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明訓一班抄抄録 / 奢侈を禁ずべき事・家康の辞退と吉宗の倹約

其上今更大相國の宣旨病中と云御請すべき樣なし、草創の前年より奢を自封し質素を旨とする也、勿躰なし〱との上意を伺ひて上野介が方より思召を密に申傳へしかば、諸大名奉感て拜賀の獻上等も相止みおもひ〱に退出しけり、希代之御辭退、是皆御子孫長久且又侯伯の輩に驕奢を御戒なさるべき思召とは相知れり、有德公御代御儉約に付、諸太夫の御役人平士は白小袖着用に不及、縞小袖に上下着用之儀御用捨被仰出、是に依て白小袖を着用すべき格の人も色替り襟袖口抔を着し、上着縞小袖にて、上下紋付に不戾子裏付肩衣次上下にして平日着せしかば、不勝手の人には大に助になりしとかや、其後三ヶ年の間嚴敷儉約を被仰出故、諸士儉約を用ひ木綿の羽織は着せし、云々、常憲公(佛法を信じ給ひ護持の僧を愛し給ふ、)文照公(學者新井筑後守を信じ給ふ、)御雨代花美を好み給ふ所に、有德公御代其害をしろし召れ歎かせ給ひ、只今にも非常の變あらば何を以て萬民を救はせ給ふべきと、色々御工風被遊萬事奢侈を止させ給ふ、御儉約を專一と被遊し故、御先代の風儀と急に違ひし故、萬民行儀正敷御風儀を窮屈と思ふよりして御儉約の御政事をあしざまに取沙汰し、公をそしる人多かりき、其事を聞し召て上意に、我世の中の事を思へばこそ千辛萬苦するに、却て民のそしりを得るこそ苦しけれとて、御詠被遊、世の中を安からせんは身賤し賤しからんとせんは苦しき有德公兼て未來事を仰出されけるは、凡天子は七廟、諸侯は五廟、太夫三廟と、禮記に有之、已に上野芝の廟所東照宮台德公大猷公嚴有公常憲公文照公有章公七廟有之、天子の如く、是武家の法に過て聖人の心に不叶、さればとて有來の廟をこぼち仕らん樣なし、只當時日本の禮花美に成て禮の誠に不叶なり、今にも死するならば東叡山の常憲公御相殿に仕べし、享保御代初に上意遊されし也、

新字:其上今更大相国の宣旨病中と云御請すべき様なし、草創の前年より奢を自封し質素を旨とする也、勿体なし〱との上意を伺ひて上野介が方より思召を密に申伝へしかば、諸大名奉感て拝賀の献上等も相止みおもひ〱に退出しけり、希代之御辞退、是皆御子孫長久且又侯伯の輩に驕奢を御戒なさるべき思召とは相知れり、有徳公御代御倹約に付、諸太夫の御役人平士は白小袖着用に不及、縞小袖に上下着用之儀御用捨被仰出、是に依て白小袖を着用すべき格の人も色替り襟袖口抔を着し、上着縞小袖にて、上下紋付に不戻子裏付肩衣次上下にして平日着せしかば、不勝手の人には大に助になりしとかや、其後三ヶ年の間厳敷倹約を被仰出故、諸士倹約を用ひ木綿の羽織は着せし、云々、常憲公(仏法を信じ給ひ護持の僧を愛し給ふ、)文照公(学者新井筑後守を信じ給ふ、)御雨代花美を好み給ふ所に、有徳公御代其害をしろし召れ嘆かせ給ひ、只今にも非常の変あらば何を以て万民を救はせ給ふべきと、色々御工風被遊万事奢侈を止させ給ふ、御倹約を専一と被遊し故、御先代の風儀と急に違ひし故、万民行儀正敷御風儀を窮屈と思ふよりして御倹約の御政事をあしざまに取沙汰し、公をそしる人多かりき、其事を聞し召て上意に、我世の中の事を思へばこそ千辛万苦するに、却て民のそしりを得るこそ苦しけれとて、御詠被遊、世の中を安からせんは身賤し賤しからんとせんは苦しき有徳公兼て未来事を仰出されけるは、凡天子は七廟、諸侯は五廟、太夫三廟と、礼記に有之、已に上野芝の廟所東照宮台徳公大猷公厳有公常憲公文照公有章公七廟有之、天子の如く、是武家の法に過て聖人の心に不叶、さればとて有来の廟をこぼち仕らん様なし、只当時日本の礼花美に成て礼の誠に不叶なり、今にも死するならば東叡山の常憲公御相殿に仕べし、享保御代初に上意遊されし也、

書き下し

其上今更大相國の宣旨病中と云御請すべき樣なし、草創の前年より奢を自封し質素を旨とする也、勿躰なし〱との上意を伺ひて上野介が方より思召を密に申傳へしかば、諸大名奉感て拜賀の獻上等も相止みおもひ〱に退出しけり、希代之御辭退、是皆御子孫長久且又侯伯の輩に驕奢を御戒なさるべき思召とは相知れり、有德公御代御儉約に付、諸太夫の御役人平士は白小袖着用に不及、縞小袖に上下着用之儀御用捨被仰出、是に依て白小袖を着用すべき格の人も色替り襟袖口抔を着し、上着縞小袖にて、上下紋付に不戾子裏付肩衣次上下にして平日着せしかば、不勝手の人には大に助になりしとかや、其後三ヶ年の間嚴敷儉約を被仰出故、諸士儉約を用ひ木綿の羽織は着せし、云々、常憲公(佛法を信じ給ひ護持の僧を愛し給ふ、)文照公(學者新井筑後守を信じ給ふ、)御雨代花美を好み給ふ所に、有德公御代其害をしろし召れ歎かせ給ひ、只今にも非常の變あらば何を以て萬民を救はせ給ふべきと、色々御工風被遊萬事奢侈を止させ給ふ、御儉約を專一と被遊し故、御先代の風儀と急に違ひし故、萬民行儀正敷御風儀を窮屈と思ふよりして御儉約の御政事をあしざまに取沙汰し、公をそしる人多かりき、其事を聞し召て上意に、我世の中の事を思へばこそ千辛萬苦するに、却て民のそしりを得るこそ苦しけれとて、御詠被遊、世の中を安からせんは身賤し賤しからんとせんは苦しき有德公兼て未來事を仰出されけるは、凡天子は七廟、諸侯は五廟、太夫三廟と、禮記に有之、已に上野芝の廟所東照宮台德公大猷公嚴有公常憲公文照公有章公七廟有之、天子の如く、是武家の法に過て聖人の心に不叶、さればとて有來の廟をこぼち仕らん樣なし、只當時日本の禮花美に成て禮の誠に不叶なり、今にも死するならば東叡山の常憲公御相殿に仕べし、享保御代初に上意遊されし也、

現代語訳

その上、今さら大相国(太政大臣)の宣旨を、病中だからといってお受けするべきでもない。草創の前年から奢りを自ら封じ、質素を旨としているのだ。もったいない、もったいない」との上意をうかがって、上野介の方から思し召しを密かに申し伝えたので、諸大名は感じ入って、拝賀の献上なども取りやめ、思い思いに退出しました。世にまれなご辞退でした。これらは皆、ご子孫の長久、また侯伯の輩に驕奢を戒めようとの思し召しと知られます。有徳公(吉宗)の御代には倹約のため、諸太夫の御役人や平士は、白小袖の着用に及ばず、縞小袖に上下を着ることを御用捨(免除)と仰せ出されました。これにより、白小袖を着用すべき格の人も、色替わりや襟・袖口などを付け、上着は縞小袖で、上下は紋付に戻さず、子裏付の肩衣、次に上下を平日に着たため、不勝手の人には大きな助けになったとのことです。その後三年の間、厳しく倹約を仰せ出されたので、諸士は倹約を用い、木綿の羽織を着ました、云々。常憲公(綱吉)は仏法を信じ、護持の僧を愛し、文照公(家宣)は学者の新井筑後守を信じられました。両御代が花美を好まれたところ、有徳公の御代にその害をお知りになって嘆かれ、「ただ今にも非常の変があれば、何をもって万民を救えようか」と、いろいろご工夫あそばし、万事の奢侈を止めさせ、倹約を専一とされました。先代の風儀と急に違ったため、万民は行儀が正しいことを窮屈と思って、倹約の御政事を悪しざまに取り沙汰し、公を謗る人が多くありました。それをお聞きになって上意に、「私は世の中のことを思えばこそ千辛万苦するのに、かえって民の謗りを得るのは苦しいことだ」とて、御歌を詠まれました。「世の中を安からせんは身賤し賤しからんとせんは苦しき」。有徳公はかねて将来のことを仰せ出されて、「おおよそ天子は七廟、諸侯は五廟、大夫は三廟と、『礼記』にある。すでに上野芝の廟所には、東照宮・台徳公・大猷公・厳有公・常憲公・文照公・有章公の七廟があり、天子のようで、武家の法に過ぎ、聖人の心にかなわない。そうかといって、既存の廟を壊すわけにもいかない。ただ当今、日本の礼が華美になり、礼の誠にかなわない。今にも死ぬならば、東叡山の常憲公の相殿に祀るべし」と、享保の御代の初めに上意なさったとのことです。

解説

家康は最高の官位を受ける機会に際し、奢りを自ら封じた初心を理由に辞退し、諸大名への手本としました。吉宗の倹約も、民に窮屈がられ謗られながら、非常の際に万民を救うという目的で貫かれています。改革は、先代との落差が大きいほど周囲の反発を受けます。現代の管理職も、備えのための節約や制度の見直しが不評でも、目的を繰り返し説明し、負担を受ける人への配慮を工夫しながら進める必要があります。実際に困る人の助けになる細やかな運用も重要です。

この章句が説くこと

明訓一班抄徳川斉昭家康吉宗倹約改革

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