甲陽軍鑑 / 品第十三
氏康公其御年十九·二十なれ共政道かしこくまし〳〵て、少しもはだゆるしを付給はず、働き有時は本間·井又を大事の處へ指越あしく取まはし候はゞ、心のそまぬかり主のために討死しつべしとおぼゆる、されども四年の間堪忍大方樣子をきゝ届くれば、大身の分に北條家へ心をそへさる衆、兩上杉家に長尾いげん入道をはじめたゞ九人ならでなし、
新字:氏康公其御年十九·二十なれ共政道かしこくまし〳〵て、少しもはだゆるしを付給はず、働き有時は本間·井又を大事の処へ指越あしく取まはし候はゞ、心のそまぬかり主のために討死しつべしとおぼゆる、されども四年の間堪忍大方様子をきゝ届くれば、大身の分に北条家へ心をそへさる衆、両上杉家に長尾いげん入道をはじめたゞ九人ならでなし、
書き下し
氏康公其御年十九·二十なれ共政道かしこくまし〳〵て、少しもはだゆるしを付給はず、働き有時は本間·井又を大事の処へ指越あしく取まはし候はゞ、心のそまぬかり主のために討死しつべしとおぼゆる、されども四年の間堪忍大方様子をきゝ届くれば、大身の分に北条家へ心をそへさる衆、両上杉家に長尾いげん入道をはじめたゞ九人ならでなし、
現代語訳
氏康公はその御年十九・二十であったが、政道が賢くおられて、少しも肌を許されない。働きのある時は本間・井又を大事の所へ差し向けて、悪く取り回したならば、心の染まない仮の主のために討死してしまうだろうと思われた。けれども四年の間堪忍して、おおよそ様子を聞き届けると、大身の分で北条家へ心を寄せない衆は、両上杉家に長尾いげん入道をはじめただ九人しかいない。
解説
若い氏康は、上杉から来た二人を歓迎しつつも心を許さず、危険な持ち場に回した。二人は仮の主のために討死しかねない立場で四年堪え、その間に上杉の大身のほとんどが北条へ心を寄せていることを知る。新参者を用いつつ見極める氏康の慎重さと、内から見た上杉の空洞化が対になっている。外から来た人を迎える側の構えが問われる。受け入れた人材を試すことは冷たさではなく、組織を守る責任である。
この章句が説くこと
大将人材見極め新参武略北条
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