囲炉夜話 / 第三十則・身體力行
凡事勿徒委於人,必身體力行,方能有濟。 凡事不可執於己,必廣思集益,乃罔後艱。
新字:凡事勿徒委於人,必身体力行,方能有済。 凡事不可執於己,必広思集益,乃罔後艱。
書き下し
凡そ事は徒らに人に委ぬる勿れ、必ず身に體し力めて行ひて、方に能く濟す有り。 凡そ事は己に執るべからず、必ず廣く思ひ益を集めて、乃ち後艱罔し。
現代語訳
何事も、むやみに人任せにしてはいけません。必ず自分の身で確かめ、力を尽くして行ってこそ、成し遂げることができます。何事も、自分の考えに固執してはいけません。必ず広く考え、人の意見の良いところを集めてこそ、後の苦しみがなくなります。
解説
人任せにするなと、独りよがりになるなという、一見逆の二つの戒めを並べた対句です。身体力行は、自ら身をもって力を尽くして行うことで、実行の場面では人に丸投げしてはならないと言います。一方の集益は、多くの人の知恵を集めることで、判断の場面では自分の考えに固執してはならないとします。罔後艱は、後の困難が無いという意味です。つまり、考えるときは広く人に聞き、行うときは自分が先頭に立つという役割分担です。今日の組織で言えば、衆知を集めて決め、決めたら自ら動くという指導者の基本に当たります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
実行衆知率先独断修身
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