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匡正論 / 雅俗の本義と士が持つべき志

是は正の義より轉じて云たる也、さて俗と云は和訓ならはしと訓ず、說文習也、註に曰俗の言は續也、傳て相習也、上行下效、謂之風、象心安定、謂之俗と云り、又周禮士拘禮、俗註、所行先王の舊禮也、疏云俗者續也、續代不易是知舊禮也、又增韻、上之所化曰風、下之所習曰俗と云、又漢書地理志曰、好惡取捨動靜無常、隨君上之情欲、故謂之俗と云り、されば先王の世にては俗は則雅にして、雅則先王の道なれば、雅俗の差別はなきにや、後世に至りて道衰へ政事の善惡あるに依て、下是を習々して俗をなす故、俗惡む可き者ある也、是に於て雅俗の相反するに至也、夫先王の道は安民の道也、士たる者是を學て治國の補と成らんことを欲するは、則是を天職に供すると云也、故曰不仕無義と、又禮記に男子生れて桑弧蓬矢を作りて天地四方を射て、四方に志あらん事を示すと云るも、男子たるもの、才も不才も仕て國家の役に立ん事を志す、是則道なれば也、然るに今の雅とせる所は逸民遊人の道となるは如何ぞや、士君子たる者より此義を辨知して、其閑暇無事の時は興によりて詩歌及び茶の湯にてもなし、寂寥を散するも又何ぞ害あらんや、つら〱考に、國道なくして有德の君子世に用ひられず、卷て懷にする時に至りて老莊の道及び今の詩茶などの風も括囊の一助となり、是に依て其鬱愠の氣を養ひ其處に安んじ時の禍を免るゝの道ならんが故、人の善惡好惡愼み玉はずんば有可からず、逸民隱士の多は皆世上の然らしむる事なれば、何ぞ先王大雅の政事ありて賢才を擧げ用ひ玉ふならば、自ら逸游の徒も少く、士君子皆仁に志すに至る可し、

新字:是は正の義より転じて云たる也、さて俗と云は和訓ならはしと訓ず、説文習也、註に曰俗の言は続也、伝て相習也、上行下効、謂之風、象心安定、謂之俗と云り、又周礼士拘礼、俗註、所行先王の旧礼也、疏云俗者続也、続代不易是知旧礼也、又增韻、上之所化曰風、下之所習曰俗と云、又漢書地理志曰、好悪取捨動静無常、随君上之情欲、故謂之俗と云り、されば先王の世にては俗は則雅にして、雅則先王の道なれば、雅俗の差別はなきにや、後世に至りて道衰へ政事の善悪あるに依て、下是を習々して俗をなす故、俗悪む可き者ある也、是に於て雅俗の相反するに至也、夫先王の道は安民の道也、士たる者是を学て治国の補と成らんことを欲するは、則是を天職に供すると云也、故曰不仕無義と、又礼記に男子生れて桑弧蓬矢を作りて天地四方を射て、四方に志あらん事を示すと云るも、男子たるもの、才も不才も仕て国家の役に立ん事を志す、是則道なれば也、然るに今の雅とせる所は逸民遊人の道となるは如何ぞや、士君子たる者より此義を弁知して、其閑暇無事の時は興によりて詩歌及び茶の湯にてもなし、寂寥を散するも又何ぞ害あらんや、つら〱考に、国道なくして有徳の君子世に用ひられず、巻て懐にする時に至りて老荘の道及び今の詩茶などの風も括嚢の一助となり、是に依て其鬱愠の気を養ひ其処に安んじ時の禍を免るゝの道ならんが故、人の善悪好悪慎み玉はずんば有可からず、逸民隠士の多は皆世上の然らしむる事なれば、何ぞ先王大雅の政事ありて賢才を挙げ用ひ玉ふならば、自ら逸游の徒も少く、士君子皆仁に志すに至る可し、

書き下し

是は正の義より轉じて云たる也、さて俗と云は和訓ならはしと訓ず、說文習也、註に曰俗の言は續也、傳て相習也、上行下效、謂之風、象心安定、謂之俗と云り、又周禮士拘禮、俗註、所行先王の舊禮也、疏云俗者續也、續代不易是知舊禮也、又增韻、上之所化曰風、下之所習曰俗と云、又漢書地理志曰、好惡取捨動靜無常、隨君上之情欲、故謂之俗と云り、されば先王の世にては俗は則雅にして、雅則先王の道なれば、雅俗の差別はなきにや、後世に至りて道衰へ政事の善惡あるに依て、下是を習々して俗をなす故、俗惡む可き者ある也、是に於て雅俗の相反するに至也、夫先王の道は安民の道也、士たる者是を學て治國の補と成らんことを欲するは、則是を天職に供すると云也、故曰不仕無義と、又禮記に男子生れて桑弧蓬矢を作りて天地四方を射て、四方に志あらん事を示すと云るも、男子たるもの、才も不才も仕て國家の役に立ん事を志す、是則道なれば也、然るに今の雅とせる所は逸民遊人の道となるは如何ぞや、士君子たる者より此義を辨知して、其閑暇無事の時は興によりて詩歌及び茶の湯にてもなし、寂寥を散するも又何ぞ害あらんや、つら〱考に、國道なくして有德の君子世に用ひられず、卷て懷にする時に至りて老莊の道及び今の詩茶などの風も括囊の一助となり、是に依て其鬱愠の氣を養ひ其處に安んじ時の禍を免るゝの道ならんが故、人の善惡好惡愼み玉はずんば有可からず、逸民隱士の多は皆世上の然らしむる事なれば、何ぞ先王大雅の政事ありて賢才を擧げ用ひ玉ふならば、自ら逸游の徒も少く、士君子皆仁に志すに至る可し、

現代語訳

これは正の義から転じて言ったものです。さて俗とは和訓で「ならわし」と訓じます。説文には「習なり」とあり、注に「俗の言は続なり。伝えて相習うなり。上行い下効う、これを風という。心に象って安定する、これを俗という」とあります。また周礼の「士が礼に拘る」ことの「俗」の注に、行うところは先王の旧礼であるとあり、疏に「俗は続なり。代を続いで易えず、これ旧礼を知るなり」とあります。また増韻に「上の化するところを風といい、下の習うところを俗という」とあり、また漢書地理志に「好悪取捨動静は常なく、君上の情欲に随う、故にこれを俗という」とあります。そこで先王の世では俗はすなわち雅であり、雅とはすなわち先王の道なので、雅俗の差別はなかったのでしょう。後世に至って道が衰え、政事に善悪があるために、下がこれを習い習いして俗をなすので、俗に悪むべきものがあるのです。ここにおいて雅俗が相反するに至ります。そもそも先王の道は安民の道です。士たる者がこれを学んで治国の補いとなろうと欲するのは、すなわちこれを天職に供するということです。ゆえに「仕えざれば義なし」と言うのです。また礼記に、男子が生まれると桑の弓と蓬の矢を作って天地四方を射て、四方に志があることを示すとあるのも、男子たる者は、才があってもなくても仕えて国家の役に立とうと志す、これが道だからです。それなのに今の雅とするところが逸民・遊人の道となるのはどうしたことでしょう。士君子たる者からこの義を弁え知り、その閑暇無事の時は興に従って詩歌や茶の湯をして寂寥を散じるのも、どうして害があるでしょうか。つらつら考えるに、国に道がなく有徳の君子が世に用いられず、巻いて懐にする時に至って、老荘の道や今の詩・茶などの風も括囊の助けとなり、それによって鬱愠の気を養いその処に安んじ時の禍を免れる道であるでしょうから、人の善悪好悪を慎まなくてはなりません。逸民・隠士の多くはみな世上がそうさせることなので、もし先王の大雅の政事があって賢才を挙げ用いられるならば、自然と逸遊の徒も少なく、士君子はみな仁に志すに至るでしょう。

解説

俗の語源を確かめ、先王の世では雅と俗に差はなかったが、道が衰えて分かれたと説く章句です。士は安民の道を学び、国家の役に立とうと志すのが本分で、暇な時に詩歌や茶を楽しむのは害ではないと著者は述べます。世を捨てた人が多いのは世の乱れの結果であり、賢才が用いられる政治があれば減るとも言います。現代でも、人材が抜けるのは個人の弱さだけでなく、活躍の場や登用の仕組みの問題が大きいと読み取れます。

この章句が説くこと

『匡正論』本多忠籌雅俗士の志逸民登用

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