甲陽軍鑑 / 品第十四
天正三年五月廿一日に合戰有りて、三時ばかりたゝかふて柵の木際へをしつめ、右は馬塲美濃、二番眞出源太左衛門·同兵部介、三に土屋右衛門尉、四番に穴山五番に一條殿以上五手、左は山縣を始て五手、中は內藤是も五手いづれも馬をば大將と、役者と一そなへの中に七八人のり、殘りは皆馬あとにひかせ下りたつて鎗をとつて一そなへにかゝる、右の方土屋衆と一條衆、穴山衆は信長家の家老佐久間右衛門がかたの、柵の木を二重まで破るといへども、みかたは少軍なり、敵は多勢なり、殊に柵の木三重まであれば城ぜめのごとくにして、大將ども盡く鐵炮にあたり死する、
新字:天正三年五月廿一日に合戦有りて、三時ばかりたゝかふて柵の木際へをしつめ、右は馬塲美濃、二番真出源太左衛門·同兵部介、三に土屋右衛門尉、四番に穴山五番に一条殿以上五手、左は山県を始て五手、中は内藤是も五手いづれも馬をば大将と、役者と一そなへの中に七八人のり、残りは皆馬あとにひかせ下りたつて鎗をとつて一そなへにかゝる、右の方土屋衆と一条衆、穴山衆は信長家の家老佐久間右衛門がかたの、柵の木を二重まで破るといへども、みかたは少軍なり、敵は多勢なり、殊に柵の木三重まであれば城ぜめのごとくにして、大将ども尽く鉄炮にあたり死する、
書き下し
天正三年五月廿一日に合戦有りて、三時ばかりたゝかふて柵の木際へをしつめ、右は馬塲美濃、二番真出源太左衛門·同兵部介、三に土屋右衛門尉、四番に穴山五番に一条殿以上五手、左は山県を始て五手、中は内藤是も五手いづれも馬をば大将と、役者と一そなへの中に七八人のり、残りは皆馬あとにひかせ下りたつて鎗をとつて一そなへにかゝる、右の方土屋衆と一条衆、穴山衆は信長家の家老佐久間右衛門がかたの、柵の木を二重まで破るといへども、みかたは少軍なり、敵は多勢なり、殊に柵の木三重まであれば城ぜめのごとくにして、大将ども尽く鉄炮にあたり死する、
現代語訳
天正三年五月二十一日に合戦があって、三時ばかり戦って柵の木際へ押し詰め、右は馬場美濃、二番に真田源太左衛門・同兵部介、三に土屋右衛門尉、四番に穴山、五番に一条殿、以上五手、左は山県をはじめとして五手、中は内藤、これも五手。いずれも馬には大将と役者と一備えの中に七、八人が乗り、残りは皆馬を後に引かせ、下り立って鑓を取って一備えにかかる。右の方の土屋衆と一条衆・穴山衆は、信長家の家老佐久間右衛門の方の柵の木を二重まで破ったけれども、味方は小勢であり、敵は多勢である。ことに柵の木が三重まであったので城攻めのようになって、大将どもはことごとく鉄炮に当たって死んだ。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
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『酔古堂剣掃』集醒・多情の者は與に妍媸を定むべからず多情の者は、與に妍媸を定むべからず。多誼の者は、與に取與を定むべからず。多氣の者は、與に雌雄を定むべからず。多興の者は、與に去住を定むべからず。
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