匡正論 / 歌と茶の風雅の弊、雅の本義
唯何となく陰陽和合男女の理など專らにする樣なれども、公卿上臈の歌に名あるは、多くは淫奔の行をなしても、風雅の道は格別となる樣にて、さまで是を戒むる事もなきにや、竟に民間にて貧の盜に戀の歌とやらん云諺も有りて、妄に淫奔を縱にせしむるに至る也、何ぞ雅と云事を得んや、又茶人の輩に至りては、貧居のさびたる有樣に古き器物などを取集め、わざとかけたる者を補ひなどして是を用、茶を樂、相應の禮式を立て、古雅の至りと覺る類、春臺の獨語にも、詳に其弊を論ぜられたり、故に文を略す、今やかゝる類も其外いくらも有可しと思はる、今悉く擧に違あらず、畢竟、雅客と云事を心得違ふことより、士君子逸民淫奔の風など甚しき事のあるは、治國の上に害ある事なれば、聊雅俗の義を記す也、周禮に春宦大師敎六詩風賦比興雅頌とあり、其註に雅は正也言、今の正者以爲後世の法也云、されば風雅とも云、此六義の內、風雅は先王人情に依て詩敎を立玉ひて、人をして正義を取らしむる事を概して風と云なる可し、何のころよりか取誤りたりと見えたり、論語に子所雅言詩書と云も、雅言は正言にして不諱なりと注せり、又家語に、檳相兩君の事篤雅有節是公西赤之行也と、又宰我有文雅之辭也と云も、漢書王章傳に、敝履忠進言錄飾儒雅是尊ぶの言、皆先王の禮義德行の正を以て雅と云事にて後世の所謂雅には非ること見る可し、其外爾雅大雅と云事博古雅典雅の類推て知る可し、且史記司馬相如傳に雍容閒雅其都なりとあり、是はみやびやか也と訓ずるにて、其容貌のしとやかにして野鄙ならざる事、禮容君子の如くけだかきをさして云也、
新字:唯何となく陰陽和合男女の理など専らにする様なれども、公卿上臈の歌に名あるは、多くは淫奔の行をなしても、風雅の道は格別となる様にて、さまで是を戒むる事もなきにや、竟に民間にて貧の盗に恋の歌とやらん云諺も有りて、妄に淫奔を縦にせしむるに至る也、何ぞ雅と云事を得んや、又茶人の輩に至りては、貧居のさびたる有様に古き器物などを取集め、わざとかけたる者を補ひなどして是を用、茶を楽、相応の礼式を立て、古雅の至りと覚る類、春台の独語にも、詳に其弊を論ぜられたり、故に文を略す、今やかゝる類も其外いくらも有可しと思はる、今悉く挙に違あらず、畢竟、雅客と云事を心得違ふことより、士君子逸民淫奔の風など甚しき事のあるは、治国の上に害ある事なれば、聊雅俗の義を記す也、周礼に春宦大師教六詩風賦比興雅頌とあり、其註に雅は正也言、今の正者以為後世の法也云、されば風雅とも云、此六義の内、風雅は先王人情に依て詩教を立玉ひて、人をして正義を取らしむる事を概して風と云なる可し、何のころよりか取誤りたりと見えたり、論語に子所雅言詩書と云も、雅言は正言にして不諱なりと注せり、又家語に、檳相両君の事篤雅有節是公西赤之行也と、又宰我有文雅之辞也と云も、漢書王章伝に、敝履忠進言録飾儒雅是尊ぶの言、皆先王の礼義徳行の正を以て雅と云事にて後世の所謂雅には非ること見る可し、其外爾雅大雅と云事博古雅典雅の類推て知る可し、且史記司馬相如伝に雍容閒雅其都なりとあり、是はみやびやか也と訓ずるにて、其容貌のしとやかにして野鄙ならざる事、礼容君子の如くけだかきをさして云也、
書き下し
唯何となく陰陽和合男女の理など專らにする樣なれども、公卿上臈の歌に名あるは、多くは淫奔の行をなしても、風雅の道は格別となる樣にて、さまで是を戒むる事もなきにや、竟に民間にて貧の盜に戀の歌とやらん云諺も有りて、妄に淫奔を縱にせしむるに至る也、何ぞ雅と云事を得んや、又茶人の輩に至りては、貧居のさびたる有樣に古き器物などを取集め、わざとかけたる者を補ひなどして是を用、茶を樂、相應の禮式を立て、古雅の至りと覺る類、春臺の獨語にも、詳に其弊を論ぜられたり、故に文を略す、今やかゝる類も其外いくらも有可しと思はる、今悉く擧に違あらず、畢竟、雅客と云事を心得違ふことより、士君子逸民淫奔の風など甚しき事のあるは、治國の上に害ある事なれば、聊雅俗の義を記す也、周禮に春宦大師敎六詩風賦比興雅頌とあり、其註に雅は正也言、今の正者以爲後世の法也云、されば風雅とも云、此六義の內、風雅は先王人情に依て詩敎を立玉ひて、人をして正義を取らしむる事を概して風と云なる可し、何のころよりか取誤りたりと見えたり、論語に子所雅言詩書と云も、雅言は正言にして不諱なりと注せり、又家語に、檳相兩君の事篤雅有節是公西赤之行也と、又宰我有文雅之辭也と云も、漢書王章傳に、敝履忠進言錄飾儒雅是尊ぶの言、皆先王の禮義德行の正を以て雅と云事にて後世の所謂雅には非ること見る可し、其外爾雅大雅と云事博古雅典雅の類推て知る可し、且史記司馬相如傳に雍容閒雅其都なりとあり、是はみやびやか也と訓ずるにて、其容貌のしとやかにして野鄙ならざる事、禮容君子の如くけだかきをさして云也、
現代語訳
ただ何となく陰陽和合や男女の理などを専らにするようですが、公卿・上臈で歌に名のある者は、多くは淫奔の行いをしても風雅の道は別になるようで、さほどこれを戒めることもないのでしょうか。ついに民間で「貧の盗みに恋の歌」とかいう諺もあり、みだりに淫奔を縦にさせるに至ります。どうして雅ということができましょう。また茶人の輩に至っては、貧しい住まいのさびた有様に古い器物などを取り集め、わざと欠けたものを補いなどしてこれを用い、茶を楽しみ、相応の礼式を立てて古雅の至りと思う類で、春台の『独語』にも詳しくその弊を論じておられます。ですから文を略します。今、このような類はその外にもいくらもあるだろうと思われます。今ことごとく挙げるに及びません。結局、雅客ということを心得違いすることから、士君子の逸民・淫奔の風などが甚だしくなるのは、治国の上に害のあることなので、いささか雅俗の義を記すのです。周礼に「春官大師は六詩を教える、風・賦・比・興・雅・頌」とあり、その注に「雅は正である。言うこころは、今の正をもって後世の法とするものだ」とあります。そこで風雅とも言い、この六義のうち、風雅は先王が人情により詩教を立てられて、人に正義を取らせることをおおむね風と言うのでしょう。いつのころからか取り誤ったものと見えます。論語に「子の雅に言う所は詩書」とあるのも、雅言は正言で、はばからない言葉だと注しています。また家語に「賓相二君の事、篤雅にして節あるは、これ公西赤の行いである」とあり、また「宰我は文雅の辞がある」というのも、漢書王章伝に「敝履して忠を進言し、儒雅を飾る」とあって尊ぶ言葉であるのも、みな先王の礼義徳行の正をもって雅ということで、後世のいわゆる雅ではないことを見るべきです。そのほか爾雅・大雅ということ、博古雅・典雅の類も推して知るべきです。また史記司馬相如伝に「雍容閒雅、其れ都なり」とあります。これは「みやびやか」と訓じるもので、その容貌がしとやかで野鄙でなく、礼容のある君子のように気高いことを指して言うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
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『洗心洞箚記』卷下・第二十三條周官大司寇の職、五刑を以て万民を糾す。故に野に惰農無く、軍に怯兵無く、郷に悪人無く、官に貪者無く、国に暴客無し。此れ成周の治まりて強き所以の一端なり。而して漢唐に至りて暴を糾すの刑有りて、其の余の四刑と、上愿の法とは索然として尽く。而して国の富強を欲するも得べからず。何ぞ況んや三代の治をや。
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『玉勝間』一の巻 から国の官神事と喪事とをかね行ふ事周礼と云うから書を見れば、大祝・小祝の官、もろもろの神祇祭祀の事をあづかり掌り、また喪事をもあづかり掌るよし云えり。生きたると死にたると、浄きと穢きとのわき無くして、皇国のこころより見れば、いともいとも穢らわしき国俗なりけり。
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『洗心洞箚記』卷上・第二十三條程子曰く、関雎麟趾の意有りて、然る後に周官の制度を行ふべしと。此れ特に周官を善く読まざる者の世を愆らんことを恐るるを知るのみにして、未だ其の制度の君徳を修むるを以て本と為すを明らかにせざるに似たり。而して其の説を後世に推せば、則ち猶ほ河の清むを俟つがごとく然り。故に吾を以て之を論ずれば、必ずしも周官の制度に本づき、以て法を立て君を導かずんば、則ち関雎麟趾の徳は、益々成り難し。

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