甲陽軍鑑 / 品第十四
さて又大將の一方向なるをばきず有と申ス、强からん所をばよくつようし給ひ、よはからん所をば能よはく、こはからん所をは能こはく、やはらかならん所をば能やはらかに如此なるを能大將と申す、ケ樣なる大將の下にては若き衆是非と武邊を心がくる故、忠節·忠功の衆をば羨ましがる者なり、うらやましければ必ず其手抦なる人を崇る者なり、縱ば能兒若衆を是非と望めば、其若衆の親類迄を馳走するなり、又能書ならはんと思ふ者は能書の人を馳走する心に其若を矢切に是非此君の用にたゝんと存る侍は、必す其君へ忠節したる人をちそうする、其君を思はすして恩斗うけて用に立事を心懸ざる侍は、其家にて君に忠功·忠節したる人を猜む者なり、此儀を能御覽じ分給へ、
新字:さて又大将の一方向なるをばきず有と申ス、強からん所をばよくつようし給ひ、よはからん所をば能よはく、こはからん所をは能こはく、やはらかならん所をば能やはらかに如此なるを能大将と申す、ケ様なる大将の下にては若き衆是非と武辺を心がくる故、忠節·忠功の衆をば羨ましがる者なり、うらやましければ必ず其手抦なる人を崇る者なり、縦ば能児若衆を是非と望めば、其若衆の親類迄を馳走するなり、又能書ならはんと思ふ者は能書の人を馳走する心に其若を矢切に是非此君の用にたゝんと存る侍は、必す其君へ忠節したる人をちそうする、其君を思はすして恩斗うけて用に立事を心懸ざる侍は、其家にて君に忠功·忠節したる人を猜む者なり、此儀を能御覧じ分給へ、
書き下し
さて又大将の一方向なるをばきず有と申ス、强からん所をばよくつようし給ひ、よはからん所をば能よはく、こはからん所をは能こはく、やはらかならん所をば能やはらかに如此なるを能大将と申す、ケ様なる大将の下にては若き衆是非と武辺を心がくる故、忠節·忠功の衆をば羨ましがる者なり、うらやましければ必ず其手抦なる人を崇る者なり、縦ば能児若衆を是非と望めば、其若衆の親類迄を馳走するなり、又能書ならはんと思ふ者は能書の人を馳走する心に其若を矢切に是非此君の用にたゝんと存る侍は、必す其君へ忠節したる人をちそうする、其君を思はすして恩斗うけて用に立事を心懸ざる侍は、其家にて君に忠功·忠節したる人を猜む者なり、此儀を能御覧じ分給へ、
現代語訳
さてまた、大将が一方に偏っているのを傷があると申す。強くあるべき所はよく強くなされ、弱くあるべき所はよく弱く、こわくあるべき所はよくこわく、柔らかであるべき所はよく柔らかに、このようであるのをよい大将と申す。このような大将の下では、若い衆がぜひと武辺を心がけるので、忠節・忠功の衆を羨ましがるものである。羨ましければ、必ずその手柄の人を崇めるものである。たとえばよい稚児若衆をぜひにと望めば、その若衆の親類までを馳走するのである。また能書を習おうと思う者は能書の人を馳走する心で、その主君をひたすら、ぜひこの君の用に立とうと思う侍は、必ずその君へ忠節した人を馳走する。その君を思わずに恩ばかり受けて用に立つことを心がけない侍は、その家で君に忠功・忠節した人を妬むものである。このことをよくご覧じ分けなされよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・子路篇子曰く、中行を得て之に与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所有るなり。
-
尚書・秦誓啻に其の口より出づるが如きのみならず、是れ能く之を容る。以て我が子孫黎民を保つ、亦職に利有らんかな。人の技有るを、冒疾して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之に違ひて達せざらしむ、是れ容るる能はず。以て我が子孫黎民を保つ能はず、亦殆ふしと曰はんかな。
-
『酔古堂剣掃』集法・才稍〻眾を壓すれば忌心生ず才人國士は、既に不群の才を負へば、定めて不羈の行ひを負ふ。是を以て才稍〻眾を壓すれば則ち忌心生じ、行ひ稍〻時に違へば則ち側目至る。死後の聲名は、空しく墓中の骸骨を譽め、窮途に潦倒すれば、誰か宮外の蛾眉を憐れまん。
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、算盤細かに聚むることを好み、散ずることは嫌ひにて、奉公人も、綺羅ばる者は気に入らず、倹約者の見苦しき者を好みて、其の者の給金にても、下直なるかと云へば、其れも替らず、かやうなる前後揃はぬこと如何。答ふ、扨て汝の親方は、世の法と成るべき人かな。凡て下々の者は云ふに及ばず、仮令二万騎三万騎の大将とても、算術疎くては、馳挽備へだて成りがたからん。元来商売人として、算盤を知らずして、何を以て勘定致すべき。奉公人を抱ふるにも、此の手代は十枚或は五枚、下男は百目、彼は又五十目と、人別に替り有り。其の者の働きを見て、功有る者には給銀を増すべし。其の目利きあらば、我が手代に成るべきもの、幾人も出来らん。中庸に、忠信にして禄を重くするは士を勧むる所以なりと。これ君誠有りて、臣を養ふ道なり。
-
『塩鉄論』非鞅篇大夫曰く、淑好の人は、戚施の妒む所なり、賢知の士は、闒茸の惡む所なり。是を以て上官大夫は屈原を頃襄に短じ、公伯寮は子路を季孫に愬う。夫れ商君は布衣より起こり、魏より秦に入り、期年にして之に相たり、法を革め教を明らかにして、秦人大いに治まる。故に兵動けば地割け、兵休すれば國富む。孝公大いに說び、之を於・商の地方五百里に封ず、功は丘山の如く、名は後世に傳わる。世人は為す能わず、是を以て相い與に其の能を嫉みて其の功を疵とするなり。
-
史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る