甲陽軍鑑 / 品第十三
就中御座をなをし給ふ、くしま殿氏康公と同年なるを當年廿二歲にて御そば奉公をゆるしあり、北條左衛門太夫と申す、此仁は四十五十の人より弓矢の鍛鍊甚だし、其舍弟くしま辨千世殿と申し當年十六歲になり給ふが、此人また氏康公の御座をなをさるゝ、是もまして只人ならずと相みゆる、此家中いづ·相摸二ヶ國と申せ共、祖父宗雲公の代に蓄へ給ふ金銀·米錢をもつて諸牢人をふちし給ひ、國郡の外奉公人多し、果しては上杉家の大事なりと見届け、
新字:就中御座をなをし給ふ、くしま殿氏康公と同年なるを当年廿二歳にて御そば奉公をゆるしあり、北条左衛門太夫と申す、此仁は四十五十の人より弓矢の鍛錬甚だし、其舎弟くしま弁千世殿と申し当年十六歳になり給ふが、此人また氏康公の御座をなをさるゝ、是もまして只人ならずと相みゆる、此家中いづ·相摸二ヶ国と申せ共、祖父宗雲公の代に蓄へ給ふ金銀·米銭をもつて諸牢人をふちし給ひ、国郡の外奉公人多し、果しては上杉家の大事なりと見届け、
書き下し
就中御座をなをし給ふ、くしま殿氏康公と同年なるを当年廿二歳にて御そば奉公をゆるしあり、北条左衛門太夫と申す、此仁は四十五十の人より弓矢の鍛錬甚だし、其舎弟くしま弁千世殿と申し当年十六歳になり給ふが、此人また氏康公の御座をなをさるゝ、是もまして只人ならずと相みゆる、此家中いづ·相摸二ヶ国と申せ共、祖父宗雲公の代に蓄へ給ふ金銀·米銭をもつて諸牢人をふちし給ひ、国郡の外奉公人多し、果しては上杉家の大事なりと見届け、
現代語訳
とりわけ御座を直しなさる福島殿は氏康公と同年で、当年二十二歳で御側奉公を許されている。北条左衛門太夫と申す。この人は四十・五十の人よりも弓矢の鍛錬がはなはだしい。その舎弟の福島弁千世殿と申し、当年十六歳になられる方が、この人もまた氏康公の御座を直される。これもましてただ人ではないと見える。この家中は伊豆・相模の二か国と申すけれども、祖父宗雲公の代に蓄えられた金銀・米銭で諸牢人を扶持なされ、国郡の外にも奉公人が多い。結局は上杉家の大事になると見届けた。
解説
この章句が説くこと
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