甲陽軍鑑 / 品第十三
旣元ルに大身衆は則政公御代を千年と願ひ申す子細は、御家督つぐ年より六年以降詰奉公を免し給ひ、一年中に正月元日ばかり出仕して、殘る月日は面々が居城に罷有り樂を致し、平井へ三十里の間にてもたどの時は、出仕御免の儀上杉家始まりて則政公御恩一入過分と小幡·大石·藤田·白倉各口をそろへ、いつも我等兩人に申す事一三ケ條御法度の事は堅く被仰付是尤の事一平井において手抦の者をば、又被官なりとも取上られ、此澤山なる御知行被下べし、北條家にては、根來法師が一二をあらそう物なれ、
新字:既元ルに大身衆は則政公御代を千年と願ひ申す子細は、御家督つぐ年より六年以降詰奉公を免し給ひ、一年中に正月元日ばかり出仕して、残る月日は面々が居城に罷有り楽を致し、平井へ三十里の間にてもたどの時は、出仕御免の儀上杉家始まりて則政公御恩一入過分と小幡·大石·藤田·白倉各口をそろへ、いつも我等両人に申す事一三ケ条御法度の事は堅く被仰付是尤の事一平井において手抦の者をば、又被官なりとも取上られ、此沢山なる御知行被下べし、北条家にては、根来法師が一二をあらそう物なれ、
書き下し
旣元ルに大身衆は則政公御代を千年と願ひ申す子細は、御家督つぐ年より六年以降詰奉公を免し給ひ、一年中に正月元日ばかり出仕して、残る月日は面々が居城に罷有り楽を致し、平井へ三十里の間にてもたどの時は、出仕御免の儀上杉家始まりて則政公御恩一入過分と小幡·大石·藤田·白倉各口をそろへ、いつも我等両人に申す事一三ケ条御法度の事は堅く被仰付是尤の事一平井において手抦の者をば、又被官なりとも取上られ、此沢山なる御知行被下べし、北条家にては、根来法師が一二をあらそう物なれ、
現代語訳
すでに大身衆が則政公の御代を千年と願う子細は、御家督を継がれた年から六年このかた詰め奉公を免じられ、一年中に正月元日だけ出仕して、残る月日はめいめい居城にいて楽をし、平井へ三十里の間にいてもただの時は出仕御免という儀は、上杉家が始まって以来、則政公の御恩はひとしお過分だと、小幡・大石・藤田・白倉が各々口をそろえて、いつも我々両人に申すことでございます。一、三か条の御法度のことは堅く仰せ付けられ、これはもっともなこと。一、平井において手柄の者は、又被官であっても取り上げられ、この沢山の御知行を下されるのがよい。北条家では根来法師が一二を争うものです。どのような者でも御扶持なさるのがもっともなこと。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第十三何様の者をも御扶持尤もの事一本間·井又七年御意にそむき罷り有り候者を、当年よりはや御懇に候へは、上杉家に人なきやうにて候間、十年とは存ずれども、せめて七八年も遠々しく被成尤の事、付扇谷と御無事にて御損多く候事と書き付て、すがの·上原両人にて直に則政公へ上る則政公披見有り、北条家をいやしむ儀、其外なにもかも機に入りて長尾いげん入道をはじめ四五人のこと、少しも則政〓着なし、
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『甲陽軍鑑』品第四十一或時御舎弟一条殿高坂弾正にとはるゝ、関東の上杉則政は我下手の衆へ三年に一度つミ知行わりありて加恩をあたへ給へと、各のぞみたらばくる日もゆく日も、所領とらんことを思ひ、父管領の代より子息則政の代に三双倍四双倍に身上成たる人もかたじけなく、思はずして内々には則政衆北条氏康へ心をよせたる様子は、則政の知行くれられたるも、やうありやこのことはりを高坂弾正いひ給へ、きかんと一条右衛門太夫殿いはるれば、
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『甲陽軍鑑』品第十三大身衆の思ひつき申ことは先関東中の久しき家にて、其大将の幼少成には其家の覚有老ともに、則ち主の知行を分て下され守たてよと仰付らるゝに付ては、主も被官もいぎなく管領公の御為大切に存ずること日々に新なるべしなとゝ申す、是も一理は尤もなれば管領則政公大きに合点まします故、関東にて結城にたがや千葉に原はらに高木両さかゐなどとて、主より大きなる知行取の有は、此時代より始まる、其知行取る者ども扨て則政公は名大将にて管領始まりてなき御仕置きと誉め奉つるにより、則政公思し召すは面白き分別をして我に名を取ヲするとて、すがの·上原次第に何事も則政公し給ふ故、よの家老衆のいさめ少しも許容を加へ給はず候、
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『甲陽軍鑑』品第十三両上杉中のあしきを北条家にてよろこびの事四ツ氏康譜代衆老若をあはれみ隠居の者をも大小ともに、それ〳〵に扶持しまし〳〵て若者ども家に久しき侍達ち、切符二番目·三番目の子をもよび出し、きりふにて召し遣ひてがら有をば人にとり立てられ候間、此家中老たるも若き親し、も望を存知心がけつよくして、しかも氏康にしみ、此君の用にたち討死仕る命少しも惜からずと思ひ候によりて分 法度なけれど、むさと喧嘩なとさのみなくて一段奥深く見へ候事、五ツと此五ヶ条をもつて長尾いげん入道に申渡す、
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『甲陽軍鑑』品第十三或時高野聖、半弓にて盗人をひとり射ころしたれば、手抦者とて則政公へ呼出し、千貫の知行を給はりしかも足軽大将に被成、悪しき諸人則政公を武辺ずきにてかくのごとしとほめたつる、底意は北条家言にて大藤近石といふ根来法師に、おぼへの者あしがる大将のあるにまけまじといふ、左様に知行取新しく際限なきにより、則政公台所入ただ二千貫ならでなし、扨こそ右に申臆病なる大将の器用だて是なり、
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『甲陽軍鑑』品第十三爰に長尾いげん入道とて上杉家の功者にて、北条家のこと則政公へ度々諫を申し、則政公合点ありて又崇敬有る、すがの·上原に相尋ね給へば、上原兵庫·すがの大膳両人申上るいげん入道さすがの者にて候へ共、老耄仕り功者も跡になる分別にて候、子細は北条小敵にて候へば誅罰せんこと何時にも罷成べし、夫は余り安きことな親しまれり、さるに付てはたゞ御手前の大身衆によくしみられ給ふやう成を我々は肝要に分別仕り候、
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