甲陽軍鑑 / 品第十三
或時高野聖、半弓にて盜人をひとり射ころしたれば、手抦者とて則政公へ呼出し、千貫の知行を給はりしかも足輕大將に被成、惡しき諸人則政公を武邊ずきにてかくのごとしとほめたつる、底意は北條家言にて大藤近石といふ根來法師に、おぼへの者あしがる大將のあるにまけまじといふ、左樣に知行取新しく際限なきにより、則政公臺所入ただ二千貫ならでなし、扨こそ右に申臆病なる大將の器用だて是なり、
新字:或時高野聖、半弓にて盗人をひとり射ころしたれば、手抦者とて則政公へ呼出し、千貫の知行を給はりしかも足軽大将に被成、悪しき諸人則政公を武辺ずきにてかくのごとしとほめたつる、底意は北条家言にて大藤近石といふ根来法師に、おぼへの者あしがる大将のあるにまけまじといふ、左様に知行取新しく際限なきにより、則政公台所入ただ二千貫ならでなし、扨こそ右に申臆病なる大将の器用だて是なり、
書き下し
或時高野聖、半弓にて盗人をひとり射ころしたれば、手抦者とて則政公へ呼出し、千貫の知行を給はりしかも足軽大将に被成、悪しき諸人則政公を武辺ずきにてかくのごとしとほめたつる、底意は北条家言にて大藤近石といふ根来法師に、おぼへの者あしがる大将のあるにまけまじといふ、左様に知行取新しく際限なきにより、則政公台所入ただ二千貫ならでなし、扨こそ右に申臆病なる大将の器用だて是なり、
現代語訳
或る時、高野聖が半弓で盗人を一人射殺したところ、手柄者だといって則政公へ呼び出し、千貫の知行を与え、しかも足軽大将になされた。悪い諸人は、則政公は武辺好きだからこのようだと褒めたてる。底意は、北条家に大藤・近石という根来法師で覚えの者の足軽大将がいるのに負けまいということである。そのように新しい知行取りがきりなく出るので、則政公の台所入りはただ二千貫しかない。さてこそ、右に申す臆病な大将の器用だてとはこれである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十其次に小山田弥三郎いはく、上杉則政は人をもみしり給はねばこそ則政にて取立の人に十人が九人微弱にて則政公の為も思はず、口にて管領をあがむるばかり、内々はうしろくらく、しかも又武道は臆病第一と聞へたりといへば、其後山県三郎兵衛いはく、上杉則政の儀、高野聖が半弓にて鍋釜盗人を一人射殺したるとて、足軽をあづけ弓大将にせらるゝなれば、一事が万事にわたる故何として人を見知りなされんといへば、
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『甲陽軍鑑』品第十三旣元ルに大身衆は則政公御代を千年と願ひ申す子細は、御家督つぐ年より六年以降詰奉公を免し給ひ、一年中に正月元日ばかり出仕して、残る月日は面々が居城に罷有り楽を致し、平井へ三十里の間にてもたどの時は、出仕御免の儀上杉家始まりて則政公御恩一入過分と小幡·大石·藤田·白倉各口をそろへ、いつも我等両人に申す事一三ケ条御法度の事は堅く被仰付是尤の事一平井において手抦の者をば、又被官なりとも取上られ、此沢山なる御知行被下べし、北条家にては、根来法師が一二をあらそう物なれ、
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『甲陽軍鑑』品第十三扨て此則政の家中には何たる手抦人をも小身なるをばいやしみ、小身にてもよき分別有るべきをばそねみ、又出頭の上原·すがの親類共、大身衆の由贔負をば何たる耄者をもそねまず、わかき人々いんげんに名を取りたる者ならば、是非ともすりかけんと、うでだてを申せども、是も小身にして人の名をよぶ者へは、自然日比申すごとく一言もいへども、仕合せよくして手抦有る人には、かげにてはいへども向いては陣防癈忘する、とかく意地きたなふて、身上の大なるに怖ば臆病の色斗り、
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『甲陽軍鑑』品第四十一或時御舎弟一条殿高坂弾正にとはるゝ、関東の上杉則政は我下手の衆へ三年に一度つミ知行わりありて加恩をあたへ給へと、各のぞみたらばくる日もゆく日も、所領とらんことを思ひ、父管領の代より子息則政の代に三双倍四双倍に身上成たる人もかたじけなく、思はずして内々には則政衆北条氏康へ心をよせたる様子は、則政の知行くれられたるも、やうありやこのことはりを高坂弾正いひ給へ、きかんと一条右衛門太夫殿いはるれば、
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『甲陽軍鑑』品第十三大身衆の思ひつき申ことは先関東中の久しき家にて、其大将の幼少成には其家の覚有老ともに、則ち主の知行を分て下され守たてよと仰付らるゝに付ては、主も被官もいぎなく管領公の御為大切に存ずること日々に新なるべしなとゝ申す、是も一理は尤もなれば管領則政公大きに合点まします故、関東にて結城にたがや千葉に原はらに高木両さかゐなどとて、主より大きなる知行取の有は、此時代より始まる、其知行取る者ども扨て則政公は名大将にて管領始まりてなき御仕置きと誉め奉つるにより、則政公思し召すは面白き分別をして我に名を取ヲするとて、すがの·上原次第に何事も則政公し給ふ故、よの家老衆のいさめ少しも許容を加へ給はず候、
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