甲陽軍鑑 / 品第十一
此大將の下にては百人の内九十五人は作法あしゝ、其中に能き者四五人ありとても、衆力功をなすとて百人ばかりの內に、五人斗りをば物もいはせぬ者なり、さありて其四五人は公界もせず、大勢の人は威光つよし、其四五人は賢人なり、大勢は不賢なり、賢人は正法不賢は邪道、正法邪道のわかちを申すに、賢人たる人は其主君或は家老の政行ひ能ければ縱ひ、我等は惡き擬作なりといへども、其君家老をそしることなし、或は我を愛する君家老と云へどもあしきさほうならばよくは申さす、あしきさたもいはす、論語ニ曰不在其ノ位不謀其政ヲ是をもつて物いはず賢なり、
新字:此大将の下にては百人の内九十五人は作法あしゝ、其中に能き者四五人ありとても、衆力功をなすとて百人ばかりの内に、五人斗りをば物もいはせぬ者なり、さありて其四五人は公界もせず、大勢の人は威光つよし、其四五人は賢人なり、大勢は不賢なり、賢人は正法不賢は邪道、正法邪道のわかちを申すに、賢人たる人は其主君或は家老の政行ひ能ければ縦ひ、我等は悪き擬作なりといへども、其君家老をそしることなし、或は我を愛する君家老と云へどもあしきさほうならばよくは申さす、あしきさたもいはす、論語ニ曰不在其ノ位不謀其政ヲ是をもつて物いはず賢なり、
書き下し
此大将の下にては百人の内九十五人は作法あしゝ、其中に能き者四五人ありとても、衆力功をなすとて百人ばかりの内に、五人斗りをば物もいはせぬ者なり、さありて其四五人は公界もせず、大勢の人は威光つよし、其四五人は賢人なり、大勢は不賢なり、賢人は正法不賢は邪道、正法邪道のわかちを申すに、賢人たる人は其主君或は家老の政行ひ能ければ縦ひ、我等は悪き擬作なりといへども、其君家老をそしることなし、或は我を愛する君家老と云へどもあしきさほうならばよくは申さす、あしきさたもいはす、論語ニ曰不在其ノ位不謀其政ヲ是をもつて物いはず賢なり、
現代語訳
この大将の下では、百人のうち九十五人は作法が悪い。その中に良い者が四五人あったとしても、衆力功をなすといって、百人ばかりの内で五人ばかりには物も言わせないものである。そうして、その四五人は人づきあいもせず、大勢の人は威光が強い。その四五人は賢人であり、大勢は不賢である。賢人は正法、不賢は邪道。正法と邪道の分かちを申すと、賢人たる人は、その主君あるいは家老の政が行き届いていれば、たとえ自分は悪い扱いを受けていても、その君や家老を謗ることはない。あるいは自分を愛してくれる君や家老であっても、作法が悪ければ良くは申さない。悪い沙汰も言わない。論語に「その位に在らざれば、その政を謀らず」とある。これをもって物を言わないのが賢である。
解説
この章句が説くこと
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