及門遺範 / 文武一途の教え
一先生謂、古者文武一途、未嘗分以爲二、無論海內外、其致相同、故男子生、則以桑弧蓬矢射天地四方、天地四方男子所有事也、孔子曰、有文事者必有武備、而其折齊人驕慢之氣、折衝於樽俎之間、陳恒弑君、則請討之、明大義於天下、與後世下帷揮塵、徒文不武者不同、況 神州自太初崇尚勇武、而當今食武家之祿、豈可徒事文墨以失武士之本業哉、是以使門人兼習武技、不倣於白面書生好爲輭弱之態、
新字:一先生謂、古者文武一途、未嘗分以為二、無論海内外、其致相同、故男子生、則以桑弧蓬矢射天地四方、天地四方男子所有事也、孔子曰、有文事者必有武備、而其折斉人驕慢之気、折衝於樽俎之間、陳恒弑君、則請討之、明大義於天下、与後世下帷揮塵、徒文不武者不同、況 神州自太初崇尚勇武、而当今食武家之禄、豈可徒事文墨以失武士之本業哉、是以使門人兼習武技、不倣於白面書生好為輭弱之態、
書き下し
一、先生謂ふ、古は文武一途にして、未だ嘗て分ちて二と為さず。海内外を論ずる無く、其の致は相同じ。故に男子生まるれば、則ち桑弧蓬矢もて天地四方を射る。天地四方は男子の有つ事なればなり。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有り、と。而して其の斉人の驕慢の気を折き、樽俎の間に折衝し、陳恒君を弑せば、則ち請ひて之を討ち、大義を天下に明らかにす。後世の帷を下ろし麈を揮ひ、徒だ文のみにして武ならざる者と同じからず。況んや神州は太初より勇武を崇尚するをや。而して当今武家の禄を食む、豈に徒らに文墨を事として以て武士の本業を失ふべけんや、と。是を以て門人をして兼ねて武技を習はしめ、白面書生の好んで輭弱の態を為すに倣はず。
現代語訳
一 先生は言いました。古くは文と武は一つの道であり、二つに分けたことはなかった。国の内外を問わず、その極みは同じである。だから男の子が生まれると、桑の弓と蓬の矢で天地四方に向けて射る。天地四方に事を成すことは男子の務めだからである。孔子は「文事のある者には、必ず武の備えがある」と言った。そして孔子は斉の人々の驕り高ぶりをくじき、宴席での交渉で相手を押さえ、陳恒が主君を殺したときには討伐を請うて、大義を天下に明らかにした。後世の、帳を下ろして麈(払子)を振るい、ただ文だけで武のない者たちとは同じではない。まして日本は太古から勇武を尊んできた国である。今、武家の禄を食んでいる者が、どうしてただ文章や書物にかまけて、武士の本来の仕事を失ってよいだろうか、と。こうして先生は門人たちに武技も併せて習わせ、色白の書生が好んで軟弱な様子になるのを真似させませんでした。
解説
この章句が説くこと
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『及門遺範』・武技は実用を旨とする一、又謂ふ、武を習ふは、陣に臨みて己の職分を尽くす所以にして、本より私闘の用に非ず、亦た演場に技を衒ふの具に非ず。当に花法を去りて、専ら実用に務むべし、と。当時泰平の余を承け、演技を習ふ者は、多く昔人の成法を株守し、陳跡に拘泥して、其の区域を出づる能はず。先生嘗て杉山子方等と、伊勢の伝ふる所の吉田射法を学び、戸崎氏の刀法を伝ふる者を招きて、少年に教授せしむ。是より小野の刀、種田の槍、荻野の銃の如き、往々伝播し、而して師家の旧法を伝ふる者も、亦た実用を講求するに務め、自ら機軸を出だし、四方に雄を称する者有るに至る。先生は実に之が嚆矢と為す。則ち独り文学に於いて発明する所多きのみならず、其の武技に於いても、亦た国家に益無しと謂ふべからず。
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『告志篇』・文武は一致する、学びを出どころで退けない文武の道も亦一致と存候、凡そ武士たるもの武道を不勵して不叶儀は各も承知之事に候へども、不學文盲にては不相濟事と存候、兒童も知たる通り、今川了俊が不知文道武道遂に不得勝利といへるは、其言淺きに似たれども其旨深しと思ふ、然るに不學の者文道は漢國の敎なりとて嘲り笑ひ、又たま〱學びたる者は其道に泥み、堯舜は天祖、天孫よりも難有ものと、心得違ふ者なきにしもあらず、我等淺學にて古今に暗けれども、幼きより神聖の道を學び、つら〱思ふに、君臣父子の大倫は勿論、祭祀を崇び本に報るの道より、勇武を尙び恥を知るの義に至るまで、皆神代のむかしより備りたる事にて、忠孝文武抔いふ文字こそなけれ、其道はまさしく、神國の大道と存候、其上風俗の美なること、異邦にすぐれ、威稜の健さと、四夷にふるひ、何も事缺たることあらざれども、後の聖君賢主殊更に人に取善をなし給ひ、經書賢人を異國に求め給ひたるゆゑ、漢土の書籍渡り來て、孔子の道も傳り、神國の道ます〱明に、制度も追ゝに備りたる事なれば、神國にて孔子の道を學ぶ人は、孔子の堯舜を尊べるが如くに、天祖、天孫を奉仰候てこそ孔子の道にも叶ふべければ、漢土の道も 神國の人學ぶ時は、即ち 神國を尊ぶの道なるべければ、漢國の道なり迚しりぞくべきにあらず、彼蠻夷の佛敎をば我々信向し、我父母先祖をすら佛抔と唱へながら、獨文道に至ては漢國の敎なりとて學ばざるは、迷へるの甚しきならずや、能ゝ此儀を辨へ、文道をゆるかせにせざる樣存候、是我等の申候言には無之、義公の遺訓にも、士の大節に臨みて嫌疑を定め、
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『弘道館記述義』・文武不岐・文と武は車の両輪で分けてはならない文武岐れず。臣彪謹んで案ずるに、神聖は武を以て基を建て、而して文も亦固より其の中に寓す。猶ほ夫れ西土三代の忠質文に於けるがごとし。夏殷に文無きに非ず、周豈に忠質を廃せんや。而るに夏は忠、殷は質、周は文と曰ふは、皆其の向ふ所を言ふのみ。天祖天孫の統を垂れ、神武崇神諸帝の天業を経綸するは、其の武を尚ぶこと論ずる亡し。然れども其の神を敬ひ民を愛し、政を為し治を図るの迹、豈に之を文と謂はざるべけんや。聖子神孫世々其の緒を承け、内は万民を安んじ外は四夷を撫す。諸王諸臣も亦皆文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。国運の盛んなること赫赫として日の升るが如し。中葉以降、将相職を異にし、文武背馳す。公卿軟弱にして手に兵を知らず、源平互ひに起こり、皇室陵夷し、天下の大権遂に武人に移る。夫れ文武の国家に於けるは、猶ほ天地の陰陽有るがごとし。陰陽並び行はれて年穀豊饒なり、文武並び挙げて天下乂安なり。其れ然らざる者は則ち反す。是の故に武人の政を為すや、其の文教を質す者は或いは小康を致すべし。専ら威刑に任ずる者は亡ぶること踵を旋らさず。東照宮に至りては文を撥め武を奮ひ、以て今日の基を開く。則ち上に在る君子は固より宜しく其の業を紹述すべし、而して凡そ天下の士は、黽勉して此に従事せざるべからず。蓋し文武の道には各小大有り。天地を経緯し克く禍乱を定むるは、是れ其の大なる者なり。書を読み冊を挟み、剣を撃ち矛を奮ふは、是れ其の小なる者なり。然れども書冊は道義を講ずる所以にして、剣矛は心胆を錬る所以なり。心胆実して後に以て難に臨み変を制すべく、道義明らかにして後に以て己を脩め人を治むべし。且つ文の弊は弱、武以て弱を矯むべし。武の弊は愚、文以て愚を医すべし。然らば則ち学者其の大を語りて其の小を急にするは、固より不可なり。其の小に務めて其の大を忘るるも、亦不可なり。分かちて二と為し、又其の一を廃するは、尤も不可なり。周代六芸の科、射御其の中に居る。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有りと。冉求矛を奮ひて斉の軍に入り、仲由三軍を行ふを以て自ら許す。則ち古の人を教ふる所以は、其をして文武兼ね資り、徳を成し材を達せしむるなり、知るべし。後世に及び、大道湮晦し、学校の設けも亦文具に属す。凡そ黌舎に周旋する者は率ね皆白面の書生。古の所謂勇敢強有力なる者は、頭を其の間に屈するを甘んぜず。李唐に至りて呂尚を尊びて孔子に匹似せしめ、別に武学を建てて文学と相対す。其の文武に心を用ふるは則ち似たり。殊に知らず、文武益ます岐れて復た収合すべからず、而して聖人の意大いに荒るるを。備前国主池田氏、蓋し此に見る有り、其の臣熊沢伯継の議を用ひ、新たに学校を設けて文武を合して一と為す。我が公、毎に深く其の国体に通達するを嗟賞し、斯の館を建つるに及び、亦其の美意に倣ふ。文武岐れずの戒め有る所以なり。学者、其れ服膺せざるべけんや。
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『退食閑話』・孔子の武徳と文武一致必ず武備有りと仰せられたり、鹿島の神も武神なれども、天祖の象敎を垂れて天下に照臨まし〱、天功を亮け奉りしには、文德とも申べし、孔子は文德の聖人なれども、兵を足す事を論ぜられたり、夾谷の會にも齊侯の强暴を席上に挫き、三都を墮ち陳恒を討ぜんと乞れし類の事を以て見る時は、武德をも備へられしは、人々知る處なりしは論ずるにも及ばず、かくのごとく、文武の兼結ぶべきことは、本朝と漢土と同一揆なれど、今 神州の道を奉じて、西土の敎に資て、子弟を敎へ給ふに、神祉聖廟を尊敬して、其始に反り其本に報るを知らしめ、文武を一にして有用の人材を成就し給ふべきに依て、記にも文武岐れずとは仰せらるゝなり、
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『学論抄録』・文と武は陰陽のように偏り立たない道に文武有るは、猶ほ天に陰陽有るがごとし。豈に偏り立つべけんや。故に孔聖曰く、文事有る者は、必ず武備有り、と。自ら文王武王の業有り。伝に文武の道と云ふ。王世貞曰く、孔子兵に於いて、自ら云ふ、我戦へば則ち必ず克つ、と。蒙谿張□曰く、天仲尼を生ぜずんば、則ち斯文の統以て墜ちん。天尚父を生ぜずんば、則ち戡乱の武曷ぞ張らん。七書六経は、固より仁義一原の理、陰陽貞勝の符なり、と。李卓吾曰く、仁義一原、陰陽貞勝は、則ち確論なり。夫れ天下未だ仁有りて義無き有らず、亦た豈に陽有りて陰無き有らんや。独陽は生ぜず、独陰は成らず。文は専ら陽を指し、武は専ら陰を指すと謂はば、則ち但だに武を成さざるのみならず、而も亦た文を成さず、と。筑前府の耆儒、久兵衛貝原子(名は篤信、号は益軒先生)曰く、古人は文を左にし武を右にす。古より、斯の二つを兼ねずして君子と称する者は、未だ之れ有らざるなり。故に文にして武ならざる、是を腐儒と謂ひ、武にして文ならざる、是を傖父と謂ふ。君子豈に専ら文学を為して武備を廃せんや、と。対馬府の宿儒、東五郎雨森子(字は伯陽、号は芳洲先生)曰く、冉求の郎に戦ひて之に克つや、曰く、孔子に学ぶ、と。則ち洙泗の教へは、人なり。籩豆雍容の暇、象箾綴兆の余、未だ始めより武に在らずんばあらざるなり。然り而して用正制奇の方、攻伐撃刺の術、経に見えざる所以の者は何ぞや。蓋し春秋戦国の際に当たり、天下の患ひは、専ら武を用ふるに在り。彼の聖賢なる者深く慮る所有り、故に口を開くに難きは、固より其の宜しきなり。世の学者徒らに其の書を読みて、其の心を察せず、理勢の源に昧く、和漢の情を闕き、以為へらく武を談ずるは吾が儒の事に非ずと。何ぞ陽を取りて陰を舎て、仁を悦びて義を忘るるに異ならんや。大経を遺れて通誼を失ふ、謬れりと謂ふべし、と。徂徠物子、衛霊公陳を孔子に問ふの一章を釈して曰く、凡そ君問ふこと有りて、答ふるに未だ知らず未だ学ばざるを以てする者は、古礼然り。軍旅は君子の必ず学ぶ所なり。
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『及門遺範』・君子を学ぶ・儒者にならず一、先生孝経を談説するに、愛敬の二字を以て第一義と為し、仁孝一本の義を発す。之を曾孟の言に徴するに、鑿鑿として確拠有り。而して諸経を講論するには、必ず論語を以て首と為す。毎に大宝令に経を分ちて孝経・論語を教授せしむるを誦し、学者をして之を兼ね習はしむ。梅巷筆囊を著さんとして、粗ぼ端緒有るも、未だ就らずして即世す。誠に憾むべしと為す。然れども学者能く二書を熟読し、反復玩味して、果たして意会有らば、庶幾くは先生の意に倍かざらん。 一、先生恒に言ふ、学者は学びて君子と為るなり、学びて儒者と為るに非ず。故に論語は君子の二字を以て始終す、と。又言ふ、道とは成人の道にして、儒者の私業に非ず。故に夫子は徳を成し材を達し、徳行有り、言語有り、政事有り、文学有り、各々其の人の長ずる所に因りて之を成就す。儒は則ち古は道芸を以て人に教ふ。周官に云ふ、儒は道を以て民を得、是れなり。故に夫子子夏を誨へて君子儒と為らしむるは、其の文学に長ずるを以てなり。周末道行はれず、門弟子各々其の学ぶ所を以て後輩に教授し、人称して儒者の道と為す。是れ聖人の本意に非ず。後学者は当に成人を以て自ら期すべく、必ずしも儒者と為るを要せず。学びて君子と為る、是れ則ち孔門の学なり、と。安謂へらく、義公士臣に諭して曰く、士は以て道を学び人倫の義を知らざるべからず。匹夫の勇は貴ぶ所に非ず。道を学び義を知らば、寡人と雖も亦た儒なり、と。此れ儒を以て自ら処す。先生の意と同じからざるに似たり。蓋し公は則ち士大夫に学を勧む。所謂儒者も亦た唯だ道を学ぶ者を指して言ふのみ。而して其の意は人倫を明らかにするに在れば、則ち亦た学びて君子と為り、村夫子と為るに非ざるの謂ひなり。其の言異なりと雖も、其の意は則ち同じきなり。

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