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甲陽軍鑑 / 品第十一

義元公永祿三年庚申に討死し給ふ、子息氏眞公代になり猶以てさほう惡くして、家に傳はる家老朝比奈兵衞太夫、其外能者四五人ありといへども、氏眞公其四五人の者を崇敬ましまさず、三浦右衞門といふ愚者の申すまゝに成り給ひ、三浦右衛門が身よりの者、或は三浦右衞門が氣にあふたる者ばかり仕合せよく、左道なる仕置き故、三河國大方敵と成る、然は永祿六年癸亥に氏眞公馬を出し、三河の吉田に陣取り給ふ時、遠州に於て井伊野、心がわりにてしらすかのあたりを燒きければ、さすがに氏眞公心は剛にてまします故少しもさはぎ給はず、一萬四千ばかりの人數九千餘まり右申す作法惡き者共なれば、周章噪ぐこと大方ならず、井伊野も又根のなき俄かの逆心によつて、やがて降參仕まつる、氏眞公分別しあて給ふとても、未練にてはならず、氏眞公心の剛にまします故に、如此なり、

新字:義元公永禄三年庚申に討死し給ふ、子息氏真公代になり猶以てさほう悪くして、家に伝はる家老朝比奈兵衛太夫、其外能者四五人ありといへども、氏真公其四五人の者を崇敬ましまさず、三浦右衛門といふ愚者の申すまゝに成り給ひ、三浦右衛門が身よりの者、或は三浦右衛門が気にあふたる者ばかり仕合せよく、左道なる仕置き故、三河国大方敵と成る、然は永禄六年癸亥に氏真公馬を出し、三河の吉田に陣取り給ふ時、遠州に於て井伊野、心がわりにてしらすかのあたりを焼きければ、さすがに氏真公心は剛にてまします故少しもさはぎ給はず、一万四千ばかりの人数九千余まり右申す作法悪き者共なれば、周章噪ぐこと大方ならず、井伊野も又根のなき俄かの逆心によつて、やがて降参仕まつる、氏真公分別しあて給ふとても、未練にてはならず、氏真公心の剛にまします故に、如此なり、

書き下し

義元公永禄三年庚申に討死し給ふ、子息氏真公代になり猶以てさほう悪くして、家に伝はる家老朝比奈兵衛太夫、其外能者四五人ありといへども、氏真公其四五人の者を崇敬ましまさず、三浦右衛門といふ愚者の申すまゝに成り給ひ、三浦右衛門が身よりの者、或は三浦右衛門が気にあふたる者ばかり仕合せよく、左道なる仕置き故、三河国大方敵と成る、然は永禄六年癸亥に氏真公馬を出し、三河の吉田に陣取り給ふ時、遠州に於て井伊野、心がわりにてしらすかのあたりを焼きければ、さすがに氏真公心は剛にてまします故少しもさはぎ給はず、一万四千ばかりの人数九千余まり右申す作法悪き者共なれば、周章噪ぐこと大方ならず、井伊野も又根のなき俄かの逆心によつて、やがて降参仕まつる、氏真公分別しあて給ふとても、未練にてはならず、氏真公心の剛にまします故に、如此なり、

現代語訳

義元公は永禄三年庚申に討死なさった。子息の氏真公の代になって、なおいっそう作法が悪くなり、家に伝わる家老の朝比奈兵衛太夫、そのほか良い者が四五人あったけれども、氏真公はその四五人の者を崇敬なさらず、三浦右衛門という愚者の申すままになられ、三浦右衛門の身内の者、あるいは三浦右衛門の気に合った者ばかりが仕合せがよく、邪な仕置きであったゆえに、三河国は大方敵となった。そうして永禄六年癸亥に氏真公が馬を出し、三河の吉田に陣取られた時、遠州で井伊谷が心変わりして白須賀のあたりを焼いたので、さすがに氏真公は心が剛でいらっしゃるゆえ少しも騒ぎなさらなかったが、一万四千ばかりの人数のうち九千余りは右に申す作法の悪い者どもであったので、周章狼狽すること大方ではなかった。井伊谷もまた根のないにわかの逆心であったので、やがて降参した。氏真公の分別が当たったとしても、未練ではこうはならない。氏真公の心が剛でいらっしゃったゆえに、このようであった。

解説

義元の後を継いだ氏真は、代々の家老を遠ざけ、三浦右衛門という寵臣の言うままになった。その結果、寵臣の身内ばかりが得をして、三河は離反した。井伊谷の逆心の時、氏真自身は動じなかったが、兵の大半は作法の悪い者で大いに騒いだ。大将一人が剛でも、家中が寵臣の色に染まっていれば軍は崩れる。人事を一人の側近に委ねた代償は、危機の時に兵の質となって表れる。

この章句が説くこと

寵臣家老今川氏真人事大将家中

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