論語 / 公冶長篇
子路有聞,未之能行,唯恐有聞。
書き下し
子路聞くこと有りて、未だ之を行うこと能わざれば、唯だ聞くこと有らんことを恐る。
現代語訳
子路は(よい教えを)聞いて、まだそれを実行できないうちは、ただ、さらに新しいことを聞いてしまうのを恐れた。
解説
たった十数字で、一人の人物の生き方が刻まれている。子路は新しい教えを聞くのが怖かった。前に聞いたことをまだ実行できていないのに、また一つ借りが増えるからである。学びを蓄積ではなく債務として数えた人だと言ってよい。現代はこの逆に振れやすい。本を読み、講座に出て、記事を保存する。インプットの量は増え続け、実行に移した数は誰も数えない。聞いた瞬間の高揚が、実行したときの手応えの代わりになってしまう。子路の恐れは、この代替を許さない設計である。実務に落とすなら簡単だ。学んだことを一つ実行するまで、次の新しいものに手を出さないと決める。読める本の数は減る。だが、変わったことの数は増える。
この章句が説くこと
実行子路学び未消化節制
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『講孟余話』盡心下 第八章・第九章夫れより秋田を経、津軽に入る。秋田・津軽の界は、即ち陸奥の界にして、矢立嶺と云ふを踰えて下れば津軽の碇関なり。此処にては関法も更に厳に見え、余も奇策を得ずして、銭二百孔ばかりを出して切手を受け得たり。津軽領内何れの旅舎にても切手の有無を問ひて然る後宿を許す。故に此処にて切手を受けずんば頗る窮することあるべきに、二百孔を費やして大いに幸ひを得たり。已にして其の城下弘前にて又切手を改めて受く、時に又銭を要すること前の如し。夫れより馬門関に至り切手を納め了る、此処は津軽・南部の界なり。後に是れを詳らかにするに、荘内・秋田・津軽・南部・仙台等、切手の法大同小異にて、皆関にて銭を要することなり。然れども奥羽は商賈の往来夥しき所故、商賈を待つが為めにして、士人は大抵見通しにすることと見ゆ。独り津軽最も僻遠の地に在るを以て其の法頑固なり。其の他感ずべきは米沢なり。米沢の切手は津軽に同じけれども、関吏曾て一銭を要せず、是れ真に暴を禦ぐの法なり。他藩暴を為す者と同日の論にあらず。第九章 「身道を行はざれば、妻子に行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子に行はるる能はず」、言近くして旨遠し。論弁を待たず、只実行を要するのみ。