及門遺範 / 実行を先に・善を伸ばす
一先生敎人後虛文而先實行、然文墨之業亦非所廢、要在使人盡其所長、如其實行、務在長善、不拘拘於責惡、是以人亦勸於爲善、而恥於爲惡、蓋磨礪名節之效爲然也、平居好稱人善、而不喜道其惡、待人寬厚、自持嚴正、人親愛之、而不敢狎褻、至於其有所感、吐露肝膽、則雖庸人儒夫、亦莫不揚揚然激昂憤發、其善誘人如此、一先生誨人、以恭遜爲先、安之幼每戒忿爭、讀書遇古人孝弟忠信之事、屢々說話、有如提耳、常誦諸葛武侯戒子之語、言尚在耳、或與親朋談論國事、不令小子輩聞之、安輩亦專讀書質疑、不敢爲闕黨童子、故雖時聞天下之事、而不知一國吏事臧否、蓋先生誨人、欲其器之晚成、而不欲其速成、又屢誦義公之言曰、童子當爲童子、而切誡譏議時政、亦此意也、然少年銳氣之人、多悅於激勵之言、不思戒敕之意、狂簡斐然、而忘所以裁之、亦非先生之意也、
新字:一先生教人後虚文而先実行、然文墨之業亦非所廃、要在使人尽其所長、如其実行、務在長善、不拘拘於責悪、是以人亦勧於為善、而恥於為悪、蓋磨礪名節之効為然也、平居好称人善、而不喜道其悪、待人寛厚、自持厳正、人親愛之、而不敢狎褻、至於其有所感、吐露肝胆、則雖庸人儒夫、亦莫不揚揚然激昂憤発、其善誘人如此、一先生誨人、以恭遜為先、安之幼毎戒忿争、読書遇古人孝弟忠信之事、屡々説話、有如提耳、常誦諸葛武侯戒子之語、言尚在耳、或与親朋談論国事、不令小子輩聞之、安輩亦専読書質疑、不敢為闕党童子、故雖時聞天下之事、而不知一国吏事臧否、蓋先生誨人、欲其器之晩成、而不欲其速成、又屡誦義公之言曰、童子当為童子、而切誡譏議時政、亦此意也、然少年鋭気之人、多悦於激励之言、不思戒勅之意、狂簡斐然、而忘所以裁之、亦非先生之意也、
書き下し
一、先生人に教ふるに虚文を後にして実行を先にす。然れども文墨の業も亦た廃する所に非ず。要は人をして其の長ずる所を尽くさしむるに在り。其の実行の如きは、務めて善を長ずるに在り、悪を責むるに拘拘とせず。是を以て人も亦た善を為すに勧み、悪を為すを恥づ。蓋し名節を磨礪するの効、然りと為すなり。平居人の善を称するを好み、其の悪を道ふを喜ばず。人を待つに寛厚にして、自ら持すること厳正なり。人之を親愛して、敢へて狎褻せず。其の感ずる所有りて、肝胆を吐露するに至っては、則ち庸人儒夫と雖も、亦た揚揚然として激昂憤発せざる莫し。其の善く人を誘ふこと此くの如し。 一、先生の誨ふるは、恭遜を以て先と為す。安の幼きとき、毎に忿争を戒む。書を読み古人孝弟忠信の事に遇へば、屡々説話し、耳を提ぐるが有るが如し。常に諸葛武侯の子を戒むるの語を誦す。言ひて尚ほ耳に在り。或いは親朋と国事を談論するも、小子輩をして之を聞かしめず。安輩も亦た専ら書を読み疑ひを質し、敢へて闕党の童子と為らず。故に時に天下の事を聞くと雖も、一国の吏事の臧否を知らず。蓋し先生の誨ふるは、其の器の晩成を欲して、速成を欲せざるなり。又屡々義公の言を誦して曰く、童子は当に童子たるべし、と。切に時政を譏議するを誡むるも、亦た此の意なり。然れども少年の鋭気の人は、多く激励の言を悦び、戒勅の意を思はず、狂簡斐然として、之を裁する所以を忘る。亦た先生の意に非ざるなり。
現代語訳
一 先生は人を教えるのに、見かけだけの文章を後にして、実際の行いを先にしました。ただし、文章や学問の仕事も捨てたわけではありません。要は、一人ひとりがそれぞれ得意なところを尽くせるようにすることでした。実行についても、努めて善いところを伸ばし、悪いところを細かく責めることにはこだわりませんでした。そのため人々も善を行うよう励まされ、悪を行うことを恥じるようになりました。名誉と節操を磨き上げる効果がそうさせたのでしょう。ふだんから人の善いところを褒めるのを好み、悪いところを口にするのを喜びませんでした。人には寛大で温かく接し、自分には厳しく正しく臨みました。人々は先生を親しみ慕いながら、なれなれしく軽んじることはありませんでした。心に感じるところがあって胸の内をさらけ出すときには、平凡な人や気の弱い人でも、意気盛んに奮い立たない者はいませんでした。人をうまく導くことはこのようなものでした。 一 先生が教えるときは、つつしみとへりくだりを第一としました。私が幼いときには、いつも怒りやいさかいを戒められました。書を読んで古人の孝弟忠信の話に出会うと、たびたびそれを話して聞かせ、耳元で教えるように親身でした。常に諸葛孔明が子を戒めた言葉を口にされ、その声が今も耳に残っています。親しい友と国の事を語り合うときも、年少の私たちには聞かせませんでした。私たちも専ら書を読んで疑問を質し、決して出過ぎた子どもにはなりませんでした。だから、ときどき天下のことを耳にしても、一国の役人の仕事の良し悪しまでは知りませんでした。思うに、先生が教えるのは、その人の器が遅くとも大きく成ることを望み、早成りを望まないからです。また、しばしば義公(光圀)の言葉を誦して、子どもは子どもらしくあるべきだと言い、時の政治を軽々しく批評することを強く戒めたのも、同じ考えからです。ところが血気盛んな少年は、たいてい激励の言葉を喜び、戒めの意味を考えず、志が大きく文才に走って、自分を裁き整える方法を忘れてしまいがちです。それも先生の本意ではありませんでした。
解説
この章句が説くこと
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