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甲陽軍鑑 / 品第十二

兩人御取成をもつて信濃の茶賣商人なんど繁昌いたさんと相見る候信玄公御代には御弓の番所へやう〳〵來るは八田村新左衞門、信玄公他界し給ふ三年このかた御くつろぎ所迄でねり入とて、痛はしや三枝勘解由左衛門正月十六日に腹を立て、我等に物語り申され候ヒつる、當家の侍衆頓て作法亂れ申べしと相見へ候者なり仍て如件天正三乙亥年六月吉日高坂彈正忠記之

新字:両人御取成をもつて信濃の茶売商人なんど繁昌いたさんと相見る候信玄公御代には御弓の番所へやう〳〵来るは八田村新左衛門、信玄公他界し給ふ三年このかた御くつろぎ所迄でねり入とて、痛はしや三枝勘解由左衛門正月十六日に腹を立て、我等に物語り申され候ヒつる、当家の侍衆頓て作法乱れ申べしと相見へ候者なり仍て如件天正三乙亥年六月吉日高坂弾正忠記之

書き下し

両人御取成をもつて信濃の茶売商人なんど繁昌いたさんと相見る候信玄公御代には御弓の番所へやう〳〵来るは八田村新左衛門、信玄公他界し給ふ三年このかた御くつろぎ所迄でねり入とて、痛はしや三枝勘解由左衛門正月十六日に腹を立て、我等に物語り申され候ヒつる、当家の侍衆頓て作法乱れ申べしと相見へ候者なり仍て如件天正三乙亥年六月吉日高坂弾正忠記之

現代語訳

お二人のお取りなしによって、信濃の茶売り商人などが繁昌しようとしているように見えます。信玄公の御代には、御弓の番所へようやく来るのが八田村新左衛門であったのに、信玄公が他界されて三年このかた、御くつろぎ所まで練り入るといって、痛わしいことに三枝勘解由左衛門が正月十六日に腹を立てて、我らに物語りされた。当家の侍衆はやがて作法が乱れるであろうと見えるものである。よって件のごとし。天正三年乙亥六月吉日、高坂弾正忠これを記す。

解説

品の最後で高坂は、話を目の前の武田家に引き戻す。信玄の時代には弓の番所までしか来られなかった商人が、死後三年で主君のくつろぎの間まで出入りするようになった。三枝勘解由左衛門の憤りを伝え、作法はやがて乱れるだろうと予言して筆を置く。前半で描いた町人の出頭が、勝頼の代に現に始まっているという警告である。組織の乱れは、誰がどこまで入り込めるかという境界の緩みに最初に表れる。

この章句が説くこと

勝頼家風側近作法境界油断

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