甲陽軍鑑 / 品第十四
又一向宗の長遠寺を崇敬ある、彼の僧他國へゆき計策の後に、三度目には必ず日向源藤齋をこし給ひ、疑もなくみかたに定めらるゝ、是れも又三畧ニ曰、非計策無以決嫌定疑といふ心をも、つよ過ぎたる大將は計策武畧の智惠をば、よはきに相似たる事とて嫌い給ふ、其意地をさして過ぎたると申すなり、すぎてあしきことを高坂彈正が物にたくらべて申すを、能くきゝてひだちをうち給へ、
新字:又一向宗の長遠寺を崇敬ある、彼の僧他国へゆき計策の後に、三度目には必ず日向源藤斎をこし給ひ、疑もなくみかたに定めらるゝ、是れも又三略ニ曰、非計策無以決嫌定疑といふ心をも、つよ過ぎたる大将は計策武略の智恵をば、よはきに相似たる事とて嫌い給ふ、其意地をさして過ぎたると申すなり、すぎてあしきことを高坂弾正が物にたくらべて申すを、能くきゝてひだちをうち給へ、
書き下し
又一向宗の長遠寺を崇敬ある、彼の僧他国へゆき計策の後に、三度目には必ず日向源藤斎をこし給ひ、疑もなくみかたに定めらるゝ、是れも又三略ニ曰、非計策無以決嫌定疑といふ心をも、つよ過ぎたる大将は計策武略の智恵をば、よはきに相似たる事とて嫌い給ふ、其意地をさして過ぎたると申すなり、すぎてあしきことを高坂弾正が物にたくらべて申すを、能くきゝてひだちをうち給へ、
現代語訳
また一向宗の長遠寺を崇敬された。その僧が他国へ行って計策をした後、三度目には必ず日向源藤斎を遣わされて、疑いなく味方と定められた。これも三略に「計策にあらざれば以て嫌を決し疑を定むることなし」とある心であろう。ところが強過ぎたる大将は、計策・武略の智恵を、弱さに似たことだとして嫌われる。その意地を指して「過ぎた」と申すのである。過ぎて悪いことを、高坂弾正が物にたとえて申すのを、よく聞いて合点なされよ。
解説
この章句が説くこと
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