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講孟余話 / 盡心下 第八章・第九章

夫ヨリ秋田ヲ経、津輕ニ入ル、秋田津輕ノ界ハ、即陸奥ノ界ニシテ矢立嶺ト云ヲ踰テ下レハ津輕ノ碇關ナリ、此処ニテハ關法モ更ニ嚴ニ見ヘ、余モ奇策ヲ得スシテ、錢二百孔カヲ出シテ切手ヲ受得タリ、津輕領内何レノ旅舍ニテモ切手ノ有无ヲ問テ然ル後宿ヲ許ス、故ニ此処ニテ切手ヲ受ケスンハ頗ル窮スルコトアルヘキニ、二百孔ヲ費シテ大ニ幸ヲ得タリ、已ニシテ其城下弘前ニテ又切手ヲ改メテ受ク、時ニ又錢ヲ要スルコト前ノ如シ、夫ヨリ馬門關ニ至リ切手ヲ納メ了ル、此処ハ津輕南部ノ界也、後ニ是ヲ詳ニスルニ、莊内秋田津輕南部仙臺等、切手ノ法、大同小異ニテ、皆關ニテ錢ヲ要スルコト也、然トモ奥羽ハ商賈ノ往來夥シキ所故、商賈ヲ待ツカ爲メニシテ、士人ハ大抵見通シニスルコトト見ユ、獨リ津輕最モ僻遠ノ地ニ在ヲ以テ其法頑固也、其他感スヘキハ米沢ナリ、米沢ノ切手ハ津輕ニ同シケレトモ、關吏曾テ一錢ヲ要セス、是眞ニ暴ヲ禦クノ法ナリ、他藩暴ヲ爲ス者ト同日ノ論ニアラズ、第九章身不行道、不行於妻子、使人不以道、不能行於妻子、言近シテ旨遠シ、論弁ヲ待タス、只実行ヲ要スルノミ

新字:夫ヨリ秋田ヲ経、津軽ニ入ル、秋田津軽ノ界ハ、即陸奥ノ界ニシテ矢立嶺ト云ヲ踰テ下レハ津軽ノ碇関ナリ、此処ニテハ関法モ更ニ厳ニ見ヘ、余モ奇策ヲ得スシテ、銭二百孔カヲ出シテ切手ヲ受得タリ、津軽領内何レノ旅舎ニテモ切手ノ有无ヲ問テ然ル後宿ヲ許ス、故ニ此処ニテ切手ヲ受ケスンハ頗ル窮スルコトアルヘキニ、二百孔ヲ費シテ大ニ幸ヲ得タリ、已ニシテ其城下弘前ニテ又切手ヲ改メテ受ク、時ニ又銭ヲ要スルコト前ノ如シ、夫ヨリ馬門関ニ至リ切手ヲ納メ了ル、此処ハ津軽南部ノ界也、後ニ是ヲ詳ニスルニ、荘内秋田津軽南部仙台等、切手ノ法、大同小異ニテ、皆関ニテ銭ヲ要スルコト也、然トモ奥羽ハ商賈ノ往来夥シキ所故、商賈ヲ待ツカ為メニシテ、士人ハ大抵見通シニスルコトト見ユ、独リ津軽最モ僻遠ノ地ニ在ヲ以テ其法頑固也、其他感スヘキハ米沢ナリ、米沢ノ切手ハ津軽ニ同シケレトモ、関吏曽テ一銭ヲ要セス、是真ニ暴ヲ禦クノ法ナリ、他藩暴ヲ為ス者ト同日ノ論ニアラズ、第九章身不行道、不行於妻子、使人不以道、不能行於妻子、言近シテ旨遠シ、論弁ヲ待タス、只実行ヲ要スルノミ

書き下し

夫れより秋田を経、津軽に入る。秋田・津軽の界は、即ち陸奥の界にして、矢立嶺と云ふを踰えて下れば津軽の碇関なり。此処にては関法も更に厳に見え、余も奇策を得ずして、銭二百孔ばかりを出して切手を受け得たり。津軽領内何れの旅舎にても切手の有無を問ひて然る後宿を許す。故に此処にて切手を受けずんば頗る窮することあるべきに、二百孔を費やして大いに幸ひを得たり。已にして其の城下弘前にて又切手を改めて受く、時に又銭を要すること前の如し。夫れより馬門関に至り切手を納め了る、此処は津軽・南部の界なり。後に是れを詳らかにするに、荘内・秋田・津軽・南部・仙台等、切手の法大同小異にて、皆関にて銭を要することなり。然れども奥羽は商賈の往来夥しき所故、商賈を待つが為めにして、士人は大抵見通しにすることと見ゆ。独り津軽最も僻遠の地に在るを以て其の法頑固なり。其の他感ずべきは米沢なり。米沢の切手は津軽に同じけれども、関吏曾て一銭を要せず、是れ真に暴を禦ぐの法なり。他藩暴を為す者と同日の論にあらず。第九章 「身道を行はざれば、妻子に行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子に行はるる能はず」、言近くして旨遠し。論弁を待たず、只実行を要するのみ。

現代語訳

それから秋田を経て津軽に入った。秋田と津軽の境は、すなわち陸奥の国の境であり、矢立峠というのを越えて下ると津軽の碇ヶ関である。ここでは関所の掟もさらに厳しく見え、私もうまい手が思いつかず、銭二百文ほどを出して手形を受け取った。津軽の領内では、どの宿屋でも手形の有無を尋ねてから宿を許す。だからここで手形を受けなければたいへん困るところだったが、二百文を払って大いに助かった。やがてその城下の弘前でまた手形を改めて受けたが、その時もまた前と同じように銭を求められた。それから馬門の関所に着いて手形を納め終えた。ここは津軽と南部の境である。のちに詳しく調べると、庄内・秋田・津軽・南部・仙台などの手形の掟は大同小異で、みな関所で銭を取るのである。ただ奥羽は商人の往来がおびただしいところなので、商人を相手にするためであって、武士はたいていそのまま通すものとみえる。ただ津軽だけは最も辺鄙な土地にあるので、その掟が頑固なのである。そのほかで感心すべきは米沢である。米沢の手形は津軽と同じだが、関所の役人が一銭も求めたことがない。これこそ本当に暴虐を防ぐ掟である。暴虐をなす他藩と同列に論じることはできない。(第九章)「自分が道を行わなければ、妻子にさえ行われない。人を使うのに道によらなければ、妻子さえ使うことができない」。言葉は身近だが趣旨は深い。議論するまでもなく、ただ実行が必要なだけである。

解説

東北の旅の続きです。津軽の碇ヶ関では銭二百文で手形を得、城下の弘前でまた銭を取られ、各藩の関所がみな通行料の取り立て場になっていることを松陰は確かめます。その中で一銭も取らなかった米沢藩を、真に暴を防ぐ法だと特に称えています。続く第九章「身道を行はざれば妻子に行はれず」には、議論は要らない、実行あるのみと一言だけ添えます。旅の記録を細かく残しながら、比べて良いものを見分け、最後は自分の実行に引き戻す。松陰の観察と実践の結びつきがよく分かる段です。

この章句が説くこと

実行関所米沢藩比較修身

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