及門遺範 / 君子を学ぶ・儒者にならず
一先生談說孝經、以愛敬二字爲第一義、發仁孝一本之義、徵之曾孟之言、鑿鑿有確據、而講論諸經、必以論語爲首、每誦大寶令分經敎授孝經論語、令學者兼習之、將著梅巷筆囊、粗有端緒、未就而卽世、誠爲可憾矣、然學者能熟讀二書、反復玩味、果有意會、庶幾不倍先生之意也、一先生恒言、學者學爲君子、非學爲儒者、故論語以君子二字始終之、又言、道者成人之道、非儒者之私業、故夫子成德達材、有德行、有言語、有政事、有文學、各因其人所長、成就之、儒則古以道藝敎人、周官云、儒以道得民、是也、故夫子誨子夏以爲君子儒、以其長於文學也、周末道不行、門弟子各以其所學、敎授後輩、而人稱之爲儒者之道、是非聖人之本意、後學者當以成人自期、不必要爲儒者、學而爲君子、是則孔門之學也、安謂、 義公諭士臣曰、士不可以不學道知人倫之義、匹夫之勇、非所貴、學道知義、雖寡人亦儒也、此以儒自處、似不與先生之意同、蓋 公則勸士大夫學、所謂儒者亦唯指學道者爲言、而其意在明人倫、則亦學爲君子而非爲村夫子之謂、其言雖異、其意則同也、
新字:一先生談説孝経、以愛敬二字為第一義、発仁孝一本之義、徴之曽孟之言、鑿鑿有確拠、而講論諸経、必以論語為首、毎誦大宝令分経教授孝経論語、令学者兼習之、将著梅巷筆嚢、粗有端緒、未就而即世、誠為可憾矣、然学者能熟読二書、反復玩味、果有意会、庶幾不倍先生之意也、一先生恒言、学者学為君子、非学為儒者、故論語以君子二字始終之、又言、道者成人之道、非儒者之私業、故夫子成徳達材、有徳行、有言語、有政事、有文学、各因其人所長、成就之、儒則古以道芸教人、周官云、儒以道得民、是也、故夫子誨子夏以為君子儒、以其長於文学也、周末道不行、門弟子各以其所学、教授後輩、而人称之為儒者之道、是非聖人之本意、後学者当以成人自期、不必要為儒者、学而為君子、是則孔門之学也、安謂、 義公諭士臣曰、士不可以不学道知人倫之義、匹夫之勇、非所貴、学道知義、雖寡人亦儒也、此以儒自処、似不与先生之意同、蓋 公則勧士大夫学、所謂儒者亦唯指学道者為言、而其意在明人倫、則亦学為君子而非為村夫子之謂、其言雖異、其意則同也、
書き下し
一、先生孝経を談説するに、愛敬の二字を以て第一義と為し、仁孝一本の義を発す。之を曾孟の言に徴するに、鑿鑿として確拠有り。而して諸経を講論するには、必ず論語を以て首と為す。毎に大宝令に経を分ちて孝経・論語を教授せしむるを誦し、学者をして之を兼ね習はしむ。梅巷筆囊を著さんとして、粗ぼ端緒有るも、未だ就らずして即世す。誠に憾むべしと為す。然れども学者能く二書を熟読し、反復玩味して、果たして意会有らば、庶幾くは先生の意に倍かざらん。 一、先生恒に言ふ、学者は学びて君子と為るなり、学びて儒者と為るに非ず。故に論語は君子の二字を以て始終す、と。又言ふ、道とは成人の道にして、儒者の私業に非ず。故に夫子は徳を成し材を達し、徳行有り、言語有り、政事有り、文学有り、各々其の人の長ずる所に因りて之を成就す。儒は則ち古は道芸を以て人に教ふ。周官に云ふ、儒は道を以て民を得、是れなり。故に夫子子夏を誨へて君子儒と為らしむるは、其の文学に長ずるを以てなり。周末道行はれず、門弟子各々其の学ぶ所を以て後輩に教授し、人称して儒者の道と為す。是れ聖人の本意に非ず。後学者は当に成人を以て自ら期すべく、必ずしも儒者と為るを要せず。学びて君子と為る、是れ則ち孔門の学なり、と。安謂へらく、義公士臣に諭して曰く、士は以て道を学び人倫の義を知らざるべからず。匹夫の勇は貴ぶ所に非ず。道を学び義を知らば、寡人と雖も亦た儒なり、と。此れ儒を以て自ら処す。先生の意と同じからざるに似たり。蓋し公は則ち士大夫に学を勧む。所謂儒者も亦た唯だ道を学ぶ者を指して言ふのみ。而して其の意は人倫を明らかにするに在れば、則ち亦た学びて君子と為り、村夫子と為るに非ざるの謂ひなり。其の言異なりと雖も、其の意は則ち同じきなり。
現代語訳
一 先生が『孝経』を語るときは、「愛」と「敬」の二字を第一の意義とし、仁と孝が一つの根から出るという意味を明らかにしました。これを曾子や孟子の言葉に照らすと、はっきりした確かな根拠がありました。そして諸経を講じるときには、必ず『論語』を最初に置きました。常に、大宝令が経書を分けて『孝経』と『論語』を教授させ、学ぶ者にこの二つを併せて学ばせていることを口にされました。先生は『梅巷筆囊』を著そうとして、おおよその筋道はできていましたが、完成しないうちに亡くなられました。まことに残念です。しかし、学ぶ者がこの二書をよく熟読し、繰り返し味わって、本当に会得するところがあれば、先生の意に背くことはないでしょう。 一 先生はいつも言いました。学ぶ者は、学んで君子になるのであって、学んで儒者になるのではない。だから『論語』は「君子」の二字で始まり終わっている、と。また言いました。道とは人として成るための道であって、儒者の私的な職業ではない。だから孔子は徳を成し才能を伸ばし、徳行・言語・政事・文学の各分野で、それぞれの人の長所に応じて成就させた。儒とは、古くは道と芸をもって人に教える者であり、『周官』に「儒は道によって民の心を得る」とあるのがそれである。孔子が子夏に「君子の儒になれ」と教えたのは、子夏が文学に長じていたからである。周の末に道が行われなくなると、弟子たちがそれぞれ学んだことで後輩を教え、人がそれを儒者の道と呼ぶようになった。これは聖人の本意ではない。後学の者は人として成ることを自らの目標にすべきで、必ずしも儒者になる必要はない。学んで君子になる、これが孔子の門の学びである、と。私が思うに、義公(光圀)は家臣たちに、武士は道を学び人倫の義を知らなければならない、匹夫の勇は尊ぶものではない、道を学び義を知るなら、私のような者でも儒である、と諭しました。これは自らを儒の立場に置いており、先生の考えと違うように見えます。しかし、義公は士大夫に学問を勧めたのであり、ここでいう儒者も、ただ道を学ぶ者を指して言ったにすぎません。その真意が人倫を明らかにすることにあるなら、やはり学んで君子になるのであって、田舎の先生になるという意味ではありません。言葉は違っても、意味は同じなのです。
解説
この章句が説くこと
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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