甲陽軍鑑 / 品第十三
されども氏康少敵なり、殊に夜軍なれば兩上杉なから討ち死なく、則政公平井へ歸陣なるを武略する、本間江州は今夜夜軍の目あかしなりと名乘て、大道寺と出合ふ本間江州をうつて此さし物を、北條家のあらん限りはさし給へと申して、うたるゝ時のいひ置きなり、敵なれども大剛の者の詞なれば今にいたるまで、北條家の大道寺九ッ挑燈を金にしてもたする、是によつてこまといは北條家よりはじまる、其後上杉殿·本間江州·井又左近か申したる事あたりたりと、則政公宣へば諸人又兩人をほむる、さてすがの大膳·上原兵庫則政公よりさきへ北て歸れども、能き人は討死する、殘る者は皆逃たる侍なれば別にあしきさたもなし、此合戰天文七年戊戌七月十五日の夜なり、山の內管領·上杉則政公臆病にまします故、
新字:されども氏康少敵なり、殊に夜軍なれば両上杉なから討ち死なく、則政公平井へ帰陣なるを武略する、本間江州は今夜夜軍の目あかしなりと名乗て、大道寺と出合ふ本間江州をうつて此さし物を、北条家のあらん限りはさし給へと申して、うたるゝ時のいひ置きなり、敵なれども大剛の者の詞なれば今にいたるまで、北条家の大道寺九ッ挑灯を金にしてもたする、是によつてこまといは北条家よりはじまる、其後上杉殿·本間江州·井又左近か申したる事あたりたりと、則政公宣へば諸人又両人をほむる、さてすがの大膳·上原兵庫則政公よりさきへ北て帰れども、能き人は討死する、残る者は皆逃たる侍なれば別にあしきさたもなし、此合戦天文七年戊戌七月十五日の夜なり、山の内管領·上杉則政公臆病にまします故、
書き下し
されども氏康少敵なり、殊に夜軍なれば両上杉なから討ち死なく、則政公平井へ帰陣なるを武略する、本間江州は今夜夜軍の目あかしなりと名乗て、大道寺と出合ふ本間江州をうつて此さし物を、北条家のあらん限りはさし給へと申して、うたるゝ時のいひ置きなり、敵なれども大剛の者の詞なれば今にいたるまで、北条家の大道寺九ッ挑灯を金にしてもたする、是によつてこまといは北条家よりはじまる、其後上杉殿·本間江州·井又左近か申したる事あたりたりと、則政公宣へば諸人又両人をほむる、さてすがの大膳·上原兵庫則政公よりさきへ北て帰れども、能き人は討死する、残る者は皆逃たる侍なれば別にあしきさたもなし、此合戦天文七年戊戌七月十五日の夜なり、山の内管領·上杉則政公臆病にまします故、
現代語訳
けれども氏康は小勢である。ことに夜軍なので両上杉とも討死はなく、則政公が平井へ帰陣されるのを武略する。本間江州は今夜の夜軍の目明かしであると名乗って、大道寺と出合い、本間江州を討ってこの指物を北条家のあらん限りは差しなされと申して、討たれる時の言い置きである。敵であっても大剛の者の言葉なので、今に至るまで北条家の大道寺は九つ提灯を金にして持たせる。これによって駒取り(こまとい)は北条家から始まる。その後、上杉殿は本間江州・井又左近が申したことが当たったと則政公が仰せられるので、諸人はまた両人を褒める。さてすがの大膳・上原兵庫は則政公より先に逃げて帰ったが、よい人は討死する。残る者は皆逃げた侍なので、別に悪い沙汰もない。この合戦は天文七年戊戌七月十五日の夜である。山内管領上杉則政公が臆病でおられるので、無穿鑿で悪い上原兵庫・すがの大膳の次第になさったゆえ、このようである。
解説
この章句が説くこと
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