甲陽軍鑑 / 品第十二
必ず利根の過ぎたる大將は無分別にて無穿鑿成る故、手抦をも知り給はねば無手抦をも御存知なし、不ッ入ヲ所に强みありて家につたふる家老などを、科もなきに惡み親不孝にして父とも中あしうなり、非業に身を破ぶり給ふ、其ごとくに太郞義信公亡び給ふ、元來は永祿四辛酉年に河中島にて合戰巳刻の末に終る、同午の刻に輝虎後ろ備へ甘數近江守と申す者千計りの人數を謙信龍の丸備へに作り、少しも噪がず如何にも靜かにのく、いくづされたる越後勢又直江がこにだ奉行の人數、信玄方の先発にうら余まされたる者々人喀此甘敷に付き越後の力の信玄公旗本組は越後への道を取り切り備へ給へば、迯る程の越後勢旗本の前きへ行きかこらざるはなし、
新字:必ず利根の過ぎたる大将は無分別にて無穿鑿成る故、手抦をも知り給はねば無手抦をも御存知なし、不ッ入ヲ所に強みありて家につたふる家老などを、科もなきに悪み親不孝にして父とも中あしうなり、非業に身を破ぶり給ふ、其ごとくに太郎義信公亡び給ふ、元来は永禄四辛酉年に河中島にて合戦巳刻の末に終る、同午の刻に輝虎後ろ備へ甘数近江守と申す者千計りの人数を謙信竜の丸備へに作り、少しも噪がず如何にも静かにのく、いくづされたる越後勢又直江がこにだ奉行の人数、信玄方の先発にうら余まされたる者々人喀此甘敷に付き越後の力の信玄公旗本組は越後への道を取り切り備へ給へば、迯る程の越後勢旗本の前きへ行きかこらざるはなし、
書き下し
必ず利根の過ぎたる大将は無分別にて無穿鑿成る故、手抦をも知り給はねば無手抦をも御存知なし、不ッ入ヲ所に强みありて家につたふる家老などを、科もなきに悪み親不孝にして父とも中あしうなり、非業に身を破ぶり給ふ、其ごとくに太郎義信公亡び給ふ、元来は永禄四辛酉年に河中島にて合戦巳刻の末に終る、同午の刻に輝虎後ろ備へ甘数近江守と申す者千計りの人数を謙信竜の丸備へに作り、少しも噪がず如何にも静かにのく、いくづされたる越後勢又直江がこにだ奉行の人数、信玄方の先発にうら余まされたる者々人喀此甘敷に付き越後の力の信玄公旗本組は越後への道を取り切り備へ給へば、迯る程の越後勢旗本の前きへ行きかこらざるはなし、
現代語訳
必ず利根の過ぎた大将は無分別で無穿鑿であるので、手柄をもお知りにならないから、無手柄のこともご存じない。入らない所に強みがあって、家に伝わる家老などを科もないのに憎み、親不孝で父とも仲が悪くなり、非業に身を破られる。そのように太郎義信公は亡びられた。元はといえば、永禄四年辛酉に川中島で合戦があり、巳の刻の末に終わった。同じ午の刻に、輝虎の後備えの甘数近江守という者が千ばかりの人数を謙信の龍の丸の備えに作り、少しも騒がず、いかにも静かに退いた。崩された越後勢、また直江の小荷駄奉行の人数は、(「信玄方の先発にうら余まされたる者々人喀此甘敷に付き越後の力の」の句は底本ここ判読しがたい)信玄公の旗本組が越後への道を取り切って備えられたので、逃げる越後勢は旗本の前へ行きかからない者はなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
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孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
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『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
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『酔古堂剣掃』集醒・多情の者は與に妍媸を定むべからず多情の者は、與に妍媸を定むべからず。多誼の者は、與に取與を定むべからず。多氣の者は、與に雌雄を定むべからず。多興の者は、與に去住を定むべからず。
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