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甲陽軍鑑 / 品第十二

爰に釋迦佛の說き給ふ如犛牛愛尾と、是れは尾に劒の有る牛なり、尾の劒をねぶれば舌きれて血出づる、血の味い酸して甘し、爰を以て明暮ねぶり終に舌破れて死す、其ごとくに當座おもしろきことを止ずして惡儀なり、善惡の辨もなく我利根を先へ立て專らに守り給ふ大將をば、利根過たるとは申ぞ、ケ樣の大將父にも敵對、或は科もなき家老を切たがり、終には此書き置然れば此四品を合て一卷とし君子命期の卷とは名付たり、我身亡給へば、はたしては虛の眞只中なり、長坂長閑老·跡部大炊助殿能々分別あるべし、

新字:爰に釈迦仏の説き給ふ如犛牛愛尾と、是れは尾に劒の有る牛なり、尾の劒をねぶれば舌きれて血出づる、血の味い酸して甘し、爰を以て明暮ねぶり終に舌破れて死す、其ごとくに当座おもしろきことを止ずして悪儀なり、善悪の弁もなく我利根を先へ立て専らに守り給ふ大将をば、利根過たるとは申ぞ、ケ様の大将父にも敵対、或は科もなき家老を切たがり、終には此書き置然れば此四品を合て一巻とし君子命期の巻とは名付たり、我身亡給へば、はたしては虚の真只中なり、長坂長閑老·跡部大炊助殿能々分別あるべし、

書き下し

爰に釈迦仏の説き給ふ如犛牛愛尾と、是れは尾に劒の有る牛なり、尾の劒をねぶれば舌きれて血出づる、血の味い酸して甘し、爰を以て明暮ねぶり終に舌破れて死す、其ごとくに当座おもしろきことを止ずして悪儀なり、善悪の弁もなく我利根を先へ立て専らに守り給ふ大将をば、利根過たるとは申ぞ、ケ様の大将父にも敵対、或は科もなき家老を切たがり、終には此書き置然れば此四品を合て一巻とし君子命期の巻とは名付たり、我身亡給へば、はたしては虚の真只中なり、長坂長閑老·跡部大炊助殿能々分別あるべし、

現代語訳

ここに釈迦仏の説かれた「犛牛の尾を愛するが如し」とあるのは、尾に剣のある牛のことである。尾の剣を舐めれば舌が切れて血が出る。血の味は酸っぱくて甘い。それで明け暮れ舐め、ついに舌が破れて死ぬ。そのように、当座の面白いことを止めないのは悪い行いである。善悪の弁えもなく、自分の利根を先へ立てて、もっぱらそれを守られる大将を、利根過ぎたと申すのである。このような大将は父にも敵対し、あるいは科もない家老を斬りたがり、ついには(「此書き置然れば此四品を合て一卷とし君子命期の卷とは名付たり」は、この四品を合わせて一巻とし君子命期の巻と名付けたという注記が紛れたものと見られる)我が身を滅ぼされるので、果たしては虚の真只中である。長坂長閑老・跡部大炊助殿、よくよく分別あるべきである。

解説

尾に剣を持つ牛が、自分の血の甘さに惹かれて舐め続け、ついに舌を破って死ぬという仏典の喩えで品を結ぶ。当座の面白さを止められないこと、そして自分の利根を何より先に立てることが、父への敵対や罪なき家老の処断を経て、身の破滅に至る。高坂はこれを勝頼の側近二人に向けて書いている。自分の賢さを味わう快感は、気づかぬうちに自分を傷つけている。止める力こそが、賢さの本当の使い道である。

この章句が説くこと

利根慢心犛牛大将家老自滅

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