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甲陽軍鑑 / 品第十二

さて關東氏康公の御仕置き中々能きこと是非に及ばすして、九年の間關東大方北條殿手に付く、但し安房·常陸は敵なり、其餘五頭上杉管領公を贔負、いづれ管領十六萬の人數七萬餘まり北條へしたがふ、殊更久我の公方を氏康聟にし給ふ故、一入能く治まり安房佐竹も終には氏康公にほろほされんと申す時、又永祿二年庚申の三月に越後の景虎上杉殿に賴まれ、小田原はす池迄押籠む、

新字:さて関東氏康公の御仕置き中々能きこと是非に及ばすして、九年の間関東大方北条殿手に付く、但し安房·常陸は敵なり、其余五頭上杉管領公を贔負、いづれ管領十六万の人数七万余まり北条へしたがふ、殊更久我の公方を氏康婿にし給ふ故、一入能く治まり安房佐竹も終には氏康公にほろほされんと申す時、又永禄二年庚申の三月に越後の景虎上杉殿に頼まれ、小田原はす池迄押籠む、

書き下し

さて関東氏康公の御仕置き中々能きこと是非に及ばすして、九年の間関東大方北条殿手に付く、但し安房·常陸は敵なり、其余五頭上杉管領公を贔負、いづれ管領十六万の人数七万余まり北条へしたがふ、殊更久我の公方を氏康婿にし給ふ故、一入能く治まり安房佐竹も終には氏康公にほろほされんと申す時、又永禄二年庚申の三月に越後の景虎上杉殿に頼まれ、小田原はす池迄押籠む、

現代語訳

さて関東での氏康公の御仕置きはまことによく、言うまでもないことで、九年の間に関東の大方は北条殿に付いた。ただし安房・常陸は敵であった。その他の五頭は上杉管領公を贔屓していたが、いずれにせよ管領の十六万の人数のうち七万余りが北条に従った。とりわけ古河の公方を氏康が婿にされたので、ひとしお良く治まり、安房・佐竹もついには氏康公に滅ぼされるであろうと言われていた時、また永禄二年庚申の三月に、越後の景虎が上杉殿に頼まれて、小田原の蓮池まで押し込んだ。

解説

氏康の仕置きのよさで、九年のうちに関東の大半が北条に付いた。十六万のうち七万余りが従い、古河公方を婿に取ることで正統性も手にした。武力だけでなく統治と縁組で人心を固めた点が強調されている。ところが順調なその時に、越後の長尾景虎が小田原まで攻め込む。治まったと思った瞬間にこそ外から大きな波が来るという、組織運営の常を示す一節である。好調の時ほど、次の挑戦者はどこにいるかを考えておきたい。

この章句が説くこと

氏康仕置き統治正統性油断景虎

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