明訓一班抄抄録 / 奢侈を禁ずべき事・斉昭の按語 倹約は武備の土台
齊昭謹案に、和漢古今共明將賢君と聞ゆる人に儉約を不用なし、如何となれば其國に生れては其國を守り、外夷に不被奪樣にする事君へ忠祖宗への孝なり、然れば質素儉約してさえ、武備を手厚くせんは難し、ましてや、質素の政不行して武備を手厚くせん事は成がたき故なり、乍去君柔弱なる時は奸吏奸僧女子町人抔、本より武備をせんよりは今日花美をして身を樂しみ、我祿何故に給はると言事をさえ忘るゝ者多きなり、婦人僧侶は勿論戰爭の事に不拘ば終身榮花にさえ暮す時はよひとおもひ、扨又萬一の事有時は僧侶は戰爭の事は我持前にあらず、我等怨敵退散の御祈禱の職なりとて無益の祈禱に物を費し、危には近寄ず、勝利有時は祈禱のしるし有樣に言なし、又勝利なき時は武士の怠に言なし、統て自分のがるゝ事のみなり、斯る者の言事を信ずる時は國家危かるべし、本より僧侶は天下の大體を不知、我朝に生れて異端を行ひ、人にもすゝめ、自分當座の勝手のみ思ひて人を欺く故、闇君俗吏は是を信じて、儉約せざるが下の爲の樣にいつも〱思ひあやまちて、格別にふまえなき者は闇に引入らるゝ者なり、可恐事なり、物事統て取締人は心なき人々には惡しくいはれ、自分までても骨の折る物故、明君ならでは質素儉約して文武の世話する事は不能なり、さる故に末世にても其名聞ゆる事なり、取締の有志の者は勿論よきと言べく、百姓町人にても永世を見通したる町人やはり悅べし、只心なき士婦人僧侶小町人にてせまじき商ひする者が嫌ふ事なり、是等の爲に取締を止て、當座譽れを求め、永世主君の名を穢す事なかれ、常々儉約を守りてだに飢饉の手當又は非常の手當は難き事成に、ましてや常々美麗柔弱にして非常の事あらば如何なすべきや、三代將軍有德公の御儉約にてさえ常々質素儉約武備を御勵し被遊たるを、況や今我々の愚將たらん者儉約をせず武備を捨て、
新字:斉昭謹案に、和漢古今共明将賢君と聞ゆる人に倹約を不用なし、如何となれば其国に生れては其国を守り、外夷に不被奪様にする事君へ忠祖宗への孝なり、然れば質素倹約してさえ、武備を手厚くせんは難し、ましてや、質素の政不行して武備を手厚くせん事は成がたき故なり、乍去君柔弱なる時は奸吏奸僧女子町人抔、本より武備をせんよりは今日花美をして身を楽しみ、我禄何故に給はると言事をさえ忘るゝ者多きなり、婦人僧侶は勿論戦争の事に不拘ば終身栄花にさえ暮す時はよひとおもひ、扨又万一の事有時は僧侶は戦争の事は我持前にあらず、我等怨敵退散の御祈祷の職なりとて無益の祈祷に物を費し、危には近寄ず、勝利有時は祈祷のしるし有様に言なし、又勝利なき時は武士の怠に言なし、統て自分のがるゝ事のみなり、斯る者の言事を信ずる時は国家危かるべし、本より僧侶は天下の大体を不知、我朝に生れて異端を行ひ、人にもすゝめ、自分当座の勝手のみ思ひて人を欺く故、闇君俗吏は是を信じて、倹約せざるが下の為の様にいつも〱思ひあやまちて、格別にふまえなき者は闇に引入らるゝ者なり、可恐事なり、物事統て取締人は心なき人々には悪しくいはれ、自分までても骨の折る物故、明君ならでは質素倹約して文武の世話する事は不能なり、さる故に末世にても其名聞ゆる事なり、取締の有志の者は勿論よきと言べく、百姓町人にても永世を見通したる町人やはり悦べし、只心なき士婦人僧侶小町人にてせまじき商ひする者が嫌ふ事なり、是等の為に取締を止て、当座誉れを求め、永世主君の名を穢す事なかれ、常々倹約を守りてだに飢饉の手当又は非常の手当は難き事成に、ましてや常々美麗柔弱にして非常の事あらば如何なすべきや、三代将軍有徳公の御倹約にてさえ常々質素倹約武備を御励し被遊たるを、況や今我々の愚将たらん者倹約をせず武備を捨て、
書き下し
齊昭謹案に、和漢古今共明將賢君と聞ゆる人に儉約を不用なし、如何となれば其國に生れては其國を守り、外夷に不被奪樣にする事君へ忠祖宗への孝なり、然れば質素儉約してさえ、武備を手厚くせんは難し、ましてや、質素の政不行して武備を手厚くせん事は成がたき故なり、乍去君柔弱なる時は奸吏奸僧女子町人抔、本より武備をせんよりは今日花美をして身を樂しみ、我祿何故に給はると言事をさえ忘るゝ者多きなり、婦人僧侶は勿論戰爭の事に不拘ば終身榮花にさえ暮す時はよひとおもひ、扨又萬一の事有時は僧侶は戰爭の事は我持前にあらず、我等怨敵退散の御祈禱の職なりとて無益の祈禱に物を費し、危には近寄ず、勝利有時は祈禱のしるし有樣に言なし、又勝利なき時は武士の怠に言なし、統て自分のがるゝ事のみなり、斯る者の言事を信ずる時は國家危かるべし、本より僧侶は天下の大體を不知、我朝に生れて異端を行ひ、人にもすゝめ、自分當座の勝手のみ思ひて人を欺く故、闇君俗吏は是を信じて、儉約せざるが下の爲の樣にいつも〱思ひあやまちて、格別にふまえなき者は闇に引入らるゝ者なり、可恐事なり、物事統て取締人は心なき人々には惡しくいはれ、自分までても骨の折る物故、明君ならでは質素儉約して文武の世話する事は不能なり、さる故に末世にても其名聞ゆる事なり、取締の有志の者は勿論よきと言べく、百姓町人にても永世を見通したる町人やはり悅べし、只心なき士婦人僧侶小町人にてせまじき商ひする者が嫌ふ事なり、是等の爲に取締を止て、當座譽れを求め、永世主君の名を穢す事なかれ、常々儉約を守りてだに飢饉の手當又は非常の手當は難き事成に、ましてや常々美麗柔弱にして非常の事あらば如何なすべきや、三代將軍有德公の御儉約にてさえ常々質素儉約武備を御勵し被遊たるを、況や今我々の愚將たらん者儉約をせず武備を捨て、
現代語訳
斉昭がつつしんで考えるに、日本・中国の古今を通じて、明将・賢君と聞こえる人で、倹約を用いなかった者はありません。なぜなら、その国に生まれてはその国を守り、外夷に奪われないようにするのが、君への忠、祖先への孝だからです。そうであれば、質素倹約してさえ武備を手厚くするのは難しく、まして質素の政を行わずに武備を手厚くすることはできないからです。しかしながら、君が柔弱なときは、悪い役人・僧・女子・町人などは、もとより武備をするよりも今日の華美を楽しみ、自分の禄は何のために給わるのかということさえ忘れる者が多いものです。婦人・僧侶はもちろん、戦争に関わらなければ終身栄華に暮らせればよいと思い、さて万一のことがあるときには、僧侶は「戦争のことは我が持ち前ではない。我らは怨敵退散のご祈禱の職である」と言って、無益な祈禱に物を費やし、危うきには近寄らず、勝利があれば祈禱のしるしだと言いなし、勝利がなければ武士の怠りだと言いなします。総じて自分が逃れることばかりです。このような者の言うことを信じるときは、国家が危うくなります。もとより僧侶は天下の大体を知らず、我が朝に生まれながら異端を行い、人にも勧め、自分の当座の都合ばかり考えて人を欺くので、暗君や俗吏はこれを信じ、倹約しないのが下のためになるかのようにいつもいつも思い誤り、格別の見識のない者は闇に引き入れられるのです。恐るべきことです。物事すべて取り締まる人は、心なき人々に悪く言われ、自分まで骨の折れることなので、明君でなくては質素倹約して文武の世話をすることはできません。それゆえ、末世でもその名が聞こえるのです。取り締まりの志ある者はもちろん良しとし、百姓・町人でも、永世を見通した町人はやはり喜びます。ただ心ない士、婦人、僧侶、小商人で、すべきでない商いをする者が嫌うことです。これらのために取り締まりをやめて、当座の誉れを求め、永世、主君の名を汚してはなりません。常々倹約を守ってさえ、飢饉の手当や非常の手当は難しいのに、まして常々美麗柔弱で、非常のことがあればどうするのでしょうか。三代将軍有徳公の倹約でさえ、常々質素倹約し武備を励まれたのに、ましてや今、我々のような愚将たる者が、倹約をせず武備を捨て、
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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人生を、一行の式にしてみた。
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