棄てずんば、君安んぞ之を得ん。夫れ良将は其の君を営みて、其の位に復さしめ、死して而る後に止む、何ぞ来たると曰わんや。若し未だ能わずんば、乃ち良に非ざるなり」と。簡子曰く、「善し」と。
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『晏子春秋』諫上・景公飲酒七日不納弦章之言晏子諫景公酒を飲み、七日七夜止まず。弦章諫めて曰く、「君酒を飲むこと七日七夜、章願わくは君酒を廃せんことを。然らずんば、章死を賜わらん」と。晏子入り見ゆ。公曰く、「章吾を諫めて曰く、『願わくは君の酒を廃せんことを、然らずんば章死を賜わらん』と。是くの如くにして之を聴かば、則ち臣の制を為すなり。聴かざれば、又其の死を愛しむ」と。晏子曰く、「幸いなるかな、章の君に遇えるや。章をして桀・紂に遇わしめば、章の死すること久しからん」と。是に於いて公遂に酒を廃す。
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史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
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『樵談治要抄録』・諫めを受ける度量春の雨の草木をうるほす事、大小の根莖をわかたざるがごとし、子を見るは父にしかず、臣をみるは君にしかずと申侍れば、よきあしきに付て、其心得をみ給て、正躰なき者の申事には、同心あるべからず、狐狸は人をばかす物ぞとしりぬれば、ばかされぬがごとし、次に君のあやまりましまさむ時は、諫め申を忠心といふ、存知ながら申入ざらんをば、不忠の人と云ふべし、いさめ申につきては、機嫌によりて、かならず怒をなし給ふとも、有べし、いかにも生涯にかへても、申べき事をば申べき也、君も又いかに御意にちがふヿなりとも、それを咎になさるゝ事はゆめ〱有べからず、大事と存ずればこそ是程までは申らめと、別して後には勸賞をもをこなはるべき事也、さりながら此頃の人は、いかによき事なれども、我心にたがふをばわろしと申、わろき事なれ共、我心にかなふをばよしと申侍べし、かやうならんいさめは、只我心に任せていふヿなれば、國のため其しるし有べからず、さればまづ人をよく心み給ふべき事也、昔朱雲といふ人、
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 小人の腹を以て君子の心と為す冬、梗陽の人獄有り。魏戊斷ずる能はず、獄を以って上る。其の大宗、賂ふに女樂を以ってす。魏子將に之を受けんとす。魏戊、閻沒(えんぼつ)・女寬(じょかん)に謂ひて曰く、「主は賄せざるを以って諸侯に聞こゆ。若し梗陽の人を受けば、賄焉より甚だしきは莫し。吾子必ず諫めよ」と。皆許諾す。朝より退きて庭に待つ。饋(き)入りて之を召す。置くに比(およ)びて三たび歎ず。既に食して坐せしむ。魏子曰く、「吾諸を伯叔に聞く、諺に曰く、『唯だ食のみ憂ひを忘る』と。吾子食を置くの間に三たび歎ずるは、何ぞや」と。辭を同じくして對へて曰く、「或ひと二小人に酒を賜ひ、夕食せず。饋の始めて至るや、其の足らざらんことを恐る。是を以って歎ず。中ば置くに自ら咎めて曰く、『豈に將軍之に食ましむるに、而も足らざる有らんや』と。是を以って再び歎ず。饋の畢(を)はるに及び、願はくは小人の腹を以って、君子の心と為し、屬厭(しょくえん)するのみならんことを」と。獻子、梗陽の人を辭す。

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