甲陽軍鑑 / 品第十二
扨又右の荒手の來ルを見て、信玄公筑摩川を越三町程引籠御族本を備へ給ふに、嫡子義信公詮なきつよみを思食、引入まじき備を引たるとて、信玄公を誹り給ひ候、義信利根過ぎ給ひたる若殿なり、それ故永祿五年戌の歲の八月二十日に御使を被立ヲ兩方の御存分被仰御中あしく成給ふ、亥の歲二月曹洞宗の知識信州岩村田ほつこう和尙甲甲天州大善寺高天兩和尙、御父子の御中直し給はんと有し時、兩方種々被仰分御座候に猶以て不和なり、そこにて義信公は長坂源五郞と談合し給ひ、せんなき惡事をたくみ出して、飯富兵部少輔を賴み謀反の企をし給ふ、
新字:扨又右の荒手の来ルを見て、信玄公筑摩川を越三町程引籠御族本を備へ給ふに、嫡子義信公詮なきつよみを思食、引入まじき備を引たるとて、信玄公を誹り給ひ候、義信利根過ぎ給ひたる若殿なり、それ故永禄五年戌の歳の八月二十日に御使を被立ヲ両方の御存分被仰御中あしく成給ふ、亥の歳二月曹洞宗の知識信州岩村田ほつこう和尚甲甲天州大善寺高天両和尚、御父子の御中直し給はんと有し時、両方種々被仰分御座候に猶以て不和なり、そこにて義信公は長坂源五郎と談合し給ひ、せんなき悪事をたくみ出して、飯富兵部少輔を頼み謀反の企をし給ふ、
書き下し
扨又右の荒手の来ルを見て、信玄公筑摩川を越三町程引籠御族本を備へ給ふに、嫡子義信公詮なきつよみを思食、引入まじき備を引たるとて、信玄公を誹り給ひ候、義信利根過ぎ給ひたる若殿なり、それ故永禄五年戌の歳の八月二十日に御使を被立ヲ両方の御存分被仰御中あしく成給ふ、亥の歳二月曹洞宗の知識信州岩村田ほつこう和尚甲甲天州大善寺高天両和尚、御父子の御中直し給はんと有し時、両方種々被仰分御座候に猶以て不和なり、そこにて義信公は長坂源五郎と談合し給ひ、せんなき悪事をたくみ出して、飯富兵部少輔を頼み謀反の企をし給ふ、
現代語訳
さてまた右の荒手の来るのを見て、信玄公が筑摩川を越えて三町ほど引き籠もり御旗本を備えられたのに、嫡子義信公は詮ない強みをお思いになり、「引き入るべきでない備えを引いた」といって信玄公を誹られた。義信は利根の過ぎた若殿である。それゆえ永禄五年戌の歳の八月二十日に御使いを立てられ、両方の御存分を仰せられて、御仲が悪くなられた。亥の歳の二月、曹洞宗の知識で信州岩村田のほつこう和尚と、甲州大善寺の高天和尚の両和尚が、御父子の御仲を直そうとされた時、両方からさまざまにおっしゃり分けがあったが、なおさら不和になった。そこで義信公は長坂源五郎と談合され、詮ない悪事をたくらみ出して、飯富兵部少輔を頼み、謀反の企てをされた。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
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