史記 / 殷本紀
伊尹嘉之,迺作太甲訓三篇,襃帝太甲,稱太宗。太宗崩,子沃丁立。帝沃丁之時,伊尹卒。既葬伊尹於亳,咎單遂訓伊尹事,作沃丁。沃丁崩,弟太庚立,是為帝太庚。帝太庚崩,子帝小甲立。帝小甲崩,弟雍己立,是為帝雍己。殷道衰,諸侯或不至。帝雍己崩,弟太戊立,是為帝太戊。
新字:伊尹嘉之,迺作太甲訓三篇,褒帝太甲,称太宗。太宗崩,子沃丁立。帝沃丁之時,伊尹卒。既葬伊尹於亳,咎単遂訓伊尹事,作沃丁。沃丁崩,弟太庚立,是為帝太庚。帝太庚崩,子帝小甲立。帝小甲崩,弟雍己立,是為帝雍己。殷道衰,諸侯或不至。帝雍己崩,弟太戊立,是為帝太戊。
書き下し
伊尹之を嘉し、迺ち太甲訓三篇を作り、帝太甲を襃めて、太宗と称す。太宗崩じ、子沃丁立つ。帝沃丁の時、伊尹卒す。既に伊尹を亳に葬り、咎単遂に伊尹の事を訓へ、沃丁を作る。沃丁崩じ、弟太庚立つ。是を帝太庚と為す。帝太庚崩じ、子帝小甲立つ。帝小甲崩じ、弟雍己立つ。是を帝雍己と為す。殷の道衰へ、諸侯或いは至らず。帝雍己崩じ、弟太戊立つ。是を帝太戊と為す。
現代語訳
伊尹はこれ(太甲が過ちを悔い改めて徳を修めたこと)を喜び、『太甲訓』三篇を作って帝太甲をたたえ、太宗と称した。太宗が崩じ、子の沃丁が立った。帝沃丁の時、伊尹が亡くなった。伊尹を亳に葬った後、咎単は伊尹の事績を教え伝えるために『沃丁』を作った。沃丁が崩じ、弟の太庚が立った。これが帝太庚である。帝太庚が崩じ、子の帝小甲が立った。帝小甲が崩じ、弟の雍己が立った。これが帝雍己である。殷の政道は衰え、諸侯の中には朝見に来ない者も出た。帝雍己が崩じ、弟の太戊が立った。これが帝太戊である。
解説
関連する章句
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史記 殷本紀帝太甲既に立つこと三年、明ならず、暴虐にして、湯法に遵はず、徳を乱す、是に於て伊尹之を桐宮に放つ。帝太甲桐宮に居ること三年、過を悔い自ら責め、善に反る、是に於て伊尹乃ち帝太甲を迎へて之に政を授く。帝太甲徳を修め、諸侯咸殷に帰し、百姓以て寧し。
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史記 殷本紀先王の言勉めざる可からず』と。曰く、『道ならずんば、国に在る毋かれ、女我を怨む毋かれ』と」と。以て諸侯に令す。伊尹咸有一徳を作り、咎単明居を作る。湯乃ち正朔を改め、服色を易へ、白を上び、朝会は昼を以てす。湯崩じ、太子太丁未だ立たずして卒す。是に於て迺ち太丁の弟外丙を立つ。是を帝外丙と為す。帝外丙即位三年にして崩じ、外丙の弟中壬を立つ。是を帝中壬と為す。帝中壬即位四年にして崩じ、伊尹迺ち太丁の子太甲を立つ。太甲は、成湯の適長孫なり。是を帝太甲と為す。帝太甲の元年、伊尹伊訓を作り、肆命を作り、徂后を作る。
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尚書・太甲上惟れ嗣王阿衡(あかう)に恵(したが)はず。伊尹書を作りて曰く、「先王天の明命を顧諟(こし)し、以て上下の神祇に承(つか)ふ。社稷宗廟、祗粛(ししゆく)ならざる罔し。天厥(そ)の徳を監(み)て、用(も)て大命を集め、万方を撫綏(ぶすい)せしむ。惟れ尹躬(みづか)ら克く厥の辟(きみ)を左右し、師に宅(を)らしむ。肆(ゆゑ)に嗣王丕(おほ)いに基緒を承く。惟れ尹躬ら先づ西邑の夏を見るに、周(まこと)有りて終はり有り、相(しやう)も亦惟れ終はり有り。其の後の嗣王克く終はり有る罔く、相も亦終はり罔し。嗣王戒めよや。爾(なんぢ)の厥の辟たるを祗(つつし)め。辟にして辟たらずんば、厥の祖を忝(はづかし)めん」と。王惟れ庸(つね)にして念ひ聞く罔し。伊尹乃ち言ひて曰く、「先王昧爽(まいさう)に丕(おほ)いに顕らかにし、坐して以て旦(あした)を待つ。旁(あまね)く俊彦(しゆんげん)を求め、後人を啓迪(けいてき)す。厥の命を越えて以て自ら覆ること無かれ。
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尚書・伊訓惟れ元祀(げんし)十有二月乙丑、伊尹先王に祠(まつ)り、嗣王を奉じて祗(つつし)みて厥(そ)の祖に見(まみ)えしむ。侯甸(こうでん)の群后咸(みな)在り、百官己を総べて以て冢宰(ちようさい)に聴く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成徳を言ひ、以て王を訓(をし)へて曰く、「嗚呼(ああ)、古(いにしへ)の有夏の先后、方(まさ)に厥の徳を懋(つと)め、天災有る罔(な)し。山川鬼神も亦寧(やす)からざる莫(な)く、鳥獣魚鼈(ぎよべつ)に暨(およ)ぶまで咸若(したが)ふ。其の子孫に于(お)いて率(したが)はず、皇天災を降し、手を我が命有るものに仮る。攻を造(はじ)むるは鳴条よりし、朕が哉(はじ)めは亳よりす。惟れ我が商王、聖武を布昭し、虐に代ふるに寛を以てし、兆民允(まこと)に懐く。今王厥の徳を嗣ぐは、初めに在らざる罔し。
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史記 殷本紀中宗崩じ、子帝中丁立つ。帝中丁隞に遷り、河亶甲相に居り、祖乙邢に遷る。帝中丁崩じ、弟外壬立つ。是を帝外壬と為す。仲丁の書は闕けて具はらず。帝外壬崩じ、弟河亶甲立つ。是を帝河亶甲と為す。河亶甲の時、殷復た衰ふ。河亶甲崩じ、子帝祖乙立つ。帝祖乙立ちて、殷復た興る。巫賢職に任ず。祖乙崩じ、子帝祖辛立つ。帝祖辛崩じ、弟沃甲立つ。是を帝沃甲と為す。帝沃甲崩じ、沃甲の兄祖辛の子祖丁を立つ。是を帝祖丁と為す。帝祖丁崩じ、弟沃甲の子南庚を立つ。是を帝南庚と為す。帝南庚崩じ、帝祖丁の子陽甲を立つ。是を帝陽甲と為す。帝陽甲の時、殷衰ふ。中丁より以来、適を廃して更に諸弟の子を立て、弟の子或いは争ひて相代はりて立ち、比九世乱る。是に於て諸侯朝する莫し。帝陽甲崩じ、弟盤庚立つ。是を帝盤庚と為す。帝盤庚の時、殷已に河北に都す。盤庚河を渡りて南し、復た成湯の故居に居る。迺ち五たび遷りて、定処無し。殷の民咨胥皆怨み、徙るを欲せず。盤庚乃ち諸侯大臣に告諭して曰く、「昔高后成湯爾の先祖と倶に天下を定む。法則修む可し。舍てて勉めずんば、何を以て徳を成さん」と。乃ち遂に河を渉りて南し、亳を治め、湯の政を行ふ。然る後に百姓由りて寧く、殷の道復た興る。諸侯来朝す、其の成湯の徳に遵ふを以てなり。帝盤庚崩じ、弟小辛立つ。是を帝小辛と為す。帝小辛立ちて、殷復た衰ふ。百姓盤庚を思ひ、迺ち盤庚三篇を作る。帝小辛崩じ、弟小乙立つ。是を帝小乙と為す。帝小乙崩じ、子帝武丁立つ。帝武丁即位し、殷を復興せんことを思ふも、未だ其の佐を得ず。三年言はず、政事は冢宰に決定し、以て国風を観る。
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尚書・太甲上予順はざるに狎(な)れず、桐宮を営み、先王の其の訓に密邇(みつじ)して、世をして迷はしむること無からん」と。王桐宮に徂(ゆ)きて憂に居り、克く允徳(いんとく)を終ふ。
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