論語 / 子罕篇
子曰:「語之而不惰者,其回也與!」
新字:子曰:「語之而不惰者,其回也与!」
書き下し
子曰く、之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか。
現代語訳
先生がおっしゃった。「話してやって、それを怠らずに実行するのは、顔回だけだろうな。」
解説
教える側から見た、最も高い評価である。理解したかどうかではなく、聞いた後に怠らないかどうかで測っている。話は誰でも聞ける。頷くことも、感心することもできる。だが聞いた内容を実行に移し、しかも続ける人は稀だという実感が、この短い一句に凝縮している。指導する立場の人には、身に覚えがあるはずだ。同じ話を同じようにしても、変わる人と変わらない人がいる。差は理解力ではなく、聞いた後の処理にある。逆に、教わる側の立場で読めばこうなる。理解の速さで評価されるのは学生までで、その先は実行の継続でしか差がつかない。孔子が顔回だけを挙げたということは、他の弟子たちは怠ったということでもある。優秀な集団の中でも、そこまで稀なのである。
この章句が説くこと
実行顔回継続教育差
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