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及門遺範 / 人物批評を戒め咀嚼を説く

一先生不喜臧否人物、安之受業、授資治通鑑、而不及綱目歷史綱鑑等書、謂綱目書法謹嚴、然其所附載書法發明等、多譏議古人、令少年讀之、其弊議論太過、責人苛酷、恐失忠厚之意、甚至好稱人惡、綱鑑等亦然、又謂、山崎氏之書、其興起節義之氣、甚佳、然所論過密、使人心狹隘、疾不仁已甚、非所以長養德器也、一先生每誦陶淵明語曰、好讀書不求甚解、每有意會、使欣然忘食讀書、求甚解、其能實解之者蓋鮮矣、但其有意會、而至欣然忘食、雖不甚解、而實能解之者也、又曰、咀嚼二字、讀書之要訣、讀書不能咀嚼玩味、忽忽看過、雖曰誦十百卷、大抵不免爲耳食之徒、又曰、古人謂、眼光透紙背、是眞能讀書者、徒嘗古人糟粕、不能開活眼、以看破肯綮處、誦習陳言疏迹、所見不過紙面文字、不可謂之能讀書者、安謂、能有咀嚼、而後眼光可透紙背、如此則意會忘食、亦在其中也、

新字:一先生不喜臧否人物、安之受業、授資治通鑑、而不及綱目歴史綱鑑等書、謂綱目書法謹厳、然其所附載書法発明等、多譏議古人、令少年読之、其弊議論太過、責人苛酷、恐失忠厚之意、甚至好称人悪、綱鑑等亦然、又謂、山崎氏之書、其興起節義之気、甚佳、然所論過密、使人心狭隘、疾不仁已甚、非所以長養徳器也、一先生毎誦陶淵明語曰、好読書不求甚解、毎有意会、使欣然忘食読書、求甚解、其能実解之者蓋鮮矣、但其有意会、而至欣然忘食、雖不甚解、而実能解之者也、又曰、咀嚼二字、読書之要訣、読書不能咀嚼玩味、忽忽看過、雖曰誦十百巻、大抵不免為耳食之徒、又曰、古人謂、眼光透紙背、是真能読書者、徒嘗古人糟粕、不能開活眼、以看破肯綮処、誦習陳言疏迹、所見不過紙面文字、不可謂之能読書者、安謂、能有咀嚼、而後眼光可透紙背、如此則意会忘食、亦在其中也、

書き下し

一、先生人物を臧否するを喜ばず。安の業を受くるや、資治通鑑を授けて、綱目・歴史綱鑑等の書に及ばず。謂へらく、綱目は書法謹厳なれども、其の附載する所の書法発明等は、多く古人を譏議す。少年をして之を読ましむれば、其の弊、議論太だ過ぎ、人を責むること苛酷にして、忠厚の意を失ふを恐る。甚しきは人の悪を称するを好むに至る。綱鑑等も亦た然り、と。又謂へらく、山崎氏の書は、其の節義の気を興起すること甚だ佳なり。然れども論ずる所過密にして、人心をして狭隘ならしめ、不仁を疾むこと已甚し。徳器を長養する所以に非ず、と。 一、先生毎に陶淵明の語を誦して曰く、書を読むを好んで甚解を求めず、意会する有る毎に、欣然として食を忘る、と。書を読みて甚解を求むれば、其の能く実に之を解する者は蓋し鮮し。但だ其の意会有りて、欣然として食を忘るるに至るは、甚解せずと雖も、実に能く之を解する者なり、と。又曰く、咀嚼の二字は、読書の要訣なり。書を読みて咀嚼玩味する能はず、忽忽として看過せば、日に十百巻を誦すと雖も、大抵耳食の徒たるを免れず、と。又曰く、古人謂ふ、眼光紙背に透る、と。是れ真に能く書を読む者なり。徒らに古人の糟粕を嘗め、活眼を開きて以て肯綮の処を看破する能はず、陳言疏迹を誦習するも、見る所紙面の文字に過ぎざるは、之を能く書を読む者と謂ふべからず、と。安謂へらく、能く咀嚼有りて、而る後に眼光紙背に透る。此くの如くなれば、則ち意会して食を忘るるも、亦た其の中に在り、と。

現代語訳

一 先生は人物の良し悪しを論じることを好みませんでした。私が学問を受けたときには『資治通鑑』を授けられ、『綱目』や『歴史綱鑑』などの書には及びませんでした。先生が言うには、『綱目』は書き方が厳格だが、そこに付け加えられた書法の解説などは、昔の人を非難するものが多い。少年に読ませると、議論が行き過ぎ、人を責めることが厳しくなって、まごころと厚みを失う恐れがある。ひどいときには人の悪事を取り上げるのを好むようになる。『綱鑑』などもそうだ、と。また、山崎闇斎の学派の書は、節義の気を奮い起こす点ではたいへん優れているが、論じ方が細かすぎて、人の心を狭くし、不仁を憎むことが度を越してしまう。徳と器量を養い育てる方法ではない、と言いました。 一 先生はいつも陶淵明の言葉を口にされました。書を読むのは好きだが、細かいところまで解釈しようとは求めない、心に会得するところがあるたびに、うれしくて食事も忘れる、と。書を読んで細部まで解釈しようとすると、本当によく理解できる人はおそらく少ない。それに対して、心に会得するところがあって、うれしくて食事を忘れるほどなら、細かく解釈していなくても、実際によく理解している人である、と。また言いました。「咀嚼」の二字は読書の肝心な心得である。書を読んで噛みしめ味わうことができず、慌ただしく目を通して過ぎるなら、毎日十巻百巻を誦していても、たいていは「耳で食べる」(聞きかじるだけの)人たちの仲間を免れない、と。さらに言いました。昔の人が「眼光が紙の裏まで透る」と言ったが、そう読める人が本当に読書のできる人である。ただ古人のかすをなめるだけで、生きた眼を開いて肝心な急所を見抜けず、古い言葉やあとかたを暗唱しているだけでは、見ているのは紙の上の文字にすぎず、読書のできる人とは言えない、と。私が思うに、よく噛みしめてこそ、眼光が紙の裏まで透るのです。そうであれば、会得して食事を忘れるという境地もその中に含まれています。

解説

前半は、人物批評に走りがちな史書を少年に読ませないという配慮で、後半は、読書は細部の解釈より咀嚼と会得だという考えです。人を責める習慣は、知らぬ間に忠厚の心を損ないます。また、速読や知識の量より、噛みしめて急所を見抜く読み方を重んじています。現代の管理職にも、人の評価や批判が上手になるほど職場の空気を冷やすという戒めになります。会議資料や報告書も、量をこなすだけでは耳食の徒です。数を絞って咀嚼し、現場の判断に生かす読み方を心がけたいものです。

この章句が説くこと

及門遺範会沢正志斎藤田幽谷読書法咀嚼資治通鑑

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