甲陽軍鑑 / 品第十四
され共文武二道の嗜おはしまし、物ごとを花奢に强くとあるにより合戰に勝給ひても敵の大將を誹らず、勝利を得ては猶以て大事に思ひ、分國境目三河にては設樂郡、美濃にては土岐遠山、遠州にてふたまた、相摸にてしんぢやう、上野にて鷹巢、越中にて神保椎名五飛彈·信州には越後の境目各へ用心きびしく仕れと有る、書狀を指し越し事を全く仕置し給ふ、
新字:され共文武二道の嗜おはしまし、物ごとを花奢に強くとあるにより合戦に勝給ひても敵の大将を誹らず、勝利を得ては猶以て大事に思ひ、分国境目三河にては設楽郡、美濃にては土岐遠山、遠州にてふたまた、相摸にてしんぢやう、上野にて鷹巣、越中にて神保椎名五飛弾·信州には越後の境目各へ用心きびしく仕れと有る、書状を指し越し事を全く仕置し給ふ、
書き下し
され共文武二道の嗜おはしまし、物ごとを花奢に强くとあるにより合戦に勝給ひても敵の大将を誹らず、勝利を得ては猶以て大事に思ひ、分国境目三河にては設楽郡、美濃にては土岐遠山、遠州にてふたまた、相摸にてしんぢやう、上野にて鷹巣、越中にて神保椎名五飛弾·信州には越後の境目各へ用心きびしく仕れと有る、書状を指し越し事を全く仕置し給ふ、
現代語訳
けれども信玄公は文武二道のたしなみがおありで、物事を華やかにしかも強くという心がけであったので、合戦に勝たれても敵の大将を誹らず、勝利を得てはなおいっそう大事に思われ、分国の境目、三河では設楽郡、美濃では土岐・遠山、遠州では二俣、相模では新庄、上野では鷹巣、越中では神保・椎名、飛騨、信州では越後との境目、それぞれへ用心を厳しくせよという書状を差し遣わして、事を万全に仕置された。
解説
この章句が説くこと
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