甲陽軍鑑 / 品第十二
惣別能き大將は武邊の儀は不及申、文有て慈悲深く、行義能して常は柔なれども、いかり給ふ時は殿中のことはさて置ぬ、一國の內にて泣子も啼さす程威光つよし、就中國持たる大將をはじめ奉り、大身·中身·小身共に侍の名高き衆は、行義能物なり、物をよ七六盡くたとへてみるに、世間にある一切のはだか虫は、草木のはをくふて食付て巢を作り、變じて後は蝶になり、子をうみて明る年又元のでとと虫になり、其中に蠶といふ虫が桑のは計くふて余の草木を一切くはす、行義よけれは、自余の虫ともと生起の仕形は一なれ共、此蠶斗り人界にて寶になり候、去る程に末代迄も名大將と名をよぶ國主に無行義なるは一人もましまさす、
新字:惣別能き大将は武辺の儀は不及申、文有て慈悲深く、行義能して常は柔なれども、いかり給ふ時は殿中のことはさて置ぬ、一国の内にて泣子も啼さす程威光つよし、就中国持たる大将をはじめ奉り、大身·中身·小身共に侍の名高き衆は、行義能物なり、物をよ七六尽くたとへてみるに、世間にある一切のはだか虫は、草木のはをくふて食付て巣を作り、変じて後は蝶になり、子をうみて明る年又元のでとと虫になり、其中に蠶といふ虫が桑のは計くふて余の草木を一切くはす、行義よけれは、自余の虫ともと生起の仕形は一なれ共、此蠶斗り人界にて宝になり候、去る程に末代迄も名大将と名をよぶ国主に無行義なるは一人もましまさす、
書き下し
惣別能き大将は武辺の儀は不及申、文有て慈悲深く、行義能して常は柔なれども、いかり給ふ時は殿中のことはさて置ぬ、一国の内にて泣子も啼さす程威光つよし、就中国持たる大将をはじめ奉り、大身·中身·小身共に侍の名高き衆は、行義能物なり、物をよ七六尽くたとへてみるに、世間にある一切のはだか虫は、草木のはをくふて食付て巣を作り、変じて後は蝶になり、子をうみて明る年又元のでとと虫になり、其中に蠶といふ虫が桑のは計くふて余の草木を一切くはす、行義よけれは、自余の虫ともと生起の仕形は一なれ共、此蠶斗り人界にて宝になり候、去る程に末代迄も名大将と名をよぶ国主に無行義なるは一人もましまさす、
現代語訳
総じてよい大将は、武辺のことは言うまでもなく、文があって慈悲深く、行儀がよく、常は柔和であるけれども、怒られる時は殿中のことはさておき、一国の内で泣く子も泣き止ませるほど威光が強い。とりわけ国持ちの大将をはじめ、大身・中身・小身ともに侍の名高い衆は行儀のよいものである。(「物をよ七六盡く」の句は底本ここ判読しがたい)たとえてみるに、世間にある一切の裸虫は、草木の葉を食い、取り付いて巣を作り、変じて後は蝶になり、子を産んで翌年また元の虫になる。その中に蚕という虫が桑の葉ばかり食って他の草木を一切食わない。行儀がよいので、他の虫どもと生まれ育つ仕方は同じであるけれども、この蚕ばかりは人の世で宝となる。そうであるから、末代まで名大将と名を呼ばれる国主に、無行儀な者は一人もおられない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・酒誥王若(かく)のごとく曰く、「大命を妹邦に明らかにせよ。乃の穆考文王、国を西土に肇(はじ)め、厥の誥げて庶邦庶士と越に少正・御事を毖(いまし)め、朝夕曰く、『祀に茲れ酒あり』と。惟れ天命を降し、我が民を肇めしは惟れ元祀の為なり。天威を降し、我が民用て大いに乱れ徳を喪ふも、亦酒に非ずして惟れ行ふ罔し。越に小大の邦用て喪ぶるも、亦酒に非ずして惟れ辜ある罔し。文王小子に誥げ教ふ、有正・有事、酒を彝(つね)にすること無かれ。越に庶国、飲むは惟れ祀のみ、徳将(たも)ちて酔ふこと無かれ。惟れ曰く、我が民迪(みちび)きて、小子惟れ土物を愛(をし)み、厥の心臧(よ)く、聡く祖考の彝訓と越に小大の徳とを聴き、小子惟れ一にせよ。妹土厥の股肱を嗣ぎ、純(もは)ら其れ黍稷を芸(う)ゑ、奔走して厥の考・厥の長に事へよ。肇(すみや)かに車牛を牽き、遠く賈用に服し、厥の父母に孝養せよ。厥の父母慶(よろこ)ばば、自ら洗腆(せんてん)して、酒を致し用ひよ。庶士・有正と越に庶伯・君子、其れ爾典(つね)に朕が教を聴け。爾大いに克く耇(おいびと)と惟れ君とに羞(すす)めば、爾乃ち飲食して酔飽せよ。丕いに惟れ曰ふ、爾克く永く観省し、作(な)すこと中徳に稽(かな)へば、爾尚はくは克く饋祀を羞め、爾乃ち自ら介(たす)けて逸を用ひよ。茲れ乃ち允に惟れ王の正事の臣なり。茲れ亦惟れ天元徳に若(したが)ひ、永く王家に在るを忘れられず。」王曰く、「封よ。我が西土棐徂(ひそ)の邦君・御事・小子、尚はくは克く文王の教を用ひ、酒に腆(あつ)からず。故に我今に至り、克く殷の命を受く。」王曰く、「封よ。我聞く惟れ曰く、『在昔殷の先哲王、天の顕と小民とを迪畏し、徳を経(つね)にし哲を秉る。成湯より咸帝乙に至るまで、王を成して畏る。相くる惟れ御事、厥の棐(たす)くるに恭有り、敢て自ら暇(いとま)あり自ら逸せず、矧んや曰く其れ敢て飲を崇ばんや。越に外服に在る、侯・甸・男・衛・邦伯、越に内服に在る、百僚・庶尹・惟亜・惟服・宗工、越に百姓里居、敢て酒に湎(おぼ)るる罔し、惟れ敢てせざるのみならず、亦暇あらず。惟れ王の徳を助成して顕らかにし、越に尹人辟を祗む。』
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史記 張丞相列伝申屠丞相嘉は、梁の人なり。材官蹶張(けつちやう)を以て高帝に従ひて項籍を撃ち、遷りて隊率と為る。従ひて黥布の軍を撃ち、都尉と為る。孝恵の時、淮陽の守と為る。孝文帝の元年、故の吏士二千石の高皇帝に従ひし者を挙げて、悉く以て関内侯と為し、邑を食む者二十四人、而して申屠嘉は食邑五百戸。張蒼已に丞相と為り、嘉遷りて御史大夫と為る。張蒼相を免ぜられ、孝文帝、皇后の弟竇広国を用ひて丞相と為さんと欲して曰く、「恐らくは天下、吾を以て広国に私すとせん」と。広国は賢にして行ひ有り。故に之を相とせんと欲す。之を念ふこと久しくして不可なりとす。而して高帝の時の大臣又皆多く死し、余は見(げん)に可なる者無し。乃ち御史大夫嘉を以て丞相と為し、故の邑に因りて封じて故安侯と為す。嘉は人と為り廉直にして、門に私謁を受けず。是の時太中大夫鄧通方に愛幸を隆(さか)んにし、賞賜巨万を累ぬ。文帝嘗て通の家に燕飲す。其の寵是くの如し。是の時丞相入朝し、而して通、上の傍らに居り、怠慢の礼有り。丞相事を奏し畢りて、因りて言ひて曰く、「陛下臣を愛幸せば、則ち之を富貴にせよ。朝廷の礼に至りては、以て粛ならざるべからず」と。上曰く、「君言ふ勿かれ。吾之を私す」と。朝を罷めて府中に坐し、嘉、檄を為りて鄧通を召して丞相府に詣らしむ。来たらずんば、且に通を斬らんとす。通恐れて、入りて文帝に言ふ。文帝曰く、「汝第(ただ)往け。吾今人をして若(なんぢ)を召さしめん」と。通丞相府に至り、冠を免(ぬ)ぎ、徒跣(とせん)して、頓首して謝す。嘉坐すること自如として、故(ことさら)に礼を為さず。責めて曰く、「夫れ朝廷は、高皇帝の朝廷なり。通は小臣にして、殿上に戯る。大不敬なり。当に斬るべし。吏今之を行ひて斬れ」と。通頓首し、首尽く血を出だせども、解けず。文帝、丞相已に通を困しむと度り、使者をして節を持して通を召さしめ、而して丞相に謝して曰く、「此れ吾が弄臣なり。君之を釈せ」と。
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説苑・說叢聖人の衣や體に便にして以て身を安んじ、其の食や腹に安んず。衣を適し食を節し、口目に聽かず。
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葉隠・聞書第一大酒にて後れを取りたる人、数多(あまた)なり。別して残念の事なり。まず我が丈け分(たけぶん)をよく覚え、その上は飲まぬ様にありたきなり。そのうちにも、時により、酔い過す事あり。酒座(しゅざ)には就中(なかんずく)気をぬかさず、図(はか)らぬ事出来(しゅったい)ても間に合う様に、了簡(りょうけん)あるべき事なり。また酒宴は……
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尚書・說命中寵を啓きて侮りを納るる無かれ、過ちを恥じて非を作す無かれ。
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葉隠・聞書第一時により、人に用(よう)をいい、物をもらう事有り。それも度重(たびかさ)ならば、無心(むしん)になり、いやしかるべし。何とぞ済む事ならば、用をいわぬように有りたきなり。
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