甲陽軍鑑 / 品第十二
扨又利根の過たる大將は下劣の喩へに、さいたら畠と申ごとく本圖にてましまさねば、物をならへど末とをらす、半分知ては然も開山にならんと思召し假名の本を眞名にし、眞名に書きたるをかなになをし、在々をみては田をはたにし、畠を田にし、人民の費へをあそばす、是れを喩へば大工するすべもしらざる百姓が、番匠道具を質に取り、此道具只をかんよりは細工に家をたてんとて、鑿にてほる所を錐にてもむは下手なる仕樣と申すといへども、したへ深きを存ずれば少しは相似たるやうなるが、一圓なにも不知ヲ者どもは鉋にてけづる所を鋸にてひき、のみにてほる所をさい槌にて打つ樣策彥に、利根過ぎたる大將國の仕置如此ぞとさくげん和尙信玄公へ座興に咄し給ふ、
新字:扨又利根の過たる大将は下劣の喩へに、さいたら畠と申ごとく本図にてましまさねば、物をならへど末とをらす、半分知ては然も開山にならんと思召し仮名の本を真名にし、真名に書きたるをかなになをし、在々をみては田をはたにし、畠を田にし、人民の費へをあそばす、是れを喩へば大工するすべもしらざる百姓が、番匠道具を質に取り、此道具只をかんよりは細工に家をたてんとて、鑿にてほる所を錐にてもむは下手なる仕様と申すといへども、したへ深きを存ずれば少しは相似たるやうなるが、一円なにも不知ヲ者どもは鉋にてけづる所を鋸にてひき、のみにてほる所をさい槌にて打つ様策彦に、利根過ぎたる大将国の仕置如此ぞとさくげん和尚信玄公へ座興に咄し給ふ、
書き下し
扨又利根の過たる大将は下劣の喩へに、さいたら畠と申ごとく本図にてましまさねば、物をならへど末とをらす、半分知ては然も開山にならんと思召し仮名の本を真名にし、真名に書きたるをかなになをし、在々をみては田をはたにし、畠を田にし、人民の費へをあそばす、是れを喩へば大工するすべもしらざる百姓が、番匠道具を質に取り、此道具只をかんよりは細工に家をたてんとて、鑿にてほる所を錐にてもむは下手なる仕様と申すといへども、したへ深きを存ずれば少しは相似たるやうなるが、一円なにも不知ヲ者どもは鉋にてけづる所を鋸にてひき、のみにてほる所をさい槌にて打つ様策彥に、利根過ぎたる大将国の仕置如此ぞとさくげん和尚信玄公へ座興に咄し給ふ、
現代語訳
さてまた利根の過ぎた大将は、下々の喩えに「さいたら畠」と申すように本筋でおられないので、物を習っても末まで通らない。半分知っては、しかも開山になろうとお思いになり、仮名の本を真名にし、真名で書いたものを仮名に直し、在所を見ては田を畑にし、畑を田にして、人民の費えをなさる。これを喩えれば、大工の術も知らない百姓が番匠道具を質に取り、この道具をただ置いておくよりは細工して家を建てようとして、鑿で彫る所を錐で揉むのは下手なやり方と申すけれども、少しでも心得があれば少しは似たようなものになるが、全く何も知らない者どもは、鉋で削る所を鋸で挽き、鑿で彫る所を才槌で打つようなものだ。「利根の過ぎた大将の国の仕置はこのようなものだ」と、策彦和尚が信玄公へ座興に話された。
解説
この章句が説くこと
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史記 袁盎鼂錯列伝其の弁を以て太子に幸を得、太子の家号して「智嚢」と曰ふ。数(しばしば)孝文の時に上書し、諸侯を削る事、及び法令の更定すべき者を言ふ。書数十たび上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とし、遷して中大夫と為す。是の時に当たり、太子錯の計策を善しとし、袁盎・諸大功臣多く錯を好まず。景帝即位し、錯を以て内史と為す。錯常に数(しばしば)閒を請ひて事を言ひ、輒ち聴かれ、寵幸九卿を傾け、法令多く更定する所あり。丞相申屠嘉心に便とせず、力未だ以て傷つくる有らず。内史の府は太上廟の壖(ぜん)中に居り、門東に出で、便ならず。錯乃ち両門を穿ちて南に出だし、廟の壖垣を鑿つ。丞相嘉聞き、大いに怒り、此の過ちに因りて奏請して錯を誅せんと欲す。錯之を聞き、即ち夜閒を請ひ、具さに上の為に之を言ふ。丞相事を奏し、因りて錯擅に廟垣を鑿ちて門と為す、廷尉に下して誅せんことを請ふと言ふ。上曰く、「此れ廟垣に非ず、乃ち壖中の垣なり、法に致さず」と。丞相謝す。朝を罷め、怒りて長史に謂ひて曰く、「吾当に先づ斬りて以て聞すべきに、乃ち先づ請ひ、児の売る所と為る、固より誤れり」と。丞相遂に病を発して死す。錯此を以て愈(いよい)よ貴し。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収めんとす。奏上し、上公卿列侯宗室をして集議せしむ。敢へて難ずる莫く、独り竇嬰之を争ふ。此に由りて錯と卻(げき)有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たり、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為して事を用ひ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す。人口議して多く公を怨む者は、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固よりなり。此の如くならずんば、天子尊からず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏は安けれども、鼂氏は危ふし。吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
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