甲陽軍鑑 / 品第十一
三畧ニ曰、軍讖ニ曰、强宗聚姦、無位而尊、威無不震、葛藟相連、種德立恩、奪在位權、侵侮下民、國內譁諠、臣蔽不言、是謂亂根、と、有時は我なき跡にて此書をき兩人よく〳〵可令〓分別ものなり天正三年乙亥六月吉日高坂彈正記之長坂長閑老跡部大炊助殿參高坂彈正記之跡部大炊助殿參
新字:三略ニ曰、軍讖ニ曰、強宗聚姦、無位而尊、威無不震、葛藟相連、種徳立恩、奪在位権、侵侮下民、国内譁諠、臣蔽不言、是謂乱根、と、有時は我なき跡にて此書をき両人よく〳〵可令〓分別ものなり天正三年乙亥六月吉日高坂弾正記之長坂長閑老跡部大炊助殿参高坂弾正記之跡部大炊助殿参
書き下し
三略ニ曰、軍讖ニ曰、强宗聚姦、無位而尊、威無不震、葛藟相連、種徳立恩、奪在位権、侵侮下民、国内譁諠、臣蔽不言、是謂乱根、と、有時は我なき跡にて此書をき両人よく〳〵可令〓分別ものなり天正三年乙亥六月吉日高坂弾正記之長坂長閑老跡部大炊助殿参高坂弾正記之跡部大炊助殿参
現代語訳
三略に曰く、軍讖に曰く、「強宗が姦を聚め、位無くして尊く、威の震わざるは無し。葛や藟のように相連なり、徳を種え恩を立て、在位の権を奪い、下民を侵し侮る。国内は騒がしく、臣は蔽われて言わない。これを乱の根という」と。あるいは我が亡き後に、この書を置いて、両人はよくよく分別なさるべきものである。天正三年乙亥六月吉日、高坂弾正これを記す。長坂長閑老・跡部大炊助殿参る。
解説
品の結びに三略を引き、国が乱れる根を示している。力のある一族が悪い者を集め、位もないのに尊ばれ、蔓草のように連なって恩を売り、権を奪って下を侮る。そして臣は口を塞がれて何も言わない。これは三浦右衛門や出頭人の話そのものである。高坂はこれを勝頼の側近である長坂と跡部に宛てて書いた。側近が徒党を組み、家臣が黙る組織は、外の敵より先に内から崩れる。
この章句が説くこと
三略側近徒党乱諫言家臣
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