甲陽軍鑑 / 品第十三
北條左衛門太夫か弟くしま辨千世とて、其年十八歲に成りつるが、氏康へ申上るは、是れは大事の御使なり、書狀をこし給はゝ道にてとらへられ今夜の合戰なるまじ、今夜合戰なくして又いつの世に大敵をよき塲所へ曳き請け給はん、十が九ツあらはるゝは必定よ、顯はるゝ事あやうしとて、口上に仰せ付けらるゝに付ては、拷問せられて落つべし、それは狀にて顯はるゝとも、問ひ落されて顯はるゝも道理は一ツ所へ參り候、乍恐辨千世を指越し給はゝ被捕て糺明にあひ、縱へば首をば塞はどにすらるゝとも落ち申す事有るまじ、
新字:北条左衛門太夫か弟くしま弁千世とて、其年十八歳に成りつるが、氏康へ申上るは、是れは大事の御使なり、書状をこし給はゝ道にてとらへられ今夜の合戦なるまじ、今夜合戦なくして又いつの世に大敵をよき塲所へ曳き請け給はん、十が九ツあらはるゝは必定よ、顕はるゝ事あやうしとて、口上に仰せ付けらるゝに付ては、拷問せられて落つべし、それは状にて顕はるゝとも、問ひ落されて顕はるゝも道理は一ツ所へ参り候、乍恐弁千世を指越し給はゝ被捕て糺明にあひ、縦へば首をば塞はどにすらるゝとも落ち申す事有るまじ、
書き下し
北条左衛門太夫か弟くしま弁千世とて、其年十八歳に成りつるが、氏康へ申上るは、是れは大事の御使なり、書状をこし給はゝ道にてとらへられ今夜の合戦なるまじ、今夜合戦なくして又いつの世に大敵をよき塲所へ曳き請け給はん、十が九ツあらはるゝは必定よ、顕はるゝ事あやうしとて、口上に仰せ付けらるゝに付ては、拷問せられて落つべし、それは状にて顕はるゝとも、問ひ落されて顕はるゝも道理は一ツ所へ参り候、乍恐弁千世を指越し給はゝ被捕て糺明にあひ、縦へば首をば塞はどにすらるゝとも落ち申す事有るまじ、
現代語訳
北条左衛門太夫の弟の福島弁千世といって、その年十八歳になった者が氏康へ申し上げるには、これは大事の御使いです。書状を遣わされれば道で捕らえられ、今夜の合戦はできますまい。今夜合戦がなくては、またいつの世に大敵をよい場所へ引き受けなさるでしょう。十に九つ露見するのは必定です。露見するのが危ういといって口上で仰せ付けられても、拷問されて白状するでしょう。それは書状で露見するのも、問い落とされて露見するのも、道理は一つ所へ参ります。恐れながら弁千世を差し向けなされば、捕らえられて糺明にあい、たとえ首を鋸で挽かれても白状することはありますまい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第十三前へに申す長尾いげん入道、上杉家にて弓矢の功者な意玄らぶかたなし、此いげんは諸人の批判にかはり北条家の弓矢を上杉の大癪の虫と見届け、右の本間·井又をいげん入道所へ呼び、則政公御前へ旁両人出仕の儀疑ひ有べからずと、いげん入道自筆にて誓言を入れ一札をかき、本間·江州·井又左近両人方へ渡し、此人々の妻子をば長尾いげん入道の領分にかくし置、上杉家をば沽却したると内々披露あり本間·井又は北条家へうつる、此本間·井又を北条衆も一入しりてため大藤·近石二人肝煎をもつて、大道寺殿奏者にて氏康公へ礼を申上る、
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論語・泰伯篇舜に臣五人有りて、天下治まる。武王曰く、「予に乱臣十人有り。」孔子曰く、「『才難し』とは、其れ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んなりと為す。婦人有り、九人のみ。天下を三分して其の二を有ち、以て殷に服事す。周の徳は、其れ至徳と謂う可きのみ。」
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孫子・作戦篇其の戦を用うるや、勝つを貴ぶ。久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈し、久しく師を暴せば則ち国用足らず。
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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論語・雍也篇子游、武城の宰と為る。子曰く、「女、人を得たるか。」曰く、「澹台滅明なる者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。」
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尉繚子・武議良馬も策有れば、遠道致すべし。賢士も合有れば、大道明らかにすべし。
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